「えんじゃくいずくんぞこうこくのこころざしをしらんや」
大意は「燕や雀のようなちっぽけな小物には、どうして鴻鵠すなわちオオトリのような大人物の巨きく高邁な志が理解できようか、いや決して分かりっこないのだ」といったところでしょうか。表現も意味するところも、歯切れが良くて、きっぱりしていてカッコイイ、、と、高校生のころ教科書で読んで、思いました。
司馬遷の編んだ長大な歴史書『史記(陳渉世家)』の一節です。
この成句の出典は、『史記』の「陳渉世家」の一節ですが、ダイジェスト版である『十八史略』から、該当の部分を引用しておきます。 【本文】 陽城人陳勝、字渉。 少与人傭畊。 輟畊之隴上、悵然久之曰、 「苟富貴、無相忘。」 傭者笑曰、 「若為傭畊、何富貴也。」 勝大息曰、 「嗟呼、燕雀安知鴻鵠之志哉。」 至是、与呉広起兵于蘄。 時發閭左、戍漁陽、勝・広為屯長。 会大雨道不通。 乃召徒属曰、 「公等失期、法当斬。 壮士不死則已、死則挙大名。 王侯将相、寧有種也。」 衆皆従之。 乃詐称公子扶蘇・項燕、称大楚。 勝自立為将軍、広為都尉。 【書き下し】 陽城(ようじょう)の人陳勝(ちんしょう)、字(あざな)は渉(しょう)。 少(わか)きとき人と傭畊(ようかう=畊は耕に同じ)す。 畊(かう)を輟(や)めて隴上(ろうじゃう)に之(ゆ)き、悵然(ちゃうぜん)たること久しうして曰はく、 「苟(いやし)くも富貴(ふうき)とならば、相(あ)ひ忘るること無からん。」と。 傭者(ようじゃ)笑ひて曰はく、 「若(なんぢ)傭畊を為(な)す、何ぞ富貴とならんや。」と。 勝大息(たいそく)して曰はく、 「嗟呼(ああ)、燕雀安くんぞ鴻鵠の志を知らんや。」と。 是(ここ)に至りて、呉広(ごこう)と兵を蘄(き)に起こす。 時に閭左(りょさ)を發(はっ)して、漁陽(ぎょよう)を戍(まも)らしめ、勝・広屯長(とんちょう)と為(な)る。 会(たまたま)大雨して道通ぜず。 乃(すなは)ち徒属を召(め)して曰はく、 「公等(ら)期を失し、法(ほう)斬(ざん)に当たる。 壮士死せずんば則(すなは)ち已(や)む、死せば則ち大名(たいめい)を挙(あ)げんのみ。 王侯将相(おうこうしょうそう)、寧(いづ)くんぞ種(しゅ)有らんや。」と。 衆皆之に従ふ。 乃(すな)ち詐(いつは)りて公子(こうし)扶蘇(ふそ)・項燕(こうえん)と称し、大楚(たいそ)と称す。 勝は自立して将軍と為り、広は都尉(とい)と為る。 【解釈】 陽城の人、陳勝は呼び名を「渉」と言った。 若いとき、人と一緒に、雇われて農作業をしていた。 ある時、仕事の手を休め、畑の中の小高い場所に行き、しばらく我が身を嘆く様子で、こう言った。 「もし私が富貴な身の上になったら、あなたを忘れないだろうよ。」 雇い主は、笑って言った。 「お前さんは雇われ仕事で暮らしている身の上だ、どうして富貴になんぞなれようか、ジョーダンキツイヨ!」 陳勝は大きくため息をついて、こう言った、 「ああ、ツバメやスズメのようなちっぽけな鳥に、どうしておおとりの壮大な志がわかろうか、わかりはしない。」 このあと、陳勝は、呉広と蘄県で挙兵した。 時に、貧民達をも徴兵して、漁陽郡の守備に動員することになっており、渉と呉広はその集団を率いて漁陽に連れて行く班長になっていた。 前線へ赴く途中、たまたま大雨が降って道を通れなかった。 そこで、仲間を呼んでこう言った、 「こ の大雨によるアクシデントで、お主らは、もはや到着の期日に間に合わいません。これは秦の法律では斬殺の刑に相当します。意気盛んなお主らが、死にたくな いというのなら、これまでです。だが、死ぬ覚悟があるならば、大きな名声を上げる事もできましょうぞ。王や諸侯、将軍や宰相に、どうして血統がありましょ う、チャンスは我らにありますぞ。」 人びとは、みな陳勝の言葉に従った。 そこで、偽って公子扶蘇と項燕の名を名乗り、また、国を大楚と称した。 陳勝は自ら立って将軍となり、呉広は都尉(地方軍事長官)となった。
