この週末、ゼロ歳児の孫が発熱したとのことで近所の小児科を受診すると、念のために大規模病院でみてもらうのが安心と、救急外来への紹介状を書いてくださったそうです。この土日、ムコ殿は県外に出張とのことで、我が家に一泊することにしました。
症
状は心配するほどでもなく、幼い咳と鼻水が残る程度で、熱もまもなくおさまって、ひとまず安堵しました。従姉の一歳児も、何日も微熱が続き、咳・鼻水も収
まりませんが、今日あたりは、靴を履いて戸外を歩きたがります。超がつくほどの快晴で、気温も例年を大きく上回る夏日が続いています。
数日前、サツマイモの苗を植え付けた畑に、昨日水やりにいったところ、周りの麦畑は黄金色が増しています。刈り入れが始まった畑もあちらことらに広がっています。文字どおり、麦の秋、麦秋(ばくしゅう)の風情です。
過去の記事を探ってみると、今年は少し早いかもしれません。
塞翁が馬なるべけん麦の秋
金色(こんじき)の風放縦(ほしいまま)麦熟るる
蒼穹の果てまで香りて麦刈らる
ジャガイモの葉に、テントウムシが集まっています。
アリマキを退治てくれているのでしょうか?
これは先日の「ひいご池」のテントウムシ。
「ひいご池」には、こんな友人もいました。
年若いウシガエルです。
こちらは、そのオタマジャクシ。
カエルがいればヘビもいる。
昔こんな記事を書きました。
芋の葉を日傘に幼き蛙哉その中で引用した草野心平氏の詩を再掲します。
ヤマカガシの腹の中から仲間に告げるゲリゲの言葉
草野心平
痛いのは当り前じゃないか。
声をたてるのも当りまへだらうじやないか。
ギリギリ喰はれているんだから。
おれはちっとも泣かないんだが。
遠くでするコーラスに合はして歌ひたいんだが。
泣き出すことも当り前じゃないか。
みんな生理のお話じゃないか。
どてっぱらから両脚はグチヤグチャ喰ひちぎられてしまって。
いま逆歯が胸んところに突きささったが。
どうせもうすぐ死ぬだらうが。
みんなの言ふのを笑ひながして。
こいつの尻っぽに喰らひついたおれが。
解りすぎる程当然こいつに喰らひつかれて。
解りすぎる程はっきり死んでゆくのに。
後悔なんてものは微塵もなからうじゃないか。
泣き声なんてものは。
仲間よ安心しろ。
みんな生理のお話じゃないか。
おれはこいつの食道をギリリギリリさがってゆく。
ガルルがやられたときのやうに。
こいつは木にまきついておれを圧しつぶすのだ。
そしたらおれはぐちゃぐちゃになるのだ。
フンそいつがなんだ。
死んだら死んだで生きてゆくのだ。
おれの死際に君たちの万歳コーラスがきこえるように。
ドシドシガンガン歌ってくれ。
しみったれいはなかったおれじゃないか。
ゲリゲじゃないか。
満月じゃないか。
十五夜はおれたちのお祭じゃあないか。
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こんな記事も書き(
生老死悟り顔なる夏蛙)、水上勉氏の「ブンナよ木から下りてこい」の一節を引用しています。
抜き書きメモ
「弱いってことは、わるいことではないよね、かなしいことだけど……わるいことではないよね」(雀の言葉)
「ブンナよ、おまえはいつでも死ぬ覚悟ができているか。この世は弱肉強食の世界だ。かえるにうまれたおまえは、いつへびにみつかっても、鳶にみつかっても、みぐるしくなく、つれていゆかれる心ができていなければならない。ブンナよ、覚悟はできているか」(老蛙の言葉) |
その「ひいご池」の次に備中国分寺を訪ねたことは先日書きましたが、五重塔の側の小さな池に、こんな大物がおりました。
たいした風格です。
ウシガエル君は、過去記事にも何度も登場しましたが、写りが鮮明なのはこんなところでしょうか?
蓮池にとぷり湯浴みの夏蛙
誰も皆黙祷すべし長崎忌さて、ところで、昨日は、ジャガイモ畑の片隅に、アマがエルを見つけました。境界の指標として地面に打ち込んである鉄パイプの中が、安全なのでしょうか?
今日はこれにて。