前回話題にした岡山後楽園散歩記事の続きです。


最近、妻が、お友達とおしゃべりする場所として後楽園を利用することがしばしばあります。コロナ禍のもと、人出も少なく混雑することもないし、戸外でのおしゃべりなので、密も避けられる、という点に加えて、そのお友達も、スケッチや絵画を楽しむ方だそうで、時間を費やすにはうってつけのようです。私が教育相談ボランティアに出かける日に、一緒に妻を乗せて後楽園に下ろし、午後一緒に帰ることにしています。そのため妻も、年間パスを購入し、既にモトは取ったようです。逆に、私は送り迎えが主で、実際に入園するチャンスがなかなか取れなかったので、先日の園内散歩は、久しぶりでした。


そんないきさつで描いた妻のスケッチを、ご紹介させていただきます。



後楽園の正門近くにある休憩所です。


ネットで調べて見ると「観射亭」と呼ばれるお店だそうです。そのホームページはこちら。


http://okayama-miyage.com/


一部を引用します・




休憩所となった弓場で、花に囲まれ古きを偲ぶ


園内の正門をくぐってすぐ、園路を左手に進むと見えてくる、木造平屋建て、瓦と銅板葺きの建物が「観射亭」です。第二次世界大戦の戦災で焼失しましたが、詳細な資料や絵図に基づいて、1960年に往時の姿そのままに復元されました。その際、備前焼の人間国宝・山本陶秀が手がけた陶蓋が、銅板葺きの屋根の頂点の覆い(天蓋)として用いられています。


隣接する弓場には、「観射亭」同様に復元された屋根付きの射場や、的を置く的場があります。射場から的場までの距離は十四間(約25m)。的場の傍らには、射られた矢の判定をする人が座るために造られた、石囲いの矢見塚が残っています。



遠景を写してみました。中央右側に見えるのが射場、左が観射亭でしょうか。



アップで写すと。



違う方向から見てみます。



次のスケッチは、八橋。



最近ではこの記事で話題にしました。。


梅雨の後楽園追記、の巻(2020-06-14)



先日,妻のアッシーついでに早足で見学した後楽園の写真の追加です。


曲水と呼ばれる水路の途中に橋が架かっています。





「八橋」と掲示があります。この橋のことは,たびたび話題にしました。最近編集したkindle版ブログ本にも、こんな初期の頃の記事を載せています。



ナードサークの折々散歩⑩: 四季の田園風景と折々の思い



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  • 発売日: 2020/05/22

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お名前は?しらん!(2014-05-07)


下の写真は、昨年、岡山市後楽園で写したものです。「八橋」と案内表示がありましたので「カキツバタ」なのだろうと勝手に推測しています。



もとネタは、伊勢物語の有名な「東下り」の段。


昔、男ありけり。その男、身をえうなきものに思ひなして、京にはあらじ、東の方に住むべき国求めにとて行きけり。もとより友とする人、ひとりふたりして行きけり。道知れる人もなくて、惑ひ行きけり。三河の国八橋といふ所に至りぬ。そこを八橋といひけるは、水行く河の蜘蛛手なれば、橋を八つ渡せるによりてなむ、八橋といひける。その沢のほとりの木の陰に下りゐて、乾飯食ひけり。その沢にかきつばたいとおもしろく咲きたり。それを見て、ある人のいはく、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ひければ、よめる。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ
とよめりければ、みな人、乾飯の上に涙落として、ほとびにけり。


【解釈】
昔、男がいたんだってさ。
その男は、自分を世の中の役に立たない不要人物だと独り決めに思い込んで、「都にはもういねえつもりだ。オイラみたいのものでも受け入れてくれる住みよい国を求めて、遠く東国地方を訪ねていこうじゃないか。カールブッセも”山のあなたの空遠く、幸い住むと人の言う、、、”と歌ってるじゃないか。」と言って、旅立って行ったってさ。
古くからの友人、一人二人と一緒に、行ったんだってさ。道を知ってる人もいなくて迷いながら旅して行ったんだって。
そうするうちに、はるか愛知県は三河の国の八橋というところに到着したんだ。そこを八橋と言ったわけは、流れる川が四方八方に分かれて蜘蛛の手のようだったから、橋を八つ渡していたんで、八橋と言ったんだってさ。
その水辺のほとりの木の陰に馬から下りて腰を下ろして、携帯用乾燥メシを食ったんだ。。その水辺にかきつばたがチョーイイ感じに咲いていたんだなあ。それを見て、ある人が言うのに、「かきつばたといふ五文字を句の上に据ゑて、旅の心をよめ。」と言ったので、男が詠んだ歌がこれなんだ。
唐衣きつつなれにしつましあればはるばるきぬる旅をしぞ思ふ(唐衣を繰り返し繰り返し着て、糊がとれて体にぴったりなじんだみたいに、慣れ親しんだ妻が(都に残って)いるので、着物をピンと「張る」のと語呂が同じ、はるばる(遙々)、三河くんだりまで、着物を「着た」みたいに「来た」旅の長い道のりを、しみじみ思って感無量だよ。)
と詠んだもんだから、居合わせた人はみんな、携帯用乾燥メシの上に涙を落として、乾燥メシがふやけてしまったんだってさ。塩味がきいて、さぞおいしかっただろうよ。とっぴんぱらりのぷぅ。
注「から衣 着つつなれにし つましあれば はるばるきぬる 旅をしぞ思ふ」の歌は「修辞」に凝った歌です。
①まず「縁語」。
「衣」に縁のある言葉を揃えています。
衣 → き(着) → なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじむ) → つま(褄) → はるばる(張る) → きぬる(着ぬる)
②「掛詞(かけことば)」一種の駄洒落、親父ギャグのルーツでしょうか。
き(着・来) 、なれ(糊がとれて柔らかくなり身体になじんだ・慣れ親しんだ)、つま(褄・妻)、 はるばる(張る・遥々)、 きぬる(着ぬる・来ぬる)
③「唐衣」は「き(着)」の枕詞(まくらことば)=五文字の飾りの言葉。
④「唐衣きつつ」は「なれ」を導くための序詞(じょことば)=任意の長さの飾りの言葉。
⑤五・七・五・七・七の各句の頭に「か・き・つ・ば(は)・た」が読み込まれています。このようなのを、「折り句(おりく)」の歌と呼びます。言葉遊びの部類ですがね。


(中略)



後楽園の「八橋」がこの「東下り」の逸話にちなんだものであることは、公園自体の案内文に記述してあることを確認しましたので、間違いありません。そして、この「八橋」のたもとに植えてあるのが杜若(カキツバタ)であることも確認できました。


ただ、冒頭の写真の八橋は、この記事のものとは違い、かけ直されたものであることは、朝顔とカキツバタと八つ橋と、の巻(2015-09-02)の記事に書いたとおりです。



追記
去年のこの記事で紹介していた「八つ橋」は、今年の春には新しく架け直されていました。




下は一昨日の撮影です。



曲水の流れの中にアオサギの姿。



曲水のほとりにカラス。



雀もアップで。



今日はこれにて。