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「鴻鵠」とは、「鴻(おおとり)」と「鵠(くぐい)」だそうです。 同じく「おおとり」と呼ばれる「鵬」(ホウ)、「鳳」(ホウ)「凰」(オウ)が、伝説上の霊鳥をさすのに対して、「鴻(コウ)」は、一般的に「大きな鳥」を意味するようです。オオハクチョウをさしたり、ガンの一種の「ヒシクイ」をさすこともあるそうです。 「クグイ」は、聞きなじみがありませんが、白鳥の古名だといいます。 |
ハクチョウがらみでは、古い記事にこんなことを書きました。
マロースのおはすやいまだ春浅き
倉本聰さん率いる「富良野塾」出身者による演劇創作集団「富良野group」の舞台 「マロース」、倉敷公演を観劇しての感想がメインです。富良野GROUP公演については「倉本聰界隈」が新しいです。
鳳凰は見たことがありません(想像上の霊鳥ですからね)。
雄が「鳳」、雌が「凰」だそうです。
10円玉のデザイン、宇治の平等院鳳凰堂の屋根に止まっているのは?
鋳造の年代によってデザインが異なるというお話も、ネットではよく紹介されていますね。
こちらは一万円札です。
手塚治虫さんの「火の鳥」に登場する火の鳥について、手塚治虫公式WEBサイトではこう紹介してあります。
ところで、手塚治虫さんの「火の鳥」にはマキムラという登場人物がありました。
ウィキペディアにはこんな説明があります。
牧村五郎 「宇宙編」「望郷編」で登場するアストロノーツ(宇宙飛行士)。生まれた時からアストロノーツとなる事を宿命づけられ、外宇宙に地球由来の細菌を持ち込まないために、無菌室で成長する。初恋の女性に裏切られた事がトラウマとなり、女性に手が早くかつ冷酷である。その初恋の女性の幻に惑わされる形で異星人を虐殺し、その罪により火の鳥から、若返っては赤ん坊に戻り、再び成長して大人に戻っては若返るというサイクルを繰り返し、永遠に生き続けなければならない罰を受けている。赤ん坊に戻っている間は、「ケース」と呼ばれる自身の姿を模した等身大の人型ロボットに乗り込み操縦をしている。時系列的に見て恐らく罰を受ける前である「望郷編」において、地球に帰郷する途中のロミと出会う。映画「火の鳥(第二部)」のシナリオでは主人公の名前が「牧村壮吾」であるが関連性は不明。 |
各編ごとに、牧村はこんな役回りを演じています(ウィキペディアより)。
宇宙編 望郷編 初出:『マンガ少年』(1976年9月号 - 1978年3月号) 時代は宇宙時代。自然が失われ続ける地球に絶望した主人公ロミと恋人のジョージは、強盗で得た金で宇宙不動産会社から小さな惑星エデン17を買い、移住する。しかしそこは地震が頻発し、荒廃した惑星であった。悪徳業者に置き去りにされ、ジョージは事故で死に、ロミは残された息子と結ばれることで、生命を繋ぐ決断をする。しかし近親婚の影響で女児を得ることができず、ロミは唯一の女性として、息子と結婚して子供を産んでは冷凍睡眠を繰り返す事となった。やがて小さいながらも、ロミと息子たちのコミュニティが築かれていくが、兄弟同士の諍いから恐るべき計画がもちあがり、それを聞かされたロミは絶望して睡眠装置に閉じこもってしまう。