冬の日や鏡の上の巫女秋
巫女秋沙はミコアイサと読み ます。何年か前、何も知らずに水鳥にカメラを向けていますと、通りかかりの女性が、「さすがですね。」とか、声をかけて来られました。何やら分からずポカ ンとしてますと、「ミコアイサですね。」と、教えて下さいました。その時の写真は、ぶれぶれのボケボケでした。対象物が遠すぎるし、技術も機材も、追いつ かずでも、エレガントなその容姿は強く印象に残りました。パンダに似ているという顔の黒い模様も、強く自己アピールしています。
次には、ちゃんと写したいなという思いがつのりましたが、それ以来、ミコアイサを見る機会もありませんでした。
今年になって、遠くいに見かけることはあったのですが、今日もそれらしい鳥が浮かんでいるので、一応シャッターだけは切っておきました。
はるか遠くの、点のような被写体を、拡大してみると、、、。
 
 
 


今日の午後、児島湖締切堤防付近で写しました。
ついでに、こんなものも。
キンクロハジロ

オオバン
 またまたゲット
猛禽発見?
 
 
 
こんな所に、ジョウビタキのメス。
 
 
 児島湾大橋遠望
 対岸風景



今日は、午前中、またまた小鳥の森をたずねて見ました。まず、ウォーキングの歩数を稼いだ後、存分に撮影しようと心づもりして、歩き始めました。シニアの方々も、軽快に、山頂方面から降りてこられるのとすれ違ったり、モタモタしている私を追い越して行かれるグループもあったりで、山道はなかなかの賑わいでした。
結構な急坂を大分我慢して登りましたが、頂上まではもう一がんばりが必要というあたりで断念して引き返しました。
途中、エナガの群れに出会いましたが、枝の陰になってまともには写せません。

山道を下り、平地で撮影に専念しようと下山している途中、ぬかるんだ山道に足を滑らせて、またまたステン!と尻餅をついてしまいました。前方から子供連れの家族が通りかかり、あきれ顔で気の毒そうに見ていた様子。(私は、目を伏せたままで、確認していませんが)、湿った泥土で、ズボンが無残な状態に。これでは人前を歩けません。
今回は、かろうじてカメラも壊さず、足も捻挫しませんでした。めでたしめでたし。でも、臀部や脚に打ち身らしい痛みが残ります。あわてて手をついたので、そこも傷むし、体中に妙な力が加わったせいか、腕やら肩やら、体の節々に筋肉痛的な痛みが残ります。
これでは散歩も撮影も、モチベーションが下がりっぱなしで、ベンチに腰掛けてこんな撮影で、終わりにしました。
シジュウカラ
 
ヤマガラ
 
シジュウカラとヤマガラ
山道を歩いている間中、何度も、足下には気をつけなきゃと言い聞かせていたのに、ほとんど平地にたどり着いたあたりで、この始末。「高名の木登り」を地で行くお粗末デシタ。

 「高名の木登り」    兼好法師 『徒然草』
 高名の木のぼりといひしをのこ、人を掟(おき)てて、高き木にのぼせて梢(こずゑ)を切らせしに、いと危(あやふ)く見えしほどはいふ事もなくて、降るる時に軒長(のきたけ)ばかりに成りて、「あやまちすな。心して降りよ」と言葉をかけ侍りしを、「かばかりになりては、飛び降りるとも降りなん。如何(いか)にかく言ふぞ」と申し侍りしかば、「その事に候(さうら)ふ。目くるめき、枝危きほどは、己(おのれ)が恐れ侍れば申さず。あやまちは、やすき所に成りて、必ず仕(つかまつ)る事に候ふ」といふ。
 
 あやしき下臈(げらふ)なれども、聖人の戒(いまし)めにかなへり。鞠(まり)も難き所を蹴出(けいだ)してのち、やすく思へば、必ず落つると侍るやらん。
 
《解釈》
名高い木登り名人と言われる男が、人を指図して高い木に登らせて木枝を切らせた時、たいそう危なく見えるうちは何も言わないで、降りる時に軒の高さくらいになって、「失敗するな。注意して降りろ」と言葉をかけましたのを、(私は)「これくらいの高さになれば、飛び降りたとしてもきっとおりられるだろう。どうしてそう言うのか?」と申しましたところ、「そのことでございます。目がくらみ、枝が危ない間は、自分で恐れますので、私は何も申しません。失敗は、安全な所になってから必ず致すものでございます」と言う。
 
 下賤な身分の者であるが、その言葉は聖人の教訓にかなっている。蹴鞠(けまり)の鞠も、難しい所をうまく蹴った後で安心すると、必ず失敗して鞠を落とすとやら言う。

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