月々に月見る月は多けれど月見る月はこの月の月 読み人知らず
この歌には月が8個読み込まれ、八月の月こそ最上だと洒落ています。
旧暦では、七・八・九月が秋で、それぞれ、初秋(ショシュウ)・中秋(チュウシュウ)・晩秋(バンシュウ)、あるいは、孟秋(モウシュウ)・仲秋(チュウシュウ)・季秋(キシュウ)とも呼びます。 
ちなみに、中国では、兄弟を年齢の上の者から順に孟・仲・叔・季といいいます。また、男兄弟のみの場合は伯・仲・叔・季といいいます。勢力が「伯仲する」というのは、長兄と次兄の力が互角であることから用いられた熟語です。また、父母の兄弟姉妹を、「おじ」「おば」と呼びますが、漢字で書く場合には、年上の「おじ・おば」を「伯父・伯母」と、年下の「おじ・おば」を「叔父・叔母」と書き分けるのも、ここに由来しています。
「季」は、末っ子のことで、人名でも、文芸評論家の青野季吉(あおのすえきち)の例のごとく、この字を「すえ」と読むのは、この故です。


新暦では約一月遅れて、八・九・十月が秋とされますから、「中秋」「仲秋」は九月。その満月を、「中秋の名月」として愛でる習慣は古くからありました。
ちょうど昨夜がそれにあたり、今年は快晴で見事な月を堪能することができました。
いくつかのカメラとレンズでの組み合わせで、いろいろ写してみましたが、結局、サマになったのはこの程度でした。

  ↑(この画像の貼り付けに再三失敗していましたので、新たにアップします。画像は、大幅にトリミングしています。他の月の画像も同様。最終訂正9/21am8:15)
これは、PENTAXK5Ⅱに、TAMRON SP 500mm F8 というレフレックスレンズ(ミラーレンズ)をつけて、手動ピント合わせで撮影しました。三脚は使わず手持ち撮影ですが、「手ぶれ補正」「ISO感度の高さ」が有利に働いて、他の組み合わせをしのぎました。


意外に健闘したのが、コンパクトカメラのpentax x-5。一万円そこそこのカメラで、これくらい写れば満足です。


昨夜は、名月に誘われて、孫たちからお呼びがあり、しばらく月見の散歩としゃれた後、月見団子をごちそうになりました。我ながら、風流ですな。


さて、秋の夜長、名月にちなんで、長広舌の蘊蓄話を一席。
まずは、中国、唐代の代表的詩人、「詩聖」=杜甫の詩から。

月 夜 (げつや)  杜甫
今 夜 鄜 州 月
閨 中 只 独 看
遥 憐 小 児 女
未 解 憶 長 安
香 霧 雲 鬟 湿
清 輝 玉 臂 寒
何 時 倚 虚 幌
双 照 涙 痕 乾

【書き下し文】
月 夜 (げつや)  杜甫
今夜、鄜州(ふしゅう)の月
閨中(けいちゅう)只だ独り看(み)るらん
遙かに憐れむ小児女(しょうじじょ)の
未だ長安を憶ふを解せざるを
香霧、雲髪(うんかん)、湿(うるお)ひ
清輝、玉臂(ぎょくひ)寒からん
何れの時か虚幌(きょこう)に倚(よ)り
双(なら)び照らされて涙痕(るいこん)乾かん

【口語訳】
月 夜  杜甫
今夜は、鄜州の空に浮かぶ月を
妻は独りで寝室から見ていることだろう。
私は遙か遠くに残してきた幼子が、
政変に巻き込まれて、長安にいる私の身を案じることも、(幼すぎて)理解できないのを不憫に思っている。
かぐわしい夜の霧は、妻の髪をしっとりとぬらし
月の清らかな明かりは、妻の美しい腕を冷たく照らしているだろう。
いつになったら、ともにカーテンに寄り添って
二人並んで月の光に照らされながら、(別離生活のために流している)涙を乾かすことができるだろうか。


杜甫にはまた、離れて暮らす弟を思う詩もあります。
月夜憶舎弟     杜甫
戍鼓断人行     
辺秋一雁声     
露従今夜白     
月是故郷明     
有弟皆分散     
無家問死生     
寄書長不達     
況乃未休兵     
【書き下し文】
月夜に舎弟を憶ふ 杜 甫
戍鼓(じゅうこ) 人行(じんこう)断(た)え
辺秋(へんしゅう) 一雁(いちがん)の声
露は今夜より白く
月は是(これ)故郷の明(あか)り
弟有(あ)れど皆(みな)分散し
家の死生(しせい)を問うべき無し
書を寄(よ)するも長く達せず
況(いわ)んや乃(すなわ)ち兵を休(や)めざるをや

