今日は「風信子忌」。
雑誌『四季』(第二次)に拠った詩人立原道造の忌日で、「ヒヤシンス忌」と読むそうです。
以下のサイトを参照させて戴きました。
こんなことを書きながら、ふと自分の過去記事を検索しておりますと、なんと昨年の今日の記事(「亡き友を偲ぶ会あり燕来る」を、同じく立原道造ネタで書いておりました。とんだオソマツ(汗)。
今日は「風信子忌」。
雑誌『四季』(第二次)に拠った詩人立原道造の忌日で、「ヒヤシンス忌」と読むそうです。
以下のサイトを参照させて戴きました。
こんなことを書きながら、ふと自分の過去記事を検索しておりますと、なんと昨年の今日の記事(「亡き友を偲ぶ会あり燕来る」を、同じく立原道造ネタで書いておりました。とんだオソマツ(汗)。
ほかにもこんな記事で、立原道造に触れています。
「風立つや寂しき村の水引草 パクリでしょう」
今朝の散歩で、路傍のヒヤシンスが雨に濡れていました。
立原道造が拠った雑誌『四季』(第2次)は1934-1935年(昭和9-10年)の間、第13号まで発行されました。
高校生向けの文学史の記述では、この前後の詩の流れが、おおよそこんな風に概説さます。
「詩と詩論」
一九二八年(昭和三)、雑誌「詩と詩論」が発刊、芸術派の詩人たちが、詩の純粋性を取り返し、主知的な詩法を実践するために結集した。
『三半規管喪失』の北川冬彦(一九〇〇─一九九〇)、『軍艦茉莉』の安西冬衛(一八九八─一九六五)、『月の出る町』の春山行夫(一九〇二─一九九四)、『測量船』の三好達治、『若いコロニイ』の北園克衛(一九〇二─一九七八)、『黄蜂と花粉』の竹中郁(一九〇四─一九八二)、『体操詩集』の村野四 郎、『帆・ランプ・穰』の丸山薫(一八九九─一九七四)、『Ambarvalia』の西脇順三郎(一八九四─一九八二)など、その後の昭和詩形成の基幹をなす人々であった。
「四季」派
「詩と詩論」で新しい詩の洗礼を受けた人たちは、各自の個性に従って進路を決めていった。三好達治らは雑誌「四季」(一九三三年創刊)によって、主知派やプロレタリア派から離れた、新しい叙情派を結成した。『山羊の歌』の中原中也、『萱草に寄す』の立原道造らがいる。
「四季」よりやや硬質な叙情詩をめざした雑誌に「コギト」(一九三二年刊)があり、『わがひとに与ふる哀歌』の伊東静雄(一九〇六─一九五三)らがいた。
「歴程」派
詩誌「歴程」(一九三五年創刊)は一党一派に片寄らず、詩そのものの創造をめざして、各人の個性を伸ばそうとするものであった。『第百階級』の草野心平を中心として、『鮫』の金子光晴など多様な詩人が集まった。
(第一学習社版『新訂総合国語便覧』より)
『四季』(第2次)は、三好達治・丸山薫・堀辰雄の3名の編集とされていますが、実質の編集は、「風立ちぬ」で知られる小説家、堀辰雄が中心だったようです。
同誌各号には、拾い上げただけでも、堀辰雄、室生犀星、佐藤春夫、三好達治、桑原武夫、津村信夫、丸山薫、宮澤賢治(追悼)、堀口大学、萩原朔太郎、斎藤茂吉、中原中也らの顔ぶれが並んでいます。
私のブログタイトルは、決してこの雑誌名にちなんだわけではありませんが、少年の頃に愛読した詩人・作家の名前を『四季』誌中に多く見いだし、感慨を覚えます。
編集の中心であったという堀辰雄に関して、私は以前、 この記事でも触れました。
その堀辰雄を、立原道造が深く敬愛していた様子を、室生犀星は、『我が愛する詩人の伝記』の中でこう書いています。
ここで、「娘なんぞと遊んでいた。」とあるのは、犀星の作品「杏っ子」のモデルでもある長女室生朝子さんの事でしょう。
室生朝子さんは、立原道造の名前を音読みして「ドウゾウさん」と呼んで親しんでいたそうで、のちにこんな文章を残しておられます。
室生犀星については,以前 この記事「春露にしたたりやまぬ日の光」などで触れたことがありましたし、 この記事「お名前は? お玉?お筆?八重?杏?」は、室生朝子さんを話題にしました。
また、三好達治を話題にした この記事「達治忌やわが身の影は雨に濡れ」で、犀星の詩に触れたこともありました。ところで、岡山市後楽園にある標準木の観察によって、昨日開花宣言が発表されたようです。
私の居住地近辺では、 3月14日付のこの記事付で、ソメイヨシノのフライング開花かと書いたのは早とちりでした。この木の現在の状態はこんな様子です。花弁を残しているのは数輪にすぎませんが、咲き終えた花弁も散りきらずに、色あせた姿で枝に残っています。これはソメイヨシノではないですね。
ソメイヨシノの開花について、昨年の春こんな記事を書いています。
3月27日付「さくらの日」、 3月28日付「西行の碑を抱くかに咲き初めし」、 4月9日付「春の日や花鳥虫も雀躍す」。
昨日の朝散歩で、桜並木のソメイヨシノの蕾が、ちらほらほころび始めているのに気づきました。
路傍の花も、春の装いです。
孫たちは、昨日はほぼ一日、パパ・ママと行動を共にしたようですが、夕方、じじ・ばばを訪ねてきました。土曜日は、近所のスーパーがアイスの半額セール日ですので、みんなで歩いてアイスを買いに行き、桜の木の下で食べました。
ちょうど、 3月28日付「西行の碑を抱くかに咲き初めし」の記事で書いた場所です。
あいにくカメラを持っていませんでしたので、写真は残せませんでしたが、やはりこの場所が、付近では一番開花状態が進んでいるようです。
一足早い花見を楽しみ、上機嫌の子ども達は、近所の土手で芝滑りに興じました。
開花し始めたソメイヨシノの花 posted by (C)kazg