今日は節分です。

留学生相手の日本語授業で、昨日は節分を題材にしたプリントを作ってみました。作成に結構時間がかかりました。

少しだけご紹介します(一部改作。また、実際には漢字の多くにふりがなを施していますが、煩雑になりますのでこのページでは省略します。)

  次の文章を読んで後の問に答えなさい。

 一年を24等分する暦「二十四節気」の中に、①「立春」②「立夏」③「立秋」「立冬」と呼ばれる日がありますが、それぞれの前日を「節分」と呼びます。「季節を分ける日」という意味です。

節分の風習は. 奈良時代頃、中国から伝来し、 平安時代に宮廷の行事として定着したと言われます。

 節分は、もともと一年に四回ありますが、なかでも「立春」が一年の始まりとして、とくに尊ばれたため、節分といえば次第に春の節分のみをさすようになったようです。

古来、季節の変わり目には鬼が出ると言われていて、節分に豆をまいて鬼を追い払う行事は、室町時代から続いています。

豆まきは、普通、「福は内、鬼は外」と掛け声をかけます。これは邪気=鬼を払って福を呼び込むということですが、場所によっては⑤「鬼は外」という言葉を言わなかったり、⑥「福は内、鬼は内」というかけ声をかけるところもあるのです。

 例えば千葉県にある成田山新勝寺では、「福は内」とだけ言って、「鬼は外」とは言いません。これはご本尊の不動明王の力がとても強力なため、あえて鬼を外に払う必要がないからだそうです。

 また奈良の元興寺や、青森県弘前市の鬼神社、埼玉県嵐山町の鬼鎮神社など各地の鬼に関連する神社でも「福は内、鬼は内」という掛け声になります。

 

問1 次の①~④の漢字の読み方を書きなさい。
①「立春」               ②「立夏」

③「立秋」               ④「立冬」


問2  節分の豆まきは、「鬼」を追い払って福を呼び込もうとする行事ですが、「鬼」とは何のことだと書かれていますか。漢字二文字で答えなさい。



問3 傍線部 ⑤「鬼(おに)は外」という言葉を言わなかったり、傍線部⑥「福は内、鬼は内」とむかけ声をかけるところ に当てはまるのはどこですか。文章中からそれぞれ一つ抜き出して答えなさい。

ところで、豆まきのかけ声について、こちらhttps://allabout.co.jp/gm/gc/220642/) に興味深い記事がありましたので引用させていただきます。

●仏立山真源寺(東京都台東区) →「福は内、悪魔外」

鬼子母神を御祭神としており、「恐れ入谷の鬼子母神」で有名。鬼子母神とは、他人の子供を襲って食べてしまう鬼神でしたが、見かねたお釈迦様が彼女の末子を隠し、子供を失う悲しみを諭します。それ以来仏教に帰依するようになり、子供の守り神となりました。

