昨日の国会前は、空前の規模の行動だったそうですね。
全国100万人のひとりとして、私も地元の行動に参加してきました。
昨日の国会前は、空前の規模の行動だったそうですね。
全国100万人のひとりとして、私も地元の行動に参加してきました。
朝方の雨で、雨具の用意が必要かと、本気で心配しましたが、昼頃には晴れ間ものぞき、30度を超える暑さのぶり返し。いや、参加者の熱気もすごかった。
まず、ベツクチで、教育問題の学習会がありまして、東京からお迎えした講師が、連日の国会周辺の動きもリアルに話してくださいました。アベ政治が、①
と、②世界で一番企業が活動しやすい国を作るという二つの柱を同時に狙っており、その教育改革もそれに沿っているという話、腑に落ちました。
学習会の休憩時間のタイミングで、プログラムをちょっと中断。主催者の提唱で、会場近くの交差点に移動し、おのおのプラカードを掲げての、サイレントアピール行動を短時間実施しました。道行く車や通行人に、戦争法反対をアピールすると、物珍しさも手伝ってか、ちょっとした注目度でした。
私も含めて友人数名は、学習会をそのあたりで中座して、各界の方々の「リレートーク」が行われている岡山駅前に移動してみました。
思っても見ない大勢の人で、文字どおり「黒山の人だかり」でした。いや、年配の方も大勢で、「白山」、「灰山」、「銀山」、「ごま塩山」も混じっておりましたが。
懐かしい友人、知己の顔も、あちらこちらに見られ、中には10年ぶり、20年ぶりという再会もあって、うれしいひとときでした。
「いてもたってもいられず、情報を聞いて参加した」、「手書きのプラカードを用意してきた」、「妻には、本当は東京に行きたいんでしょうとからかわれた」
などの会話も、楽しいことでした。
最近、昭和後期の職場や生徒の想い出を、続けて話題にしてきましたが、そのころの同僚(大先輩)にもお会いしました。
かくしゃくとして、お元気。まったく変わっていらっしゃいません。おそるおそる、年齢をお聞きしましたら、「82歳」とのこと。終戦が、小6だったそうです。お兄さんは、満蒙開拓団(まんもうかいたくだん)に「義勇軍」として参加。帰らぬ人となられたそうです。
デモ行進(パレード)の出発予定地まで、移動しますが、この場所移動の一行自体が、すでにかなりの規模のデモのようです。
デモ行進(パレード)は、開始直後こそ、車道を歩いていましたが、途中から、歩道へ上がるようにと警備の警察が誘導します。
聞くところによると、警察へのデモ申請は300人という規模。ところが現実には、未だかつて経験のない1000人とも1500人とも見える人々が続々参加してふくれあがったため、警備の方ではお手上げになり、「責任が持てない」とばかりに、こんな措置をとったもののようでした。ある種の「嫌がらせ」「意趣返し」を含んでいたかもしれません。いずれにせよ、「列島騒然」の一こまとも言えましょうか。
私の何人かの老若男女のお友達が、この行動を、フェイスブックにもアップしておられます。異口同音におっしゃることは、報道、特にNHKの虫ぶりですね。「NHKは終わってる」という指摘がリアルで、かなしいです。
辛うじて、地元紙「山陽新聞」WEB版は、こう伝えています。
安全保障法案の廃案を訴える参加者
参院で審議中の安全保障関連法案に反対する市民団体が30日、岡山、倉敷市など岡山県内各地で街頭活動を行い、廃案を訴えるとともに戦争のない世界を目指そうと呼び掛けた。
岡山市の市役所筋では「戦争をさせない1000人委員会岡山」「STOP戦争法岡山の会」でつくる実行委が全国一斉行動の一環でパレードを行い、市民や労組関係者ら約千人(主催者発表)が参加。「許すな! 戦争法案」「平和がいいね」などと書いたプラカードを掲げ、「みんなで止めよう戦争法案」「子どもの未来を守りましょう」とシュプレヒコールを上げた。
