なんと、きょうはもう立秋だそうです。

そういえば、台風の影響もあるのでしょうが、今朝は少し涼しく感じます。実際、朝8時の気温は26℃と、散歩中も快適でした。。日中の最高気温も、31℃~32℃と予想されており、真夏日とはいえピーク時からは随分しのぎやすくなりそうです。

もちろんまた、暑さのぶり返しはありましょうが、だんだんに秋に向かっていることは間違いなさそうです。
散歩中に出会う蝉も、最も暑い頃が発生のピークというクマゼミの姿が薄れ、やや涼しさを好むとされるアブラゼミの比率が増してきたようです。





 

今日にちなんだ歌を一つ。


秋立つ日よめる
秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる  藤原 敏行

【解釈】  暦の上では立秋の今日、「秋がやってきた」と、目にははっきり見えないけれど、吹く風の音にはっと気づかされることだよ。

 「来ぬ」は、「きぬ」と読みます。カ行変格活用の「来(く)」の連用形に、完了・強意の助動詞「ぬ」の終止形がついたもので、「来た。来てしまった」の意味になります。

もしこれを「こぬ」と読むと、 カ行変格活用の「来(く)」の未然形に、打消の助動詞「ず」の連体形がついたことになり、「来ない」の意味になります。

「ぬ」は連用形接続、「ず」は未然形接続の助動詞ですから。→試験に出るよ(笑)。
形容動詞「さやかなり」は、動詞「冴ゆ」につながる言葉です。現代語の「冴える」も、くっきり、はっきり、クリアーに感じられる意味です。「さやかなり」は「冴えてる」ってカンジですかね。

「おどろかれぬる」は、動詞「おどろく」+自発の助動詞「る」+完了の助動詞「ぬ」がつながったものです。

古語の「おどろく」には、①目が覚める。②はっと気づく、③びっくりする、などの意味があります。ここでは②の意味です。

助動詞「る」には、①受身(~によって~される)、②尊敬(~なさる)、③可能(~できる)、④自発(自然と~される)の用法があります。④が、この語の本来の意味だったようです。この歌の場合も、④です。

ちなみに最後の語「ぬる」は、完了「ぬ」の連体形ですが、文の終わりなのに連体形であるわけは、上に、強調の係助詞「ぞ」が用いられているので、「係り結びの法則」がはたらいているわけですね。

古典文法入門のお時間はここまで。お粗末でした。

 

この歌は、古今集に収められている藤原敏行の歌で、「秋立つ日よめる」と詞書(ことばがき)にあるとおり、立秋の日に詠んだ歌です。
ですからありのままの実景を詠んだと言うよりは、「立秋」というお題にこと寄せて、頭の中で考えて「理屈」で作り上げた歌と言うべきでしょう。このような傾向は、「理知的」「論理的」と称される古今集の歌風の特徴ともされます。

とはいうものの、肉眼には見えない秋の訪れが、一瞬の聴覚のはたらきによって、はっきりと感じ取られるという繊細な季節感覚は、う~んと、納得せずにいられません。「う~ん、参った」という感じですか。

独断かも知れませんが、視覚よりも聴覚、聴覚よりも嗅覚が、より生理的、より原初的、より直感的な感覚であるように思えますから、まず聴覚で季節の推移を感じるというのは、よくわかります。

 

 古今集からもう一首。

 

       昨日こそ 早苗とりしかいつの間に稲葉そよぎて秋風の吹く

「読み人知らず」「題知らず」の歌です。

【解釈】

ほんのきのう、早苗とりをして田植えをしたばかりだと思うのに、いつの間に稲の葉がそよそよと揺れて音を立てる秋風の季節になったのかなあ

 「昨日こそ」の「こそ」は強調の係助詞で、已然形で結ぶ法則があります。この歌では、「しか」が、過去の助動詞「き」の已然形です。

 ところで、「こそ~已然形」の形を取りながら、文がそこで収束せず、さらに後に続く場合、つまり読点(「、」)で後に接続していくような場合、逆接接続(~けれども、~のに)になる場合が多く、この歌もそれです。

 

 私がこの歌を初めて知ったのは、更級日記のつぎの記述からでしたっけ。

八月つごもり、太秦に詣づとて見れば、穂に出でたる田を人おほく見さわぐは、稲刈るなりけり。早苗取りしかいつのまに、まことにさいつころ賀茂へ詣づとて
見しが、あはれにもなりにけるかな。これは男どもの、いとあかき稲の本ぞ青きを持たりて刈る。なににかあらんして本を切るさまぞ、やすげに、せまほしげに
見ゆるや。いかでさすらむ。穂をうち敷きて並みをるもをかし。庵のさまなど。


このあたりまで書きかけて、ぼんやり思い出しました、そういえば、以前似たようなことを書きましたっけ。

検索してみると、ありました、この記事を去年の八月末に書いていました。 わずか一年前の記憶が、もうぼんやり薄らいでいて、わが「老人力」も、なかなかのものです。
前回書かなかったことをかかなくては、、、。

 

早苗とは 、苗代から田へ植えかえるころの稲の苗を言い、これを田に植える女性を早乙女と言います。
早乙女愛は、梶原一騎原作の漫画 『愛と誠』のヒロインの名ですし、早乙女勝元は東京大空襲を題材にした諸作品などで知られるの作家・児童文学作家です。他にも早乙女さんは大勢おられますし、早苗さんも、男女を問わずポピュラーなお名前です。

私にとって親しみのある早苗さんは、大学ノートの裏表紙のさなえちゃんですかね。

      さなえちゃん
     詞/曲:中井戸麗市

   大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを描いたの

   一日中かかって いっしょうけんめい 描いたの

     でも、鉛筆で描いたから いつのまにか消えたの

   大学ノートの裏表紙のさなえちゃんが消えたの

     もう 会えないの もう 会えないの 二度と会えないの…。


 

 ところで、サナエトンボというトンボがいて、よく似て見分けがつきません。

 キイロサナエとヤマサナエという種が大変識別が難しいようです。

肩のL字が太いとか細いとか、上唇の模様がどうかとか、尾の形がいかがであるとか、はたまた黄色い縞模様などなど、識別のポイントはいろいろな方が詳細に解説してくださっていますが、この写真は?結局わかりません。

秘かに、キイロサナエかなと疑っていますが、、、、詳しい方教えてください。

 

これは、コオニヤンマのようです。小さなオニヤンマという命名ですが、オニヤンマではなく、サナエトンボの仲間だそうです。

 


 

秋の風つながりでもう一首。万葉集の歌です。

君待つと我が恋ひをれば、我が宿の、簾(すだれ)動かし、秋の風吹く  額田王

【解釈】

愛しいあなたを、恋しい思いで待っていると、家の簾を動かして秋の風が吹くことだ。

 

訪れたのは、恋しい思い人ではなく、ものさびしい秋風でした。スダレを、サワと揺るがせて、かすかな音を響かせたのでしょう。そういえば、古語「訪(おとづ)る」の第一義は、音を立てるという意味でした。
今日のオマケ