今朝の地元紙『山陽新聞』のコラム「滴一滴」は、〈散る桜残る桜も散る桜〉という句を引いて、「美しく輝く命にも、終わりは等しくやって来る。そんな思いを桜に託したのだろうか▼出撃した兵士たちがしきりに口にしたのが、この句だったという。」と紹介し、終戦四ヶ月前の1945年の今日、帰るあてのない「水上特攻」として、沖縄へ向かう途中の戦艦「大和」が、米軍の猛攻を受けて沈んだエピソードに触れています。(web上の新聞記事はこちら)
コラムは、
犠牲者は大和の乗組員約3千人、護衛艦を含め約4千人に上る。大和は今も東シナ海の深さ350メートルの海底に眠っている▼先月は、フィリピンの海に沈ん
だ戦艦「武蔵」とみられる映像を無人潜水機が中継して話題になった。戦後70年。空襲、原爆、終戦…と節目の鎮魂が続く。悲劇を忘れてはならない。
と、結んでいます。
この記事で、改めて意識したのですが、この〈散る桜残る桜も散る桜〉という句は、倉敷市玉島の円通寺ゆかりの禅僧・良寛の句だと言います。
円通寺には、これまでも幾度か訪れたことがあります。
正確には、円通寺に近い国民宿舎「良寛荘」を利用したことが、何度かあり、そのついでに、円通寺と、それを中心とする円通寺公園も、ぶらりと見学したことがあります。
そこには、いくつもの記念碑が建てられており、良寛の辞世の歌とされる「形見とて 何かのこさん 春は花 夏ほととぎす 秋はもみじ葉」や、いかにも良寛さんらしい「霞立つ 長き春日を 子供らと 手毬つきつゝ この日暮しつ」の歌碑もあります。
思い返せば、一昨年の4月に亡くなった畏友H氏の案内で、西行ゆかりの地を訪ねるツアーで訪れたのが、一番最近の訪問だったかも知れません。
H氏の事も、西行を訪ねるツアーのことも、何度か触れてきました(たとえば、
岡山後楽園の桜道 posted by (C)kazgこの記事やこの記事)が、空海を敬慕してその足跡を訪ねたのが西行、西行を敬慕して、その足跡を訪ねたのが良寛だといわれます。
その良寛さんを敬慕した人は、少なくはないでしょうが、その一人が、種田山頭火でした。
山頭火の句「岩のよろしさも良寛様の想ひで」が刻まれた石碑もここに建てられています。
さて、その 山頭火を思い出すと、決まって思い出す自由律俳人に、尾崎放哉がありますが、今日はまさに彼の忌日、「放哉忌」だそうです。
尾崎放哉については、この記事や、この記事や、この記事や、この記事で話題にしました。享年41歳。若すぎます。
散る桜残る桜も桜道 昨日の岡山後楽園です。
今日は、円通寺の桜を見に行ってみようかとも思ったのでしたが、近いところで、深山公園を散歩することにしました。
桜もまだ残っていますが、ツツジが花盛りでした。
ツツジの花の中のエナガ。
今日の付録。今朝の燕。昨日と同じくわが家の窓から見える電線に止まる燕を、今日はpentaxK5Ⅱ+AFボーグで写しました。
もう一枚付録です。先日来掲載している、電線に止まるキジバトのつがいですが、今日はfuji finepix s1で撮影しました。
コンデジながら大健闘ですね。