【解釈】
月夜に弟を思う 杜甫
兵鼓が鳴ると 人通りは絶え
辺塞の秋空に 一羽の雁の声がする
白露節を過ぎ 夜露はいっそう白くなり
月影だけが 故郷と変わらぬ清らかさ
弟はいても みなちりぢりとなり
生死を尋ねる 手がかりもない
便りを出しても 届いたかわからず
まして兵乱は 止むことなくつづいている

月は、遠く故郷や家族を思い出させるものとして、描かれることが多いのです。


つづいては、同時代の詩人、李白。李白は、その豪放磊落な詩風と浮き世離れした生き方から、「詩仙」と呼ばれて敬愛されました。

静夜思 李白
牀前看月光
疑是地上霜
舉頭望明月
低頭思故鄕

【書き下し文】
静夜思 李白
牀前月光を看る
疑ふらくは 是れ  地上の霜かと
頭(かうべ)を舉(あ)げては  明月を 望み
頭(かうべ)を低(た)れては  故鄕を 思ふ

【解釈】
静かな夜の物思い 李白
ベッドの前で月の光を見ている。
銀色に冷たく輝くその光は 地上に降りた霜かとふと疑うほどだよ。
顔を上げて 天に輝く 明るく美しい月を望み見る。
(月の光は私に故郷を思い出させるので)、私はうなだれて、遠く離れた故郷を思うよ。

酒を愛し、月を愛した李白は、その最期を伝える伝説も、浮世離れしています。澄みきった夜空の下で長江に舟を浮かべ、錦の衣に身をまとって酒を飲んでいた李白は、水面に映る月影に魅せられ、これを掴もうとして、川の中に落ちて溺死したと伝えられています。


次も同時代の詩人白居易(白楽天)の詩です。

八月十五日夜禁中独直対月憶元九(白居易)
銀台金闕夕沈沈 独宿相思在翰林
三五夜中新月色 二千里外故人心
渚宮東面煙波冷 浴殿西頭鐘漏深
猶恐清光不同見 江陵卑湿足秋陰

【書き下し文】
八月十五日夜 禁中に独り直し 月に対して元九を憶う 白居易(白楽天)
銀台 金闕 夕沈沈たり
独宿 相思うて 翰林に在り
三五夜中 新月の色
二千里外 故人の心
渚宮の東面には煙波冷かならん
浴殿の西頭には鐘漏深し
猶恐る 清光 同じくは見ざるを
江陵は卑湿にして 秋陰足る

【解釈】
銀の楼台も、黄金づくりの宮殿も、日が落ちて静まりかえっている。
私は独り翰林院に宿直して、君のことを想っている。
今出たばかりの十五夜の月の色を、
二千里の彼方にいる旧友の君も、同じ思いで眺めているだろう。
君がいる江陵の渚宮の東面では川面に夜霧が立ちこめて、冷ややかなのだろう。
私のいる宮中の浴殿の西側では時を告げる鐘の音や水時計のしたたる音が深く響いている。
私は、君がこの清らかな月の光を、私と同じように見ていないのではと気がかりだ。
江陵は土地が低く湿気が多くて、秋空は曇りがちだと聞いているから。

作者は「禁中」(宮中)に直(とのい)つまり、宿直勤務し、月を見ながら旧友を遠く思っているのです。「元九」は「元稹(ゲンシン)」白楽天の親友です。九は一族中の年齢による順による呼び方(排行)によるもので、元氏の9番目の男子というほどの意。このとき、元稹は、江陵に左遷されていました。「三五夜中」は、三五=十五という九九に基づく言葉遊びです。
白居易(白楽天)は、中国以上に平安時代以来の日本で人気が高く、「和漢朗詠集」にも取られて好んで朗唱されました。源氏物語にも、源氏が十五夜の月を見ながら「二千里外故人心」と口ずさむ場面が出てきます。(『須磨』)
私が高校時代の学習参考書に、杜甫と白楽天とが相撲を取って、どっちが勝った?というなぞなぞが紹介されていました。答えは、「ハッキョイ残った」で白居易の勝ち。チョー親父ギャグですが、「サムーイ」と冷笑を浴びせられることもない、おおらかな時代でした。


次も唐の詩人、岑参の作品。
磧中作 岑参
走馬西来欲到天
辞家見月両回円
今夜不知何処宿
平沙万里絶人煙

【書き下し文】
磧中の作
馬を走らせて西来(にしのかた) 天に到らんと欲す
家を辞して月の両回 円(まどか)なるを見る
今夜 知らず 何れの処にか宿せん
平沙万里 人煙を絶つ

