先日、友人グループの集まりで、そのうちのひとりH女史から、「ちんすこう」をいただき、美味しく食しました。職場の労働組合の役員として地域でも奮闘されている息子さんが、先日沖縄宜野湾市の選挙の応援に赴かれたお土産だとのこと。
息子さんによれば、「辺野古移設容認」の現職勝利という結果は非常に残念だが、現職市長は辺野古問題に一切触れず、徹底的な争点隠しに終始するとともに、圧倒的な物量による応援と、強行的とも言える投票動員が目についたそうです。
当日の出口調査では、多くの投票者が重視したのは「普天間移設」問題と答える一方、政府の「辺野古移設」の姿勢を「支持しない」が約55%だったそうです。「今回の結果は、あくまで『世界一危険』と言われる普天間基地を一日も早く返還して欲しいという市民の願いの表れだ。辺野古移設が承認されたと解釈するのは無理」(毎日)という指摘の通り、今回の選挙結果をもって、辺野古移設が住民に指示されたなどと言いくるめて強行することは許せません。
ソネブロのお友達majo様の、最近のブログ記事
「街宣2か所と沖縄基地反対デモ②」でこの歌が紹介されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=cmBEmVBEhNw
私も以前この記事「
大寒や沖縄に春いちはやく」にこんなことを書きました。
聞いたり読んだりして想像するのと、実際に目で見て確かめるのとは大違いです。父祖伝来の土地・田畑が金網の向こうに囲われ、そこにアメリカ合衆国がある。 本来のお持ち主であり住人であるはずの人々が、衛兵の機関銃で脅されるという逆さごと。しかも、そこを拠点に、かつてはベトナム・インドシナへ、そして中 東へと、無数の殺人機が飛び立っていくことの歯がゆさ。その「切歯扼腕」の想いは沖縄の人たちの、陽気な明るさの内面に、70年近くもの間深く沈殿し続け ているはずです。 こんな歌のフレーズが耳を離れません。 タンポポ 【作詞】狩俣 繁久 【補詞】小森 香子 【作曲】大西 進 1.金網のむこうに小さな春を つくってるタンポポ 金網のそとにも小さな春を つくってるタンポポ ひかりいろしたタンポポは 金網があっても金網がなくても 沖縄じゅうに春をふりまいたでしょう 2.デモ隊の足下にひかりの花を さかそうとタンポポ 米兵にふまれてもそれでも花を さかそうとタンポポ 強く生きぬくタンポポを 金網のない平和な緑の沖縄に みんなのねがいをこめてさかせてやりたい
「ガンバロー」の作曲者としても荒木栄作曲の「沖縄を返せ」も、脳裏に浮かびます。 作詞 全司法福岡高裁支部 作曲 荒木 栄
1 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我等と我等の祖先が 血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ 我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は 沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ
2 固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ 我等と我等の祖先が血と汗をもて 守り育てた 沖縄よ 我等は叫ぶ沖縄よ ……ref…… 沖縄を返せ |
この「沖縄を返せ」の歌は、1960年代から70年代にかけての、ベトナム戦争反対・日米安保条廃棄をめざした国民的運動と一体となった沖縄返還=本土復帰運動のさなか、盛んに歌われ、私なども大学に入学したての頃に初めて参加したデモ行進などで、聞き真似で歌いながら歩いた曲でした。
同じ頃の、新入生歓迎行事の一環だったでしょうか、大学の大教室で、映画「沖縄」の上映会があったと記憶しています。
解説(goo映画より) 「ドレイ工場」の武田敦が脚本・監督した長編劇映画。第一部=一坪たりともわたすまい、第二部=怒りの島、共通のテーマは“民族の自覚に燃えた怒り"。撮影は「砂の女」の瀬川浩が担当した。
■あらすじ 〈第一部=一坪たりともわたすまい〉昭和三十年。「アメリカーナのものを盗むのは戦果だ」これが代々の土地を奪われた三郎の生活哲学だった。三郎は仲間の清と、基地周辺を物色中、黒人とのハーフ・亘とその姉朋子を知った。米軍基地拡張に伴う平川集落の強制接収が威嚇射撃で始った。古堅らの抵抗は厳しく身体を張ってのものだった。演習が始まり、朋子の祖母カマドが戦闘機の機関銃弾を受けて死んだ。だが、米軍は何の保証も与えなかった。カマドの葬式の日、朋子は、米軍にとりいって資産を殖す山城の静止を破って、軍用地内の墓に向った。白旗ののぼりをたてて連なる葬列、それは抗議の列でもあった。それから間もなく農民たちの闘いは全沖縄の闘いへと拡がっていった。 〈第二部=怒りの島〉それから十年。三郎は父親の完道と共に米軍基地に、朋子はドル買い密貿易などに、そして亘は軍用トラックの運転手として働いていた。 ある日、三郎と朋子は米軍曹長より、模擬爆弾や薬莢の換金を頼まれた。朋子はここぞとばかり買いたたき、その度胸は三郎を驚かせた。完道が足に負傷してクビになった。軍労働者の怒りは、やがてストライキ闘争へと発展、米国は威信にかけて弾圧した。三郎は米兵に拉致され、朋子は山城の企みで逮捕され亘も解雇された。山城の息子、朝憲は、亘が軍用トラックにひかれて死ぬと、アメリカ民主主義のウソを、軍人法廷で糾弾、父とも訣別した。動揺する三郎たちに、反米破壊活動で独房入りした知念から、団結の叫びがとどいた。翌朝、沖縄基地にストライキが決行された。
キャスト |
この映画「沖縄」のバックグラウンドミュージックに、「沖縄を返せ」の曲が流れます。
ネット検索していて、youtubeのこのページを見つけました。感慨深く、涙腺がいたく刺激されました。
ところで、この「沖縄を返せ」の歌詞について、「長い間、沖縄の人々(ウチナンチュ)を見捨ててきた本土の人々(ヤマトンチュー)が、「沖縄を返せ」と叫ぶことには抵抗がある」、という趣旨の意見も聞いたことがあり、なるほどもっともだと考えさせられたこともありました。私にとって、喉の小骨といいますか、長年のしこりのようなものでもありました。それが、この間のネット検索で、みごとにすっきり晴れました。
このページやこのページをご覧下さい。
歌っておられる 大工哲弘さんは、沖縄・沖縄県八重山出身で沖縄県無形文化財(八重山古典民謡)保持者、琉球民謡音楽協会名誉会長、全沖縄の民謡協会9団体の共同代表などとしても活躍。島唄、八重山民謡の第一人者として知られている方です。
大工哲弘「ジンターナショナル」
この大工哲弘さんが、1990年代の半ば、この歌の終わりの部分の歌詞「沖縄を返せ」を、「沖縄へ返せ」と歌い始めたのだそうです。コペルニクス的転回です。
1文字違いが、大違いですね。
小さな子ども達に人気の絵本に、「だるまさん」のシリーズがあります。
「だるまさんが」「「だるまさんの」「「だるまさんと」
1文字違いが大違いです。
youtubeにもこんなページがありました。
先週の、大阪行きでも、孫娘へのお土産は「だるまさんの」でした。結構喜んでくれました。
きょうはこれにて。