今日は、戦前の労農党代議士の山本宣治が右翼のテロに殺された「山宣忌」でもあります
こんな記事を書いたことがありました。
うすごおりの張りたる今日は山宣忌山本薩夫監督映画『武器なき斗い』で、主人公、山本宣治を演じたのは下元勉さんでした。ウィキペディアによれば下元さんの出演作品には以下のものがあります。
- 原爆の子(1952年、近代映画協会) - 夏江の夫 役
- 真空地帯(1952年、新星映画) - 會田一等兵 役
- 縮図(1953年、近代映画協会)
- 夜明け前(1953年、近代映画協会)
- 嘘(1954年、新東宝) - 横江先生 役
- どぶ(1954年、近代映画協会) - 杉村巡査
- 若い人たち(1954年、全国銀行従業員組合) - 若い工員 役
- 黒い潮(1954年、日活) - 白井記者 役
- 足摺岬(1954年、近代映画協会) - 印刷職工 役
- 美しい人(1954年、新東宝) - 兄清一 役
- 唐人お吉(1954年、北星) - 鶴松 役
- 狼(1955年、近代映画協会) - 高橋孝 役
- こころ(1955年、日活) - 日置の兄 役
- 幼きものは訴える(1955年、日活) - 警察署長 役
- 石合戦(1955年、民藝)
- 胸より胸に(1955年、松竹)
- 銀心中(1956年、日活) - 喜一の店の客 役
- 泉(1956年、松竹) - 安藤正樹 役
- 真昼の暗黒(1956年、現代ぷろ) - 西垣幸治巡査 役
- 病妻物語 あやに愛しき(1956年、民藝) - 若い医師 役
- われは海の子(1956年、民藝) - 漁夫 役
- 壁あつき部屋(1956年、新鋭プロ) - 木村 役
- 私は前科者である(1957年、日活) - 看守 役
- 「廓」より 無法一代(1957年、日活) - 泉弁護士 役
- 真夜中の顔(1958年、日活) - 田口 役
- その壁を砕け(1959年、日活) - 相生署の刑事 役
- 夜霧の空港(1959年、日活) - 沢崎判事 役
- 危険な女(1959年、日活)
- 「キャンパス110番」より 学生野郎と娘たち(1960年、日活) - 沢講師 役
- 武器なき斗い(1960年、大東映画) - 山本富治 役
- 松川事件(1961年) - 梨木弁護人 役
- 処刑前夜(1961年、日活) - 安井部長 役
- 花と娘と白い道(1961年、日活) - 木村先生 役
- ママおうちが燃えてるの(1961年、松竹) - 川上先生 役
- どじょっこの歌(1961年、日活) - 河辺牧師 役
- 街に気球があがる時(1961年、日活) - 大学講師 役
- キューポラのある街(1962年、日活) - 東吾 役
- 秋津温泉(1962年、松竹) - 軍医 役
- 人間狩り(1962年、日活) - 部長刑事市村 役
- 青い山脈(1963年、日活) - 武田校長 役
- 若い東京の屋根の下(1963年、日活) - 桑野太郎 役
- 成熟する季節(1964年、日活) - 花木一馬 役
- われ一粒の麦なれど(1964年、東京映画) - 根本彦太郎 役
- ブワナ・トシの歌(1965年、東京映画) - 大西博士 役
- 春婦伝(1965年、日活) - 八路軍政治部員 役
- 日本列島(1965年、日活) - 警視総監 役
- 四つの恋の物語(1965年、日活) - 紳士 役
- 大空に乾杯(1966年、日活)
- 白鳥(1966年、日活)
- 祇園祭(1968年、日本映画復興協会) - 山科言継卿 役
- 人斬り(1969年、勝プロ) - 松田治之助 役
- 聖職の碑(1978年、東宝)
- 日本フィルハーモニー物語 炎の第五楽章(1981年、にっかつ) - 斎藤先生 役
- 傷だらけの勲章(1986年、東宝) - 警備会社の男 役
- 火宅の人(1986年、東映) - 病院の主事 役
- チェッカーズ SONG FOR U・S・A(1986年、東宝) - 医師 役
- 虹の橋(1993年、小川企画) - 甚兵衛 役
- 忠臣蔵外伝 四谷怪談(1994年、松竹) - 堀部弥兵衛 役
- 借王(シャッキング)2(1997年、日活) - 吉川清太郎 役
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「牽強付会」のそしりを免れませんが、出演作品のひとつ「秋津温泉」を話題にします。
「秋津温泉」は藤原審爾の原作を吉田喜重監督、岡田茉莉子・長門裕之主演で映画化したものでした。
藤原審爾については、古い記事にこんなことを書きました。
