木下透は私の高校生時代の筆名です。
国語の先生に勧められて、俳句づくりのまねごとをしたことがありました。
その頃の作品のひとつ。
あるじなき庭に山吹咲き乱る
あるいは、「庭の」だったかな?「咲き誇る」だったかな?記憶がはっきりしません。
とにかく、農村に過疎が進みつつある時代のものわびしさが、咲き誇る山吹の花のはなやかさとの対比で、いっそうつのるように思えたのでした。でも、感興がありきたりだとして、低評価でした。
木下透は私の高校生時代の筆名です。
国語の先生に勧められて、俳句づくりのまねごとをしたことがありました。
その頃の作品のひとつ。
あるじなき庭に山吹咲き乱る
あるいは、「庭の」だったかな?「咲き誇る」だったかな?記憶がはっきりしません。
とにかく、農村に過疎が進みつつある時代のものわびしさが、咲き誇る山吹の花のはなやかさとの対比で、いっそうつのるように思えたのでした。でも、感興がありきたりだとして、低評価でした。
現在、行政区としては「市」を名乗るようになりましたが、過疎はいっそう進行し、年々廃屋が増えてています。
今の季節は山吹が咲いてはいませんが、あの庭にもこの庭にも、紅葉が赤々と燃えていて、ここでも貸切紅葉を堪能しました。
そこで新たに一句。
あるじなき庭に紅葉のほしいまま