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キンモクセイに誘われて、の巻 [kazg創作集]

10月になって、寒かったり暑かったり、気温差の大きい日々が続きます。

それでも着実に秋の深まりが、そこここに見て取れますね。

朝の冷気をしみじみ感じていますと、キンモクセイの濃密な香りに改めて気づかされます。

わが家の庭のキンモクセイは、この夏の強剪定の影響で、花芽が大幅に減ってしまい、ちらほらとした花付きですが、それでも香りは四囲を満たしています。

キンモクセイが香る頃に、思い出すシーンがあります。

思えば、30年余も昔の初冬の早朝でした。

このシーンがしばしば思い出され、のちに、こんな短歌を作ったことがありました。

Iさんを偲ぶ



なお暗き冬の未明の全戸ビラ  

足音朗らに君は駆けゆく



朝ビラに遅れし我を待ちてある  

君は足踏みしつつ手を振る

      

えいえいと息はずませて

階段を駆けのぼりてはビラ配る君



明け初めし街に木犀薫りいて

おはようの声弾むビラ入れ




「君」というのは、教職員組合の責任ある部署で、八面六臂の働きを精力的に推し進めておられるさなか、45歳の若さで急な病に倒れ、帰らぬ人となったIさんの、ありし日の姿です。

たまたま、東京での住まいがご近所でしたので、時に、出勤前の早朝など、打ち合わせて近くの家々へのビラ配布をおこなうこともありました。

まだ若かった私は、早起きが苦手で、約束の刻限に遅れて集合場所に駆けつけることもままありました。そんなある朝の、なおまだ暗い街角で、どこからか薫ってくるキンモクセイの香りが、今も鮮烈に浮かんでくる気がします。

思い出しついでに、このIさんを偲んで作った歌を、備忘的に記載しておくことにします。
ライオンのあだなゆかしも デモ隊の旗追い越して歩き行く君 
かつての生徒達がつけたあだ名が「ライオン丸」だそうです。「怪傑ライオン丸」というテレビ番組にちなんだものだそうですが、たてがみを靡かせ、雄々しい咆吼をあげて味方を激励しながら、巨悪に立ち向かう姿は、たしかにライオンを彷彿とさせました。
性急(せっかち)を性(さが) とせし君 たばこ喫(の)む暇(いとま)をすらも受話器はなさず
やりたいこと、やるべき事がありすぎて、我々の運動がそれに及んでいないことをもどかしく感じてでしょうか、それとも生来の性分のせいでしょうか、まことにせっかちなライオンでした。私のようなのんびりは、きっといらだつ存在だったでしょう。すみません。
満員の電車のゴトと揺れるとき 
”む“と息つめて苦笑しあえり

東京は人住むところにあらじという
会話幾度も交わせし終電

教え子を語れる君の頬ゆるみて 
遠きまなざしいよよ慕はし


通勤電車に、ともに乗り合わせる事もしばしばありました。その時のIさんの話題は、多くは故郷のことでした。
急な病を予知することはできませんでした。脚の痛みがまず出て、外科的な診察・治療を続けておられましたが、CT撮影により内臓の癌であったことが発見され
た時には、進行が進んでいました。当時は、CTを初め検査の態勢も現在と比較にならないほど遅れていたでしょうし、治療のレベルもまた然りで、文字通り
「不治の病」でしたし、今では隔日の感がありますが、本人への告知もなされませんでした。病院の婦長をしておられた奥様の葛藤はいかばかりだったかと、
今、改めて推し量られます。