烏の群れを印象的に描いた作品として、藤原審爾「鴉五千羽夕陽に向う」をあげたくなります。 藤原審爾は、1952年に「罪な女」で直木賞を受賞し た小説家で、純文学からサスペンス、任侠ものまで、幅広い作品を残しています。映画化された作品も50を越えています。彼は、幼時に両親を失い,岡山県の 祖母のもとで育ちました。映画化もされた出世作「秋津温泉」は、岡山県「奥津温泉」を舞台にしています。 彼の作品は、バラエティ豊かで、それぞれ読みごたえがありますが、「狼よ、はなやかに翔べ」「熊鷹・青空の美しき狩人」「怒りて猿よ山を揺すれ」などの動物小説の魅力は、特筆ものです。 教育・社会の、今日的な問題を鋭く洞察した『死にたがる子』『落ちこぼれ家庭』『結婚の資格』なども、今なお色あせることはありません。 |
その藤原審爾について、先日訪問した
備前市加子浦歴史文化館の
「文芸館」にはこんな紹介がありました。
「藤原審爾」(1921〜1984)
岡山県備前市片上で生れ、閑谷中学から青山学院に進んだが 病気のため中退し岡山市に疎開。文学を志し、同人誌「曙」を引継ぎ発行。 文学界に発表した「練る煉獄の曲」で認められ、奥津温泉をテーマにした「秋津温泉」が出世作となった。昭和27年「罪な女」で「直木賞」受賞。 社会的テーマを追い時代小説・推理小説も書き、作品は多数。 日生には魚と風光を求めて良く来訪。日生の甚九郎の小説を書くこと、日生に別荘を建てたい等の話が具体化しているとき、亡くなられた。 |
上記の
「文芸館」には日生町(鴻島)出身の作曲家岡 千秋 、日生町生まれの児童文学者、牧野大誓、日生町生まれの南画家、久保田耕民 らが展示されていましたが、この地と眉村卓とのえにしに、感慨を憶えました。
「文芸館」のHPにはこうありました。
作家「眉村 卓」 (1934〜 大阪出身の小説家、本名は村上卓児。大阪窯耐に就職、 日生工場に昭和32年から11ヶ月間勤務す。同33年から大阪に転勤になり、 同38年の9月に大阪窯耐を退社す。彼は此の日生勤務を、 「日生には11ヶ月足らずだったが、大阪生れの大阪育ちで、 初めての異卿暮らしだったし、疾風怒涛の時代であった。…… 小さい頃住んでいた場所が空襲で焼かれ、… 日生になんとなく故卿めいたイメージを抱くようになった ……その後も、仕事が行きずまったり、 ストレスがたまってきたりすると、日生へ出掛、一泊する癖がついた。 今でもそうなのである。 実をいうと、ぼくは、そのせいで、自分の書いたものの舞台に、 何度も日生を使っている。……」 日生に来た最初の夜錦水に泊り、日生に居る間よく飲みに行たらしい。 また寮でも良く飲んでいたということだ。 文学に関心の強かった彼は、勤務の傍ら詩や俳句を作り続け、 同36年に、SF中間小説「下級アイデアマン」で文壇に登場す。 会社をやめて小説家として独立、昭和54年 「消滅の光輪」で「泉鏡花賞」を受賞する。 純SF的な味わいの中・短編小説で知られており、 将来の活躍が期待されている作家である。 |
むかし、高校生時代の私の最大の愛読書は.早川書房の「SFマガジン」でした。そこに作品を寄せる作家の中でも、特に、星新一、小松左京、眉村卓は、格別で、単行本も買い耽読しました。
なかでも最も印象に残っている作品は、「準B級市民」という未来SFでした。
お持ち帰り資料の「日生の詩歌」には、眉村卓の短歌と俳句も載せられています。
眉村卓
たくましき 町もなりつつある日生
昔の心 残してぞかし
ひと去って 霧の漁港に マッチ擦る
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ハードボイルドタッチのショートショートSFを得意とする眉村画、短歌と俳句か?と、一瞬違和感を感じましたが、調べてみると、経歴は長いらしい。
彼は高校時代に俳句部に所属し、水原秋桜子主宰の「馬酔木」に投句するなどしていたが、作家デビュー当時赤尾兜子の主宰する「渦」の同人となって句作を続けるも.多忙とともに遠のいていましたが、妻の死後、句作を再開、「渦」にも復帰し、2009年には最初の句集『霧を行く』を出版しています。
霧を行く―句集
- 作者: 眉村 卓
- 出版社/メーカー: 深夜叢書社
- 発売日: 2009/07
- メディア: 単行本
こんな句が目に入ります。
妻元気並木の辛夷咲き始め
癒えよ妻初燕見てはしやぎをり
ぞんざいに言はれもの買ふ暑気中り
軽口を恥ぢて西日の中帰る
風花して妻小康に似る日あり
春嵐持ち直しつつ妻眠る
卯月雨妻への処置を廊下で待つ
紫陽花よ妻確実に死へ進む
西日への帰途の彼方に妻は亡し
哀歓の涯は枯木に触れゐたる
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彼は、妻の悦子さんを、大腸がんのため2002年に亡くしますが、悦子さんの闘病中、ショートショートを毎日1話ずつ、計1778話つ剛づったといいます。このエピソードは、草彅主演で映画化されました(『僕と妻の1778の物語』)
啓蟄にあやかって、表に出てみました。
梅にメジロ。
梅は咲いたか、桜はまだかいな。
」
麦畑。
久しぶりに鴨川まで歩いてみました。
きょうはここまで。