当選者確定後の東京都都知事選挙について、なかなか感想がまとまりません。
そんなとき、so-netブログの「お仲間」(と勝手に呼んで失礼かもしれませんが)五十嵐仁様のブログに、こんな記事
(8月3日(水) 東京都知事選挙はどのような視点から総括されるべきか )がありました。
たまたま、さきしなのてるりん様も昨日の記事に書いておられました。
2016-08-03 都知事選の結果のまとめ方 五十嵐仁氏のブログに同感 [雑感]
てるりん様の「全く同感」に、全く同感です。
五十嵐氏は都知事選挙の結果について、ネットなどで様々な意見や総括が飛び交っています。とりわけ野党共闘と市民が擁立した鳥越さんが直前の参院選で得た野党各党の合計票を大きく下回ったために、陣営内部での対立や紛糾が生じているように見えます。
選挙の総括をめぐって事実認識や見解の相違が生ずるのはやむを得ないことですが、それが対立や分裂を生むことになっては困ります。この点を憂慮しつつ、都知事選挙はどのような視点から総括されるべきかについて、私見を述べさせていただきます。
と、3点にわたって「私見」を述べておられます。
全文をご紹介したいところですが、まとめの部分のみ、少々引用させて戴きます。
しかし、鳥越さんは立候補するべきではなかった、野党は共闘するべきではなかった、宇都宮さんは辞退するべきではなかったなどという後ろ向きの意見には賛成できません。そのどれ一つが欠けても有力候補の一角を占めることはできなかったでしょうし、当選できると信じて選挙戦を戦うことは難しかったでしょう。 革新都政の奪還は「夢」に終わりましたが、その「夢」を見せてくれたのは立候補を決断した鳥越さんであり、それを支援した野党と市民の共同であり、分裂を回避するための宇都宮さんの苦渋の決断でした。そのどれ一つが欠けても、「夢」を見ることは不可能だったのではないでしょうか。 (中略) 選挙の総括によって教訓を引き出すことは必要ですが、それはあくまでも団結を強めて前進し勝利するためのものでなければなりません。分裂を引き起こして後退するようなことになれば、選挙での敗北に加えてさらにもう一度敗北することになります。 選挙が終わっても、都民の手によって都民の手にクリーンな都政を取り戻すための闘いは続きます。選挙の総括はこのような闘いの一環であり、次に勝つための条件を探りそれを生み出すための作業でもあるということを忘れないようにしたいものです。 |
話は変わります。
先日、部屋のお掃除を試みた件は書きました、ゴミはたくさん出ましたが、部屋はちっとも片付きません。
ただ、昔の資料を整理したついでに、この季節に関係のありそうなネタをひっぱり出してきました。
古い学級通信です。
奥付を見ると、 1988年の8月、当時の高校二年生に向けて発行した通信らしいです。
30年近くも前の文章。 古い手紙を読み返すような感慨を覚えます。
B4裏表印刷で、文字は当時もっぱら使用していたワープロ専用機「sharp書院」で「ベタ記事」を書き、プリンターで打ち出したものを、はさみで細かく切って、原稿用方眼紙にのり貼りしてレイアウトしたものです。仕上がりのお粗末さは愛嬌というものですが、手間暇がかかっていたことは間違いありません。
こちらが第1面。
2面の記事を文字に起こしてみました。
8月に寄せて 灼熱の太陽が照りつける海原を、涼しげにヨットはすべりゆき、砂浜は、若者と子どもらのさざめきに満たされている。 入道雲、蝉時雨、かき氷、甲子園、花火大会、盆踊り。 今年もまた、こうして暑い夏がやって来た。
もうひとつの8月の情景 この季節は、私の思いを、もう一つの情景へと運ぶ。 電車が、車が、こどもらのあどけない笑い顔が、一瞬の閃光とともに凍りつき、その影だけを残して蒸発してしまった時のこと。 眩い光と無気味な地鳴りとともに、激しい熟風がコンクリートを砕き割り、鉄骨を飴のようにねじまげ、地上が地獄の呻き声に満たされた時のこと。 これら、ニンゲンの手でひきおこされた、8月6日ヒロシマ、8月9日ナガサキのできごとへと。 いま、世界には、五万発の核兵器があるという。 広島型原爆の百万倍。それは、そのわずか5%が使用されただけで、地球は太陽の光がさえぎられ、氷の惑星に化するという。 今、南半球(注 「地球の南の地帯」と書くべきでした)では、2億の人々が恒常的な飢えに直面しているという。その一方で、核軍拡という、人類自減につながる膨大な浪費が続けられている。ニンゲンとは、なんと愚かしい生き物か。 いや、そうではないはずだ。 人間に理性と英知が宿されているなら、愚かしいあやまちは繰り返されてはならない。 大人になれなかったあなたがたへ どんな悪いいたずらをしたわけでもないのに、この世で暗黒の地獄を見、「怖いよう、熱いよう」と泣きながら、ひとりばっちで死んでいった幾万人のヒロシマ・ この灼熟の夏空のもと、私の耳には、あなたがたの恨みの声が、かの峠三吉の詩と重なって違く聞こえてくる。 《ちちをかえせ ははをかえせ/としよりをかえせ/こどもをかえせ/わたしをかえせ わたしにつながる/にんげんをかえせ/にんげんのにんげんのよのあるかぎり/ くずれぬへいわを/へいわをかえせ》と。 いま、今年の夏に 今年も、暑い夏がやって来た。釣り船に、潜水艦が衡突したり、原子力発電所の間近に軍用機が墜落したり、戦闘機どうし接触墜落したり、小学校の教科書に「軍神」東郷元帥が登場したり、戦争放棄、戦力不保持をうたった平和憲法下のこの国に、何やらきな匂いが立ちこめている夏だ。 今月の歌 正田 篠枝 太き骨は先生ならむそのそばに小さき頭の骨集まれり 子と母がつなぐ手の指はなれざる二つの死骸水槽よりいづ 酒あふり酒あふりて死骸焼く男のまなこ涙に光る | |
また8月6日・9日が近づきました。
あのときも、こんなセミがかしましく鳴いていたことでしょう。
晴れた真夏の公園のクマゼミ posted by (C)kazg
晴れ た真夏の公園のクマゼミ posted by (C)kazg
晴れた真夏の公園のクマゼミ posted by (C)kazg
晴れた真夏の公園のクマゼミ posted by (C)kazg
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今日はこれにて。