彼女を憐れんだ火の鳥は、ロミの夢に呼びかけ、異星人との混血をすすめた。火の鳥の働きかけによりムーピーがエデン17へ訪れ、ムーピーとの混血の新しい種族が繁栄していく。ロミが数百年にわたる眠りから目覚めた時、エデンには心優しく素朴な人々の住む、平和な文明が育っていた。ようやく心の平安を得たロミは、エデンの女王として人々に慕われ、静かに老いていくが、次第に地球への望郷の想いを募らせ、コムという少年と共に地球を目指す旅に出る。その旅先で、ロミは宇宙パトロール隊員の牧村と出会う。しかし、牧村の任務は、地球に不法入国しようとする帰還者たちを阻止すること、すなわちロミたちを殺すことだった。 本作は『COM』版の「望郷編」(未完)との関連はほとんどなく、唯一、被爆した少年コムだけが、ムーピーと地球人との混血児という設定で再登場している。 手塚本人により何度も描き直されており、雑誌掲載版朝日ソノラマ版・講談社版、角川書店版の各単行本では大きく内容が異なる。雑誌版では地球到達までのロミの顔は老婆のような状態だったが、朝日ソノラマ版では若く描き直されている。単行本ではフォックスと呼ばれるブラック・ジャックに似た男がロミを自然が残った場所へと連れて行くシーンが追加された。また雑誌版ではロミは牧村に撃ち殺されるが、単行本では若返りの副作用のため死んだことになっている。ラストシーンも牧村がロミのために星の王子さまを読むという場面が追加された。ロミとジョージの声が最後に聞こえるシーンも単行本で加筆されたもの。また角川版ではロミとジョージの出会いのシーンを冒頭に移動し、展開を早くするため宇宙船に他の宇宙人が搭乗する場面を省き、地球に向かう途中に立ち寄る星に違うものがあったりするなど内容が異なる。また、本作は火の鳥全シリーズ中で最も手塚による加筆・修正が多い編であり、雑誌掲載版、角川書店版、朝日ソノラマ版・講談社では上記以外でも100ページ以上の変更がある。特にムーピーと人間との混血が生まれる場面はそれぞれ設定が異なる。 アニメ映画 火の鳥・第2部(未制作) 前述の実写映画「火の鳥」は本来は二部構成であった。しかし、実写版は独立した作品となり、本作はシナリオが作成されていたにも関わらず制作には移らなかった(中略)
あらすじ |
壮大なドラマです。
読んでいて 狂おしい気分になったと、大学時代の物理学専攻の先輩が漏らしていたことを、印象深く思い出します。
ところで、以前も何度か書いたとおり、私の高校時代の作品に、「牧村」という登場人物が出てきます。この「火の鳥」に出会う前のネーミングであることを、念のために書き添えておきます。
懐かしき便り嬉しき聖夜かなせるふ・こむぷれいせんす
ところで、この故事成語から、どういう脈絡からか、次の言葉が思い出されます。
「鷲は時には鶏より低く舞い降りるかもしれない、かし鶏は決して鷲のような高さに舞い上がることはできない。ローザはいくつかの誤りをおかしたにもかかわらず、彼女は鷲であったし、現在も鷲でありつづけるのだ。」
レーニンが、ローザ・ルクセンブルクを評した言葉だとして、学生時代、先輩が教えてくれました。
ローザ・ルクセンブルクはポーランド出身で、ドイツで活動した女性革命家でしたが、1919年1月15日、カール・リープクネヒトら、数百人の同志とともに逮捕・虐殺されました。生前は、運動をめぐる意見の違いはあったものの、その死を悼んで、レーニンがこう称えたというのです。
これはノスリでしょうか?いずれにしてもワシ・タカの仲間には違いないでしょう。
今日はこれにて。