家族連れの姿も見られ、3人の幼い娘たちと参加した自営業女性(32)=岡山市中区=は「戦争になると子どもたちを守ることができない。平和のために今、声を上げたい」と話した。
実行委は9月12日、市民集会を県総合福祉会館(岡山市北区石関町)で開き、山口二郎法政大教授が「安保法制の違憲性を問う! 再び戦争をさせないために」と題して講演。市中心部の桃太郎大通りを行進する。
またインディペンデント・ウェブ・ジャーナル(略称:IWJ)の記事をたどっていますと、 岡山市の模様が動画で紹介されていました。
2015.08.30
「国会10万人・全国100万人大行動」があった2015年8月30日(日)、岡山市では、ストップ戦争法!総がかり岡山実行委員会による安保関連法案に反対する街頭演説とパレードが15時より岡山駅前で行われた。
未曾有のことが起こっています。
思い出しましたが、アソーなにがしという元総理は、これをミゾユウと読んでからかわれました。
「未曾有」 は、漢文では、再読文字「未」を、「未(いま)だ~ず。」と読むという基礎知識を踏まえて、「未だ曾て有らず。(いまだかつてあらず)」と読めます。これを、熟語として用いる場合には、「ミゾウ」と読むのが一般的。ですが、辞書を調べてみると、古くは「ミゾウウ」という読みもあったようで、「ミゾユウ」の読みもまったく絶無とは言いきれないような事情があるとかないとか---。さすがアソーさん。マニアックな、レアな知識をお持ちです。気軽に冷やかして、失礼いたしました。
でも、頻繁を「ハンザツ」、怪我を「カイガ」、詳細を「ヨウサイ」、有無を「ユウム」、踏襲を「フシュウ」、措置を「ショチ」と読むのは、いかにレア、マニアック、独創的とはいえ、さすがに無理があると愚考いたします。アソーさんの独自の漢字力、アベさんとは別の意味で、「言語力と政治」についての関心を、いまさらながら刺激しますね。
聞くところによると、文部科学省は、国立大学改革の一環として「人文・社会科学系の学部や大学院について、廃止や、社会的要請が高い分野への転換に努めるなど、組織と業務全般を見直す」との通知を、国立大学宛に出したそうですね。本音のところは、「国益」に適う「グローバル人材」を「効率的(低コストで)」に育てるためには「成果」の上がりにくい「文系」(への予算支出)は無意味、、、、ということらしい。大学に市場原理を導入し、カネをうまない学問は切り捨てていく流れ、と指摘されています。
そもそも、憲法学者の大多数が集団的自衛権容認の「安保法制」を違憲と指摘し、多くの歴史学者が政府の歴史観を事実によって批判し、多くの学者・研究者(文系とは限りません)が、学問・研究や言論・表現を高唱するような、「国益」を損ねかねないヒト達や分野のために国費を投入するのは、けしからん無駄遣い、というわけですかな。
しかし、学問研究は、目先の損・得、直接の成果や経済的利害のみではかられるものではありません。
アソーさんの漢字力、アベさんの「言語(コミュニケーション)力」のレベルが、社会の隅々にまで蔓延しても、「良いではないか」で済まされるようなオソマツ社会の到来を、食い止めるためには、人文・社会科学の復権が強く求められこそすれ、文系学部廃止などは、亡国の愚作にほかならないと思いますがね。
夜、遠く愛知県の友人が電話をくれました。
要件は別にあったのですが、四方山の話の中で、地元の8.30行動に参加した由、聞きました。県都の名古屋市ではなく、彼の居住地でも、自前の行動が取り組まれたそうです。
全国くまなく、同じ思いの人びとが、「動員」によるのではなく、自らの意思でいっせいに起つという、文字通り未曾有の「歴史事件」の重みを、改めて感じたことでした。
今日の「お口直し」は、先日の散歩中に出会ったウチワヤンマ(ウチワトンボ)です。複数の個体が、姿を現してくれました。
水辺のウチワヤンマ posted by (C)kazg
今日はここまで。