故事成語シリーズの第五回。
きょうは、「杞憂」です。
 〈原文〉
杞國、有人憂天地崩墜、身亡所寄、廢寢食者。又有憂彼之所憂者。
因徃曉之曰、天積氣耳、亡處亡氣。若屈伸呼吸、終日在天中行止。奈何憂崩墜乎。
其人曰、天果積氣、日月星宿不當墜耶。曉之者曰、日月星宿亦積氣中之有光耀者。只使墜、亦不能有所中傷。
其人曰、奈地壞何。曉者曰、地積塊耳。充塞四虚、亡處亡塊。若躇歩跐蹈、終日在地上行止。奈何憂其壞。其人舍然大喜、曉之者亦舍然大喜。

〈書き下し〉
杞(き)の国に、人の天地の崩墜(ほうつい)して、身寄する所亡(な)きを憂(うれ)え、寝食を廃(はい)する者有り。又彼の憂うる所を憂うる者有り。
因(よ)って往きて之(これ)を暁(さと)して曰く、天は積気(せっき)のみ、処(とこと)として気亡きは亡し。屈伸呼吸のごときは、終日天中に在りて行止(こうし)す。奈何(いかん)ぞ崩墜を憂えんやと。
其の人曰く、天果たして積気ならば、日月星宿(じつげつせいしゅく)は当(まさ)に墜つべからざるかと。之を暁す者曰く、日月星宿も亦(また)積気中の光耀(こうき)有る者なり。只(たとい)墜(お)ちしむるも、亦(また)中(あた)り傷(やぶ)る所有る能(あた)わじと。
其の人曰く、地の壊(こわ)るるを奈何せんと。暁す者曰く、地は積塊(せっかい)のみ。四虚(しきょ)に充塞(じゅうそく)し、処(ところ)として塊(かたまり)亡きは亡し。躇歩跐蹈(ちょほしとう)するがごときは、終日地上に在りて行止す。奈何ぞ其の壊(くず)るるを憂えんと。
其の人舎然(せきぜん)として大いに喜び、之を暁す者も亦舎然として大いに喜ぶ。

〈解釈〉
中国古代の周の時代のことでしたワ。今の河南省に位置する「杞の(き)国」に、ゴッツゥ心配性のオッサンがおりましてナ。ひょっとして、天や地ががらがらと崩れ落ちて、身のおきどころがなくなりゃせんかいナ、心配で心配でたまらんんで、夜も寝られず、食事も喉を通らぬありさまでしたんや。
また、このオッサンの度はずれた心配ぶりを、心配している人がおりましたんや。
せやさかいに、そのオッサンのところへて出かけて行って、言い聞かせてやりましたんや。
「天ちゅうもんは、大気が積み重なって出来ただけのものやさかい、大気がないところなんぞあらしまへんで。からだをまげたり伸ばしたりするのも、いっつも天の中でやってんのでっせ。どうして天が崩れ落ちるのを、心配する必要なんかありますかいな。」
「天がほんまに大気の積もったもんやったら、お日さんやお月はんやお星さんかて、落ちてくるんやないやろか?」
「お日さんやお月はんやお星さんかて、積もりかさなった大気の中のきらきら輝いているモンなんや。たとえ落ちてきたかて、あたって怪我をさせることなんかあらしまへんわ。」
オッサンはまた言いましたんや。
「地べたが壊れてしもうたらどないしまひょ?」
説得に行った人は、こう言い聞かせましたんや。
「地べたは土のカタマリが積もっただけやで。それが四方のすき間に充満して、土塊のない所なぞあらしまへん。いつだって、ドシンドシンと地面に足を踏みつけて歩いているやおまへんか。
なんで、地べたが壊れるのを心配する必要がありまっかいな?」

オッサンは心配が晴れて大喜び、説得にきた人も胸がすっきりして喜んだトサ。めでたしめでたし