【解釈】
砂漠の中で作った詩
馬を走らせて西に向かい、遙か天に到達しそうだ
家を出発してから、月が二度も満月になるのを見た
今夜は、砂漠の中、どこに野営することになるかもわからない
広大な砂漠は、万里の彼方まで、見渡す限り人の営みの気配すらない。

作者は、辺境の地である塞外(万里の長城の外側)に長く勤務し、その実景・実感を詩に残しました。このような、辺境の地に材を取る詩を辺塞詩と呼びます。この詩においてもまた、作者は、都から遠く離れ、異民族とのトラブルが絶えない西域地方に、官命を帯びて赴くのです。人家の影すらない、広漠とした砂漠の中を、何ヶ月も、孤独で不安な旅を続けながら、月の満ち欠けを深い感慨とともに眺め見ているのですが、さて、荒涼たる砂漠を照らす満月の光は、どのようなものなのでしょうか。私の想像の及ぶところではありません。


芭蕉の句にも名月を詠んだものは少なくありません。

「名月や池をめぐりて夜もすがら」

「池」は芭蕉庵にあった古池。蛙が飛び込んだのも、この池だそうです。「夜もすがら」は、一晩中。飽きることなく月に見ほれて池の周りを散策する。誠に風流ですな。

弟子の向井去来の句についての芭蕉の言説もよく知られているでしょう。
「『岩鼻やここにもひとり月の客』(去来)。先師上洛の時、去来曰く『洒堂はこの句を月の猿と申し侍れど、予は客勝りなんと申す。いかが侍るや』先師曰く『猿とは何事ぞ。汝、この句をいかにおもひて作せるや』去来曰く『明月に乗じ、山野を吟歩し侍るに、岩頭又一人の騒客(風流人)を見付けたる。』と申す。先師曰く「ここにもひとり月の客、と己と名乗り出づらんこそ、幾ばくの風流ならん。ただ自称の句となすべし。この句は我も珍重して、笈の小文に書き入れける』となん。予が趣向は猶ニ三等もくだり侍りなん。先師の意を以て見れば、少しの狂者の感もあるにや」(『去来抄』 )

「月の猿」とは、決してふざけたものではありません。漢詩文や、絵画にはしばしば描かれてきた取り合わせなのです。その意味では、ある種「ベタ」な着想であり、それ故芭蕉は「猿とは何事ぞ」と斬って捨てます。
去来の句は、月を愛でて吟歩していると、岩頭に同じような風流人を見つけて、共感を覚えたというもの。だが、芭蕉の言うように、これを自称の句とすれば、月に魅入られた作者自らが、岩鼻から天の月に向かって「ここにもひとり月の客が居りますよ」と呼びかけていることになり、風流の様がいっそう際だつというのです。


月が、人を物狂おしくさせる場合があるというのは、万国共通なのでしょうか?ラテン語に起源を持つ「ルナ」という語が、”狂気”に関わる派生語を種々生んでいるのは、「狼男」の伝説も、思い出されておもしろいことです。
ユーチューブでこんなものを見つけました
www.youtube.com/watch?v=iI8uiQAXOZE

『バンパイヤ』は、手塚治虫が『週刊少年サンデー』(小学館)及び『少年ブック』(集英社)に連載した漫画作品です。特撮テレビ番組化もされ、主人公役は、あの水谷豊が演じています。

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一夜経過して、今夜は十六夜。月の出が遅れて、ためらっているように思えることから、「ためらう」という意味の「いざよふ」にちなんで、「いざよひ」と詠みます。
阿仏尼の書いた『十六夜日記』は、女流日記の系譜の中では異色で、所領相続を巡る紛争の解決のために、鎌倉幕府に訴訟を起こし、京から鎌倉まで赴くという道中記です。題名は、10月16日に旅が始まったことから、後世になって名付けられたよし。直接、十六夜の月には関係なかったですね。
明日の十七夜は、もう少し月の出が遅れるので、立って待つから「立ち待ち月」。明後日の十八夜は、さらに遅れるので座って待つ「居待ち月」。続く十九夜は、寝て待つ「寝待ち月」、、、。
「十六夜の蘊蓄」というタイトルに合致するのは、この数行だけでした。失礼。


この写真は、今夜の十六夜の月。その気で見れば、少し欠けていますかね。

pentaxk5-Ⅱに、smc PENTAX-F ☆ 300mm F4.5 EDの最強コンビ。これも手持ち撮影。古い機種とはいえ、さすが、スターレンズの写りは鮮明ですね。AF精度も、無問題でしょうか。

 

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