昨晩は、演劇鑑賞を楽しみました。
「市民劇場」による無名塾「ロミオとジュリエット」の倉敷市児島文化センターでの公演です。
「市民劇場」には、ずっと以前、「労演」と呼ばれていた頃から、しばらく入会していた事がありましたが、日常生活の多忙さに取り紛れて舞台を見損ねることが多く、いつか離れていました。退職前の数年間、同じ職場の方からお誘いをいたのをきっかけに改めて入会し、舞台を楽しんでいたのですが、脳動脈瘤の手術前後の身体的な不安から、やむなく退会していました。
このたびの肺癌手術を気にした退職と、その後の体調の回復という経過の中で、再度お誘いをいただき、喜んでお仲間入りさせていただくことにしました。
その初回は「くにこ」でした。
無名塾と言えば、ちょっと前、NHK「鶴瓶の家族に乾杯」で仲代達矢さんが登場したことがありました(12月放送)。
イヤ、正確には鶴瓶さんと上戸彩さんが福井県七尾市を訪ねた際、公演中の仲代さんとアクセスし、仲代さんが二人を迎えてくれたのでした。
七尾市には仲代さんと住民の交流から生まれた劇場「能登演劇堂」があり、ちょうど鶴瓶さんたちが訪れた時、公演中だった演目が「ロミオとジュリエット」(ロケの日は、舞台が休演の日でした)。仲代さんが案内してくれる「能登演劇堂」は、舞台奥の観音開きの扉が開くと、そこには杉林など能登の自然の眺望があらわれ、ダイナミックで荘厳な世界がひろがるのでした。
「ロミオとジュリエット」は、高校生時分文庫本でも読みましたし、何よりオリヴィア・ハッセー主演の映画(一九六八年)の印象が強いです。
ロミオ16歳、ジュリエット14歳の、純真で熱烈な恋の悲劇ですが、そのときのオリヴィア・ハッセーは15歳だったのですね。ほとんど同世代ですが、彼女の方が遙かにオトナの女性に思えました。
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記憶に新しいところでは、ソチ五輪のフィギュアスケートで、羽生結弦選手がフリー演技で用いたのが、この映画で流れたニーノ・ロータ作曲の「ロミオとジュリエット」のテーマ
でしたね。映画の内容と渾然一体となって、甘く切ない気分を募らせます。
ディカプリオ版は見ていませんが、現代的アレンジが加えられ、マフィアの抗争に置き換えられていたそうですね。
アレンジと言えば、ウェストサイド・ストーリーも「ロミオとジュリエット」の、ミュージカル版アレンジでしたね。
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シェークスピアの原文は、古典語で綴られており、文法・語彙ともに前時代の言葉遣いなのだそうですね。
”thy”とか” thou”とか、確かに、昔習った記憶があります。
昨日の無名塾版での小田島雄志氏の訳は、それを意識してか、全体に格式張った古めかしい言葉づかいを多用したセリフ回しが基調となっています。
好みの問題はありましょうが、私にとっては少々抵抗感がありました。明治以来、「言文一致」に向かってきた文芸潮流に逆らうかのように、演者に敢えて大時代的な文章語をもって語らせる意図はどこにあるのでしょう?そんなことを思っているうちに、舞台に没入できるまでに余分な時間がかかってっしまったようです。
それとあいまって、若い(幼い)二人が運命的な出会いを経て、切ない恋心を燃え上がらせる過程が粗くて、私の共感力を超えている感じでした。そのために、運命の引き起こす悲劇の悲しみが、今ひとつ深まらなかったのは、私の感受性の鈍磨のせいかもしれませんが、、、。
それにしても、修道士を演じた仲代さんの存在感の確かさ、敬服しました。これを観ることができたただけでも、 来た甲斐があったと思えました。
もちろん、ジュリエットの初々しさ、ロミオの誠実さは好感が持てますし、シンプルで奥行きのある舞台装置や、音楽・音響・照明などの完成度は、素人判断ながらさすがと思わされました。