●鬼鎮神社(埼玉県比企郡嵐山町) →「福は内、鬼は内、悪魔外」

鎌倉時代の勇将・畠山重忠の館の鬼門除けとして建立したので「悪魔外」。また、金棒を持った鬼が奉納されているので「鬼は内」です。

●元興寺(奈良県奈良市) →「福は内、鬼は内」

寺に元興神(がごぜ)という鬼がいて、悪者を退治するという言い伝えがあります。

●稲荷鬼王神社(新宿区歌舞伎町) →「福は内、鬼は内」

「鬼王」として「月夜見命」「大物主命」「天手力男命」の三神を祀っています。

●天河神社(奈良県天川村) →「鬼は内、福は内」

鬼は全ての意識を超えて物事を正しく見るとされているため、前日に「鬼の宿」という鬼迎えの神事を行い、鬼を迎い入れてから節分会をします。

●金峯山寺蔵王堂(奈良県吉野郡吉野町)→「福は内、鬼も内」

全国から追われた鬼を迎い入れ、仏教の力で改心させます。

●千蔵寺(神奈川県川崎市) →「福は外、鬼は内」

厄神鬼王(やくじんきおう)という神様が鬼を堂内に呼び込み、悪い鬼に説教をして改心させ社会復帰させます。

●大須観音(愛知県名古屋市) →「福は内」のみ

伊勢神宮の神様から授けられた鬼面を寺宝としているため「鬼は外」は禁句です。

●成田山新勝寺(千葉県成田市) →「福は内」のみ

ご本尊の不動明王の前では鬼も改心するとされています。

鬼さん、いらっしゃ~い 【地域編】


●群馬県藤岡市鬼石地区 →「福は内、鬼は内」

鬼が投げた石でできた町という伝説があり、鬼は町の守り神。 全国各地から追い出された鬼を歓迎する「鬼恋節分祭」を開催している

●宮城県村田町 →「鬼は内、福も内」

羅生門で鬼の腕を斬りとった男(渡辺綱)が、この地で乳母にばけた鬼に腕を取り返されてしまったため、鬼が逃げないよう「鬼は内」という。

●茨城県つくば市鬼ケ窪 →「あっちはあっち、こっちはこっち、鬼ヶ窪の年越しだ」

あちこちで追いやられ、逃げ込んできた鬼がかわいそうで追い払うことができないため「あっちはあっち、こっちはこっち」。節分の豆まきは新春(春分)を迎える前日の厄払いであり、昔は新年を迎える前日としてとらえていたので「鬼ヶ窪の年越しだ」と言っていたそうです。

鬼を追い出すと家が困ってしまいます 【家の事情編】


●鬼頭さん、鬼沢さん、九鬼さんなど名字に「鬼」のつく家 →「鬼は外」以外の口上が多い

鬼を追い出してしまったら、縁起が悪いです。

●伝統的な商家 →「鬼は内」

商家では鬼=大荷としてとらえ、大きな荷物が内 (家・お店)に入らないと商売繁盛につながらないため、「鬼は内」というところが多いのです。

●ワタナベさん →鬼を退治する必要がないので、「鬼は外」と言わない(豆まきもしない!?)

平安時代に渡辺綱が鬼退治をしたため、鬼たちがワタナベ一門を恐れ、子孫にも近づかなくなったという説があります。



上級者を対象に、過去記事◇福は内 福は内とて 春待たるを元にこんな問題もつくって見ました。



次の文章を読んで後の問に答えなさい。


 節分と言えば、「枕草子二二段」に、「すさまじきもの」という章段があります。「すさまじ」という古語は、現代語のニュアンスとはかなり異なり、「興ざめだ」とか。「殺風景だ」とか訳されます。くだけた言葉で言えば、「しらける」「ドッチラケル」という感じでしょうか。

 すさまじきもの、①昼吠ゆる犬。春の網代。三、四月の紅梅の衣。牛死にたる牛飼。稚児亡くなりたる産屋。火おこさぬ炭櫃、地火炉。②博士のうち続き女児生ませたる。方違へに行きたるに、あるじせぬ所。③まいて節分などは、いとすさまじ。(以下略)

【現代語訳 】 しらけちゃうもの。昼間っから吠える犬。春の網代。(網代は、宇治川などで行われた伝統的な漁法「網代漁」で用いる漁具。川中に立てた杭に、竹や木で編んだ仕掛けを設置し、氷魚(鮎の稚魚)なんかを獲った。これって、ゼッタイ冬のもの!)

 三、四月頃に着ている紅梅襲の衣。季節外れでダサイったらありゃしない。

 飼ってる牛が死んじゃった牛飼。 赤ん坊が死んじゃった産室。 火をおこさない角火鉢。いろり。 博士が、次からつぎへ女の子を産ませているの。方違えに行ったのにごちそうをしない所。まして節分の方違えにごちそうしない家などは、どっちらけでやんなっちゃうわ。



註 「旺文社古語辞典」にはこうあります。

かたたがへ(方違へ):(名詞)「かたたがひ」とも。陰陽道で、外出する際、天一神 ・太白神・金神などのいる方角をさけること。行く方角がこれに当たると災いを受けると信じ、前夜別の方角の家
(「方違へ所」)に泊まり、そこから方角を変えて目的地に行く。=忌み違へ。「─にいきたるに、あるじせぬ所(=ゴチソウヲシテクレナイ家)」 
「あるじす」という言葉は、「主す」。方違え先の主人が、ゲストをご馳走してもてなすという意。「方違え」にまつわる風習であったようです。同じ「旺文社古語辞典」は、「節分違へ」をこう説明しています。

せちぶんたがへ(節分違へ):(名詞)節分の日に行う「方違へ」。平安時代、節分に「方違へ」をする風習があった。「─などして夜ふかく帰る」枕草子298
節分(せつぶん/せちぶん)は、「季節を分ける」意で、もともと各季節の始まりの日=「立春」「立夏」「立秋」「立冬」のそれぞれの前日をさしました。立春は1年のはじまりとして特に尊ばれたため、次第に、もっぱら節分といえば春の節分のことをさすようになりました。



