それでも着実に秋の深まりが、そこここに見て取れますね。
朝の冷気をしみじみ感じていますと、キンモクセイの濃密な香りに改めて気づかされます。
わが家の庭のキンモクセイは、この夏の強剪定の影響で、花芽が大幅に減ってしまい、ちらほらとした花付きですが、それでも香りは四囲を満たしています。
キンモクセイが香る頃に、思い出すシーンがあります。
思えば、30年余も昔の初冬の早朝でした。
このシーンがしばしば思い出され、のちに、こんな短歌を作ったことがありました。
Iさんを偲ぶ おはようの声弾むビラ入れ |
ライオンのあだなゆかしも デモ隊の旗追い越して歩き行く君 |
性急(せっかち)を性(さが) とせし君 たばこ喫(の)む暇(いとま)をすらも受話器はなさず |
満員の電車のゴトと揺れるとき ”む“と息つめて苦笑しあえり 東京は人住むところにあらじという 会話幾度も交わせし終電 教え子を語れる君の頬ゆるみて 遠きまなざしいよよ慕はし |
テニスして伊豆に遊びし日もありき 篤(あつ)き病の兆(きざ)しも知らで ガンガンとやって損することなしと 病をおして署名に立つ君 たたかいのさなかに倒れすまんという 無念の君の涙いたわし やつれたる頬に笑みあれど 握る手のかそけき力口惜しきかな 枕辺の署名用紙を示しては 見舞う人ごと反核説く君 混濁の意識のなかで “国機法許さじ”と説く君の気丈さ |
ここで「国機法」とあるのは、当時、「スパイ防止法」と称して制定が企まれていた「国家機密法(国家秘密法)」のことで、「戦争への一里塚」、民主主義の根幹に関わる課題だとして、Iさんは反対運動の先頭に立っていました。闘病中の1985年に法案が国会上程されましたが、国民的な反対運動により廃案となりました。残念ながら、Iさんは、生きて廃案の決定を知ることはありませんでした。
いま、時をへて、手を変え品を変えて、アベ内閣が強行成立させた特定秘密法と、今度の戦争法案にたいして、Iさんはきっと、あの世で、切歯扼腕、警鐘乱打している事でしょう。
アベ内閣の特定秘密法については、このブログでも再三書きました。新しいものから順に、並べてみます。
八日目の蝉もをるらん原爆忌
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第8回
リメンバー パールハーバー お互いに
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第5回
だまされも だましもせぬと 誓うた日
戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透
ペンの日を泥足で踏む秘密法
立冬や 審議に入る秘密法
思えば、時は中曽根内閣時代で、中曽根康弘首相は、ロナルドレーガン米大統領と「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う仲を誇示しながら、日本をアメリカの「浮沈空母」とする動きを露骨に強めていました。
中曽根内閣は、「臨調行革」で福祉・教育・国民生活をばっさり切り捨てて、「国民総我慢」を強いながら、軍備拡大は最優先で進めました。行革の次は教育改革だとして、「教育臨調」による教育改革を通して、「浮沈空母」の乗組員を育てる意図をむき出しにしていました。
盟友のレーガンは、ソ連・東欧諸国を「悪の同盟」ときめつけ、核戦争も辞さずとの強行姿勢をあらわにしていました。それだけに、「核戦争阻止・核兵器禁止」の声は緊急切実でした。Iさんは、死の床にあって、見舞いに訪れる人に訴え、署名を求めたと言います。
最近のニュースで聞き覚えのある名前を久しぶりに聞きました。横須賀を母港とする原子力空母、ジョージ・ワシントンに代わって、「ロナルド・レーガン」が新たに入港したというのです。
原子力空母「ロナルド・レーガン」は、満載排水量9万7千トン、全長333メートル。乗組員は約5千人と世界最大級の空母で、福島原発などと同じ加圧水型の原子炉2基を搭載搭載しているのだとか。
クリス・ボルト艦長は、「厳しいルールや基準に従って運用しているので、100%安全だと自負できる」と述べたそうですが、「100%安全」という言葉ほど信じられないものはないのですがね。