 テニスして伊豆に遊びし日もありき 
篤(あつ)き病の兆(きざ)しも知らで

ガンガンとやって損することなしと 
病をおして署名に立つ君

たたかいのさなかに倒れすまんという  
無念の君の涙いたわし

やつれたる頬に笑みあれど  
握る手のかそけき力口惜しきかな

枕辺の署名用紙を示しては
見舞う人ごと反核説く君

混濁の意識のなかで 
“国機法許さじ”と説く君の気丈さ


ここで「国機法」とあるのは、当時、「スパイ防止法」と称して制定が企まれていた「国家機密法(国家秘密法)」のことで、「戦争への一里塚」、民主主義の根幹に関わる課題だとして、Iさんは反対運動の先頭に立っていました。闘病中の1985年に法案が国会上程されましたが、国民的な反対運動により廃案となりました。残念ながら、Iさんは、生きて廃案の決定を知ることはありませんでした。
いま、時をへて、手を変え品を変えて、アベ内閣が強行成立させた特定秘密法と、今度の戦争法案にたいして、Iさんはきっと、あの世で、切歯扼腕、警鐘乱打している事でしょう。
アベ内閣の特定秘密法については、このブログでも再三書きました。新しいものから順に、並べてみます。

八日目の蝉もをるらん原爆忌
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第8回
リメンバー パールハーバー お互いに
郷愁という名のメルヘン カルロス爺さんの思い出 連載第5回
だまされも だましもせぬと 誓うた日 
戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”   木下透
ペンの日を泥足で踏む秘密法
立冬や 審議に入る秘密法

思えば、時は中曽根内閣時代で、中曽根康弘首相は、ロナルドレーガン米大統領と「ロン、ヤス」とファーストネームで呼び合う仲を誇示しながら、日本をアメリカの「浮沈空母」とする動きを露骨に強めていました。
中曽根内閣は、「臨調行革」で福祉・教育・国民生活をばっさり切り捨てて、「国民総我慢」を強いながら、軍備拡大は最優先で進めました。行革の次は教育改革だとして、「教育臨調」による教育改革を通して、「浮沈空母」の乗組員を育てる意図をむき出しにしていました。
盟友のレーガンは、ソ連・東欧諸国を「悪の同盟」ときめつけ、核戦争も辞さずとの強行姿勢をあらわにしていました。それだけに、「核戦争阻止・核兵器禁止」の声は緊急切実でした。Iさんは、死の床にあって、見舞いに訪れる人に訴え、署名を求めたと言います。

最近のニュースで聞き覚えのある名前を久しぶりに聞きました。横須賀を母港とする原子力空母、ジョージ・ワシントンに代わって、「ロナルド・レーガン」が新たに入港したというのです。
原子力空母「ロナルド・レーガン」は、満載排水量9万7千トン、全長333メートル。乗組員は約5千人と世界最大級の空母で、福島原発などと同じ加圧水型の原子炉2基を搭載搭載しているのだとか。
クリス・ボルト艦長は、「厳しいルールや基準に従って運用しているので、100%安全だと自負できる」と述べたそうですが、「100%安全」という言葉ほど信じられないものはないのですがね。



今日は、柿や野菜をもらいに、田舎の実家に帰って来ました。









ツマグロヒョウモンがいました。













ベニシジミも。





今日はここまでです。

 

 


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majyo

亡きIさんとの思い出の短歌 いくつか読みながらジーンときます
45歳とはあまりに早いその死
そして病床にも署名を求めるその姿勢
惜しい方を亡くされましたね。
しかし、kazg さんによってその方の生きざまが私の胸にしっかり刻まれました
ライオンの名を生徒より頂いたその方の生きた証を
今日、胸に刻みます

最近嫌な名前を思い出しました
ロナルド・レーガンです。
中曽根氏の日の出山荘へ行き、すごいねえ~ 素敵!という声とは違い
私は、何故か不愉快にもなりました。今もご存命ですが
したたかに生きていらっしゃるようで・・・・

kazg さん、東京にいらしていたのですね


by majyo (2015-10-04 20:25) 

kazg

majyo 様
ごくごく私的な思いを綴った記事でしたのに、共感的に受け止めていただき、恐縮かつ感謝です。Iさんを敬愛しつつも、不肖の弟子というやつで、とっくに年齢を追い越しましたが、今も仰ぎ見る存在です。
東京には、20代の終わりから30代にかけて、5年ほど住みました。遠い過去になりましたが。

by kazg (2015-10-04 21:54) 

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