丹念にたどってみると、同じ職場の元同僚をはじめ、友人、先輩方のお名前が、あちらこちらに見つかり、懐かしいこと。県内に限らず、はるかに離れた遠隔の地の知己のお名前を、何十年ぶりかに目にし、熱いものを覚えました。
この1万人(超)の退職教職員の背後には、どれほどの同じ思いの退職教職員がおられることでしょう。またその周りには、どれほどの現職教職員がおられることでしょう。さらに、その周りには、どれだけの教え子、保護者の皆さんがおられるでしょう。
そ
して、その中のどの一人が、①日本が攻撃されていないにもかかわらず、②地球のどこにでも出かけていって戦争に参加し、③戦争と一体不可分であり、軍事行
為の不可欠の一部であり、いかなる、すべての戦争の中心構成要素であり、軍事攻撃の格好の目標である(米「海兵隊教本」)とされる兵站(ロジスティック
ス)に参加することによって、④殺し、殺されるような事態に、憲法9条を持つ日本の若者達が身を置くことを、果たして容認できましょうか?
これまで、
この記事や
この記事でも引用した竹本源治さんの詩をもう一度想起せずにはいられません。
戦死せる教え児よ 竹本源治
逝いて還らぬ教え児よ
私の手は血まみれだ
君を縊ったその綱の
端を私も持っていた
しかも人の子の師の名において
嗚呼!
「お互いにだまされていた」の言訳が
なんでできよう
懺愧 悔恨 懺悔を重ねても
それがなんの償いになろう
逝った君はもう還らない
今ぞ私は汚濁の手をすすぎ
涙をはらって君の墓標に誓う
「繰り返さぬぞ絶対に!」
この詩に添えられた反歌。
送らじな この身裂くとも 教え児を 理(ことわり)もなき 戦(いくさ)の庭に