ところで、「ロミオとジュリエット」といえば、舞踏会の夜のバルコニーの場面で、ジュリエットが口ずさむ「ロミオロミオ、あなたはなぜロミオなの?」という名セリフが、おなじみですよね。
昨夜の舞台を観て、改めて気づいたことがありました。
バルコニーの場面の英語原文と、元ジャパンタイムスの編集局長伊藤サムさんの訳が、このページに載っていますので無断で引用させていただきます。
JULIET: O Romeo, Romeo! wherefore art thou Romeo? |
元群馬県立女子大学教授の戸所 宏之 様の 「シェークスピア戸所研究室」というサイトのこの記事が非常に参考になりましたので 無断でリンクを張らせていただきます。
そこでも紹介してありましたが、坪内逍遙の訳は興味深いです。同じ大時代なら、いっそ、これでいかが?青空文庫から引用してみます。
坪内逍遙訳 ヂュリ おゝ、ロミオ、ロミオ! 何故(なぜ)卿(おまへ)はロミオぢゃ! 父御(てゝご)をも、自身(じしん)の名(な)をも棄 (す)てゝしまや。それが否(いや)ならば、せめても予(わし)の戀人(こひゞと)ぢゃと誓言(せいごん)して下(くだ)され。すれば、予(わし)ゃ最早 (もう)カピューレットではない。 ロミオ (傍を向きて)もっと聞(き)かうか? すぐ物(もの)を言(い)はうか? ヂュ リ 名前(なまへ)だけが予(わし)の敵(かたき)ぢゃ。モンタギューでなうても立派(りっぱ)な卿(おまへ)。モンタギューが何(なん)ぢゃ! 手 (て)でも、足(あし)でも、腕(かひな)でも、面(かほ)でも無(な)い、人(ひと)の身(み)に附(つ)いた物(もの)ではない。おゝ、何(なに)か 他(ほか)の名前(なまへ)にしや。名(な)が何(なん)ぢゃ? 薔薇(ばら)の花(はな)は、他(ほか)の名(な)で呼(よ)んでも、同(おな)じやう に善(よ)い香(か)がする。ロミオとても其通(そのとほ)り、ロミオでなうても、名(な)は棄(す)てゝも、其(その)持前(もちまへ)のいみじい、貴 (たふと)い徳(とく)は殘(のこ)らう。……ロミオどの、おのが有(もの)でもない名(な)を棄(す)てゝ、其代(そのかは)りに、予(わし)の身 (み)をも、心(こゝろ)をも取(と)って下(くだ)され。 |
もう少しオーソドックスな、中野好夫さんの訳が、新潮文庫『ロミオとジュリエット』にあります。
ジュリエット「ああ、ロミオ様、ロミオ様! なぜあなたは、ロミオ様でいらっしゃいますの? お父様と縁を切り、家名をお捨てになって! もしもそれがお嫌なら、せめてわたくしを愛すると、お誓いになって下さいまし。そうすれば、わたくしもこの場限りでキャピュレットの名を捨ててみせます わ」 新潮文庫 『ロミオとジュリエット』シェークスピア作 中野好夫訳 |
さて、いずれの訳をとるにせよ、「昨夜の舞台を観て、改めて気づいた」というのは、このセリフの説得力。
What's in a name? that which we call a rose By any other name would smell as sweet. |
「名前に何の意味があろう、バラは、ほかのどんな名前で呼んでも、甘く香るだろう。」
実体こそがものの本質で、名前はうわべを飾る外套に過ぎない、、ということでしょうか?
たまたま最近、「名付け」の持つ世界認識のちからを話題にしただけに、それと相反するようなこの警句は、ちょっとタイミングがよくて、面白く思えました。
ひきつづき、お名前は?
3月18日、岡山市後楽園で撮影。
品種名 「白加賀」。名前の通り加賀に関係のある品種だそうです。石川県つながりで、強引につなげてみました。
なお、前回載せた「加賀地蔵」は、この「白加賀」と「地蔵梅」という品種を交配して育成されたものだそうです。
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