明日は啓蟄というのに、寒い一日でした。

朝は、珍しく薄氷が貼っておりました。

ところで、きょうは「山宣(やません)忌」。

1928年の第1回普通選挙で無産政党である労農党から当選し、侵略戦争に反対し、唯一人治安維持法改悪に反対して奮闘していた代議士、山本宣治が、1929(昭和4)年の今日右翼「七生義団」のテロリスト黒田保久二により暗殺されました。享年39歳の若さでした。

「宇治山宣会」のホームページから一部引用させていただきます。


昭和のはじめ、京都大学や同志社大学で生物学(人生生物学)を教えていた学者出身の国会議員が暗殺されるという事件がありました。彼が39歳の時です。

 その人、山本宣治は若い頃アメリカ大陸に渡って、当時の日本には無かった「自由と民主主義」を身につけ、学者になってからも、ただ学生に学問を教えるだけで満足せず、貧しい労働者・農民にまじって世の中をよくする運動にみを投じた人でした。

 そして、やがて労農党の代表として衆議院議員に当選、代議士になってからも、戦争へ戦争へと国民を引きづって行こうとしていた政府の政策に真っ向から反対し、軍国主義者から命を狙われていたのでした。


 人々が慣れ親しんで「山宣」と呼んだその人は、宇治川のほとりにある料理旅館「花やしき浮舟園」の若主人でもあった人で、宇治の町では毎年彼の命日である3月5日、善法の墓地で「山宣墓前祭」をひらき、平和と民主主義を守るために死んでいった故人をしのび、彼の意志を受け継ぐことを誓い合う集いを持っています。