昨日の記事で、「羮に懲りて膾を吹く」ということわざを話題にしました。
羮(あつもの) は、野菜や魚肉などを入れて作った熱い吸い物だそうです。
ほどよく冷ましてから口に入れないと、火傷します。
膾(なます)は、切り分けた獣肉や魚肉に調味料を合わせて生食する古代中国に由来する料理だそうです。和食では、酢の物として発達しました。
羮で舌を焼いた失敗から、膾のような冷たい料理をも、フーフー吹いて冷まして食べるように、一度しでかした失敗に懲りて、必要以上の用心をすることを喩えたことわざです。
昨日の記事で、「羮に懲りて膾を吹く」ということわざを話題にしました。
羮(あつもの) は、野菜や魚肉などを入れて作った熱い吸い物だそうです。
ほどよく冷ましてから口に入れないと、火傷します。
膾(なます)は、切り分けた獣肉や魚肉に調味料を合わせて生食する古代中国に由来する料理だそうです。和食では、酢の物として発達しました。
羮で舌を焼いた失敗から、膾のような冷たい料理をも、フーフー吹いて冷まして食べるように、一度しでかした失敗に懲りて、必要以上の用心をすることを喩えたことわざです。
出典は、古代中国の楚の詩人、屈原の作と言われる『楚辞・九章(惜誦)』の詩の一節。
懲於熱羹而吹虀兮
何不変此志也
欲釋階而登天兮
猶有曩之態也
【書き下し】
熱羹(ねっこう)に懲(こ)りて韲(せい)を吹く
何ぞ此の志を変ぜざるや
階(きざはし・かい)を釈(た)てて天に登らんと欲す
猶(なほ)さきの態有るや
【かんたん解釈】
羹に懲りて虀(なます)を吹くというように、世の人は、失敗に懲りて用心深くなるものだ。
だが、どうして、私は志を変えないのだろうか。
梯子(はしご)をかけて天に登ろうとするように(一説に、はしごを捨てて?)
私は、なおも、以前からの忠誠の姿勢をまもり続けるのだ。
屈原については、以前、 五月五日の記事「知ったかブリッコの蘊蓄 端午の節句の巻」で触れたことがありました。
そこに、yahoo知恵袋から引用した一文を、孫引きさせていただきます。
「九章」は、屈原が楚の懐王によって放逐された後に、離騒と前後して書かれたものと思われ、内容も共通する部分が多いと言われます。
「羮に懲りて膾を吹く」ということわざは、今では、「失敗に懲りて、必要以上に用心深くなり無意味な心配をすること」を揶揄的に皮肉った表現として用いられる事がもっぱらでしょう。
同じように、大げさな対応を揶揄して、 「牛刀割鶏」という言葉がありますね。
出典は、『論語』陽貨 第十七にあるこの一文です。
【かんたん解釈】
孔子先生は武城に行かれると、絃歌の音が聞こえてた。
孔子先生はにこやかに笑っておっしゃった。
「鶏を料理するのに、どうして牛を料理する包丁をつかうのか。」
弟子の子游は、答えてこう言った。
「昔、先生からこのような話をお聞きしたことがあります。『徳の高い人が道を学ぶと人を愛するようになり、徳の低い人間が道を学ぶと扱いやすくなる。』」
孔子先生はおっしゃった。
「皆の者、子游の言うことはまったく正しい。。さっきの私の言葉は、ただの戯れだ」
【解説】
・孔子の弟子、子游(しゆう)は、武城(ぶじょう)という小さな町の代官をしていました。孔子は、武城のような小さな町を治めるのに、 子游ほどの人物は必要ないだろう(子游には、もっと大きな町が似合うだろう)というつもりで、子游を「牛刀」に、武城を「鶏」に喩えたのです。
一方、孔子の教えを守って、武城という小さい町を治めるにも、統治の基本に礼楽(礼節と音楽)をおいた子游は、孔子が、礼楽を「牛刀」に喩えたと考えたのでしょう。
つまり、 孔子が、「子游はん、こんなちっぽけな武城の町を治めるのに、礼楽ゆう大げさなモン使わんかて、カンタンに治められまっしゃろ」とからかったと取ったのでしょうね。ですので、子游は、姿勢を正し、改まった調子で、かつて孔子に教わった「道」を学ぶ大切さを強調します。勿論、「道」の基本には、「礼楽」があったのです。
子游の意外な反応に、ちょっとたじろいだ孔子は、「ジョーダン、ジョーダンやがな。子游はエライ。」と、その場を治めたのでした。
短い望遠レンズしか持たないで散歩にでかけ、遠い鳥を撮り逃がした反省から、大げさとも思えるレンズ装備に傾く傾向は、「羮に懲りて膾を吹く」態度に他なりませんし、 たかが散歩に、「超」望遠レンズは、「牛刀割鶏」というものでしょう。
でも、こんな画像が撮れれば、結果オーライと言うものでしょうか?
ホオジロ
カワセミ
問題は、この間連続して経験している、ブログ記事消失の悲劇。まさか、もう繰り返しては起こらないだろうと油断があったのでしょうかね。二度も三度も「膾を吹く」用心深さが必要でしたね。できるだけ、原稿は、「秀丸」エディターを使ってテキスト文書で作成するようにしてますし、写真や記事のリンク挿入の必要から、so-netブログの直接入力画面を用いる時も、何度も、「下書き」保存をする癖はつけてるつもりですが、入力途中ついつい居眠りをしたり、他の用を足したりしているうちに時間が超過してしまうケースがしばしばあるようです。
皆さんは、どうなさっているのでしょう???
たとえ、「膾を割くに牛刀を以てす」(笑)みたいな、大げさかつ滑稽な事になっても、記事消失の悲哀は、二度とご免こうむりたいものです、、、。
さて、昨日の記事に、もう一つ話題を追加いたします。
昨日の「しんぶん赤旗」のコラム「潮流」に、 こんな記事がありました。
この市川正一さんについては、歴史上の人物として知ってはいましたが、三月一五日が命日であったことは失念していました。
市川正一集 第2巻 日本金融資本発達史 (戦前日本共産党幹部著作集)
市川正一集 第3巻 公判陳述・獄中書簡 (戦前日本共産党幹部著作集)
詩人の大島博光さんが、こんな詩を作っていらっしゃいました。
「大島博光記念館」hpの この記事参照。
大島博光さんについては、私の過去のブログでも、2度ほど登場していただきました。
それでは、またまた記事が消失しないうちに、今日はこれにて、おいとまつかまつります。