問1 ①「昼吠ゆる犬」が興ざめである理由を次の文の(    )に適切な語を入れて説明しなさい。

  ◎犬は(         ) 吠えるのが似つかわしいと考えられるから。


問2 ②「博士」の家に女児ばかり生まれるのは、なぜ興ざめなのか、次の文の     に適切な語を入れて説明しなさい。

  ◎その時代、博士は(         )  だけが継ぐことのできる官職だったから。



 問3 ③「まいて節分などは、いとすさまじ。」とありますが、作者は、節分にはどうあるべきだと考えていますか、簡潔に答えなさい。


「日本語」の習得に役立つかどうかは別として、日本文化への関心は刺激できるかも、と思って、考えたのですが、、、。

一時間目、教室へ行ってみると、席には中国人の男子学生ひとりだけ。春節の時期でもあり、帰省中の学生もあろうかと覚悟はしていましたが、出席ひとりとは想像を超えていました。

ちょっと気落ちして、プリントではなく自分のやりたい自習をするかと水を向けてみましたが、プリントをやるといいます。しばらくして、もうひとり、中国人女子学生があらわれ、このふたりと2時間の授業、節分のプリントにつきあってもらいました。

ひきつづき、別クラスの2時間は、10人ほどをあいてに、同じことを繰り返しました。

費やした労力に比べて、「達成感今少し」の悔やみが残りますので、腹いせにここに紹介させていただきました。

春と言えばウグイスですが、これ、ウグイスでしょうか?

























昔、こんな記事を書きました。一部引用します。


◇お名前は? 鶯宿、紅さし、そして南高

 

梅の品種名は優美なものが多いようです。


その筆頭は鶯宿でしょうか?ウグイスの宿と書いて「おうしゅく」と読むようです。


辞書に、こんな説明があります。


 
村上天皇の時、清涼殿前の梅が枯れたので紀貫之(きのつらゆき)の娘紀内侍(きのないし)の家の梅を移し植えたところ、枝に「勅なればいともかしこしうぐ
ひすの宿はと問はばいかが答へむ」という歌が結んであり、天皇はこれに深く感じて梅の木を返したという、拾遺集・大鏡などにみえる故事。また、その梅の木。

2 梅の一品種。香りがすぐれ、花は白、または紅・白まじって咲く。《季 春》 (デジタル大辞泉)

 

「大鏡」の該当部分はこうです。
 
「いとをかしうあはれにはべりしことは、この天暦(てんりやく)の御時(おほんとき)に、清涼殿(せいりやうでん)の御前の梅の木の枯れたりしかば、求めさせたまひしに、なにがしぬしの、蔵人(くらうど)にていますがりし時、承りて、



『若き者どもはえ見知らじ。きむぢ求めよ。』



とのたまひしかば、一京(ひときやう)まかり歩(あり)きしかども、はべらざりしに、西の京のそこそこなる家に、色濃く咲きたる木の、様体(やうだい)うつくしきがはべりしを、掘り取りしかば、家あるじの、



『木にこれ結(ゆ)ひつけて持て参れ。』



と言はせたまひしかば、あるやうこそはとて、持て参りてさぶらひしを、



『何ぞ。』



とて御覧じければ、女の手にて書きてはべりける、



  勅なればいともかしこし鶯(うぐひす)の宿はと問はばいかが答へむ



とありけるに、あやしくおぼしめして、



『何者の家ぞ。』



とたづねさせたまひければ、貫之(つらゆき)のぬしの御女(みむすめ)の住む所なりけり。



『遺恨のわざをもしたりけるかな。』



とて、 あまえ、おはしましける。



繁樹(しげき)今生(こんじやう)の辱号(ぞくがう)は、これやはべりけむ。



さるは、



『思ふやうなる木持て参りたり。』



とて、衣(きぬ)かづけられたりしも、辛(から)くなりにき。」



とて、こまやかに笑ふ。
 
 
 
例のウルトラ2老人の一人、夏山繁樹の思い出話として語られています。

夏山繁樹はこちらの過去記事でも紹介しました。


《あらすじ》

 清涼殿の梅が枯れたので、代わりの木をさがすようにと、 帝の命令があり、 蔵人は「若い者ではわからんだろう」と、夏山繁樹にこれを命じた。

 京の都中探して見つからなかったが、西京のどこそこの家に、 花も枝振りも美しい梅の木があったので、掘り取ったところ、 家の主人が、梅の枝に手紙を結んで持っていくように言う。

 梅を宮中に運んだところ、帝は手紙をご覧になった。

 手紙には、女性の筆跡で

 「帝のご命令なので恐れ多いことだ。鶯が、私の宿はどうなったのと 訪ねたら、なんと答えたらよいでしょう」

 和歌を書いた家の主人は、紀貫之の娘だった。

 帝は、無風流なことをしたと恥ずかしく思い、 夏山繁樹も、ほうびをもらったが、後味がわるく、 「人生最大のチョンボでしたなあ」、と苦笑いしながら語る。 

 


 今日はこれにて。