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20年前のベトナム訪問記(6) [木下透の作品]

現在、新ブログ「ナードサークの四季vol.2」 をメインブログとして更新していますが、こちらの初代ブログも、時々更新しないと、希望しない広告がふんだんに表示されます(PC版の場合です。スマホ版は常に広告が表示されているらしい)ので、それを避けるため、時折更新を続けています。

20年ほど前に体験したベトナム訪問旅行での撮影写真と、記録文をもとに、当時作っていたプライベートホームページのdataから、少しずつ小分けにして.再掲しています。今回は(その6)です


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 3.二日目のベトナム(3)

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一枚の写真にちなんで
 展示写真の一枚、若い米軍兵士が、爆薬で引きちぎれたベトナム青年の死骸(の一部)を、狩猟の獲物か何かのように片手にぶら下げて、ニヤリと笑みを浮かべている写真の前で、別のグループの日本人観光客を案内してきた年輩のベトナム人ガイドさんが、声を固くして説明しているのが聞こえてきました。

 「これを見てください。人間の遺体を手にして、笑っているんですよ。なんということでしょう。相手を人間だと思ったらこんなことはできるはずがありません。」何度も何度も、観光客を案内してきたはずですが、この写真の前ではいつも、憤懣やるかたない思いにかられるのでしょうか。あたかも自分が叱られたかのように、身を縮めながら、写真を正視できずにいる私でした。

 

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この写真を目にして、私はふっと、かすかな記憶をたどっていました。たしか、この写真を題材に、学級通信の記事に扱ったことがあったはずだが...。
 帰国後、古い資料を探ってみましたら、ありました。たしか、私が20代後半の頃の担任通信で、その号は、B4サイズに、文字ばかりぎっしり3枚にわたって書き連ねています。今思えば、新聞づくりのセオリーも、読者生徒の気分感情も全く無視して、こちらの思いの一方的な押しつけに終始した恥ずかしい代物ですが、「笑いについての考察」との題して、論じています。
 小見出しだけご紹介します。---「一 はじめに」、「二 笑いへのぼくの態度」、「三 落語の笑い そのⅠ」、「四 落語の笑い そのⅡ」、「五 ついでに」、「六 『裸の王様』の笑い」、「七 人間的笑いの一般的性格」、「八 退廃の笑い」、「九 再び寄席について」、「十 ふたたび映画について」、「十一 おわりに」---何という長大論文でしょう。
 きっかけは、灰谷健次郎の「太陽の子(てだのふぁ)」が映画化されたのを、民教(懐かしい!)の一環として、生徒全員で鑑賞したのですが、沖縄戦の深い傷跡を描いたシリアスなこの劇映画の、ある場面で、生徒の異様な忍び笑いの声が広がって、鑑賞の妨げとなったということがありました。

 

太陽の子 (角川文庫)

太陽の子 (角川文庫)

  • 作者: 灰谷 健次郎
  • 出版社/メーカー: KADOKAWA
  • 発売日: 1998/06/23
  • メディア: 文庫
 今思えば、単純に、登場者の演技のしぐさや効果音にたいする、本題とはかけ離れた次元での幼い反応であったに過ぎず、今の生徒たちに比べるとまだましな、真摯な鑑賞態度だったかもしれないのですが、当時の私は、そこに横たわる感性のズレに、ある種の危機感を感じたのだったと思います。そして、おそらく、その直感が、今日の時点から顧みて、さほど的はずれではなかったのではないかと思えるのは、残念なことです。 
 さて、その担任通信の一節で、私はこんなことを書いていました。
七 人間的笑いの一般的性格
歴史上のあらゆる独裁者が、庶民の笑いを恐れたのは、笑いの持つ批判力のためである。そしてまた、人間的健全さこそは、独裁を根本から揺るがす要因であることを知り抜いているからである。
「国家の大事の時に、笑っている場合か!歯を食いしばれ!」という声が、ファシストたちのお得意のカケ声であったことを、思い出してくれればよろしい。
だから、ぼくは、オカシイ時に笑えないような事態を恐れるし、涙と同等の価値を笑いに認めるのである。
八 退廃の笑い
いや、だが待てよ。健康で人間的な感情の表出としての笑いとは、正反対の極に位置する笑いもあるような気がする。
ベトナム戦争の写真を見ろ。射殺したベトナム農民のムクロを、狩りのエモノか何かのように、逆さにぶら下げて、記念写真もどきにポーズを取るアメリカ人がいたではないか。その口元には、ニタリと「快心」の笑みが浮かんでいたではないか。
鼻歌交じりか何かで、人々をガス室に送り込み、悶え苦しむ幾万の市民に「うるさい虫けらどもめ」と嘲笑を吐きかけるナチスの青年がいたではないか。
 昨今のニュースをにぎわす少年たちの集団リンチはどうだ。すでに失神して倒れている相手に、絶え間のない足蹴を加える少年たちは、小動物をもてあそぶ幼児の嗜虐的な笑いを浮かべているとか---。
いや、それは、特別な例だ、特異な環境のなせるわざだ---?そうなら幸いだが。
だが、ぼくには、その種の非人間的な病的な笑いが、ぼくらの身の回りにまで忍び寄っているように思えてならない。
九 再び寄席について
今、空前のマンザイブームだという。うっとうしいことの多すぎる現代。大いに笑いが求められていることの表れかもしれない。そして、期待通りに、心休まり、心なごむ笑いを提供してくれる芸に巡りあう機会も決してマレではない。
しかし同時に、下卑て、クダラなくて、しかも押しつけがましくて、後味の悪い「笑い」もハンランしている。(中略)
容姿の美醜をあたかも人格そのものであるかのように取り沙汰して、笑いの題材とするネタ。学校格差や学力差を、そのまま肯定しつつ、それを人格的優劣に結びつけて取り扱う笑い。老人をやっかいもの扱いする笑い。社会道義上の無軌道を、あたかも英雄視し、市民常識を笑い飛ばす笑い---。
この調子で行けば、今に、身障者や社会的弱者、他民族をも嘲笑のタネにしかねまじき状況ではないか。
いや、それは、寄席の場だけの笑いであって、実生活ではいたわりの心を保ち得ると言うのかもしれない。だが、人間をさげすむところに立脚する笑いの感覚は、無自覚であると否とを問わず、人の痛みへの鈍感さ、人間の価値への歪(いびつ)な感覚(センス)を肥やさずにはいないだろう。それは人の痛みを共感し、人の喜びを喜ぶ感覚とは、和解しがたく対立する感覚であるはずだ。その二つが、一人の人間のなかで、自在に使い分けられようはずがないではないか。
現国授業の続きではないが、我々は、センスを研ぎ澄まさねばなるまい。何に怒り、何に悲しみ、何に心を寄せ、何に喜びを見いだし、そして何に笑みを誘われるのか。お仕着せのそれではなく、自前の(すなわち不断の自己洞察の上に築かれる)、良き感覚を、磨かねばなるまい。
 
戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

戦場―二人のピュリツァー賞カメラマン

  • 出版社/メーカー: 共同通信社
  • 発売日: 2002/03/01
  • メディア: 大型本
泥まみれの死 沢田教一ベトナム写真集 (講談社文庫)

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  • 出版社/メーカー: 講談社
  • 発売日: 2019/09/13
  • メディア: Kindle版
日本人カメラマンによる写真も、印象深く展示されていました。
統一会堂(トンニャット宮殿)
 続いて訪れた統一会堂は、旧サイゴン政権時代の大統領官邸。
 1868~70年にフランス人ラーグランディエール南部司令官が、インドシナ統治の宮殿として建設したノロドム宮殿が元の建物で、1954年南ベトナム「サイゴン政権」のゴ・ジンジェム大統領とその家族が住み、政府の執務もここで執りました。1963年2月に空爆でダメージを受けたのを機会に全面的に建てかえられ、いまの姿に。
 1975年4月、解放軍の戦車が、この官邸に無血入城を果たし、ベトナム戦争終結のシンボルとなりました。青と赤の地に鮮やかな星が輝く民族戦線の旗をなびかせて入城する戦車の映像が、鮮やかに記憶によみがえります。屋上には、全面敗北を悟ったグエン・バンチュ-大統領がタイに逃げ出したヘリポートがそのまま残され、あの日の歴史的瞬間のままにいまもヘリコプターが展示されています。
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 ガイドのゴァンさんは、開明的でドライな現実感覚を持つ人のように見受けられます。ドイモイ政策には、好意的であることははっきり感じ取れますが、サイゴン陥落、アメリカ撤退、南北統一から社会主義化へと進む、ベトナム戦争後の歴史の歩みには、市井の一人の若者(と言っても、有能なエリートに属するのかも知れませんが)として、どのような評価・感情を持っているのか、正直のところを聞いてみたい気もしていました。少なくとも、旧サイゴン政権を、「アメリカの操り人形の政府」ときっぱり断言する口調には、営業上の公式的な口上ではない、現代ベトナム市民の歴史の審判を経たコモンセンス(共通教養)に立つ感情が読みとれたように思えました。

 

 
歴史博物館
 約30万年前といわれる原始時代から、フン王建国期、民族独立のための闘争期(1~10世紀)、リ朝(11~13世紀)、チャン朝(13~14世紀)、レ朝(15~17世紀)、タイソン朝(18~19世紀)、グェン朝(19~20世紀初)の記念物が時代順に展示されています。
 先史時代の遺物は、この地が地球上でも有数の、人類史発祥の地であることを改めて教えてくれますし、バクダン川の木杭(クアンニン省)も侵略に対する抵抗と独立への堅い意志と気概の伝統を示す象徴として、よく知られています。
 ベトナム人の抵抗のおかげで、日本への元寇が失敗したのだと誇らしげに語るガイドが、その後で照れくさそうに「ホーおじさんは謙虚でなければと教えているが」と付け加えるというエピソードが、ふと思い出されます(松本清張「ハノイで見たこと」)。
 
ドンコイ通り、ベンタン市場見学
 サイゴン大教会、中央郵便局などフランス風の重厚な建物を瞥見したあと、暮れなずむサイゴンの激しくエネルギッシュな活気ににぎわう市街と、市場(生活物資の供給市場)を駆け足で(文字通り駆け足で)見学。時間にせかされたという一面もありますが、各種の旅行案内やガイドさんからの情報に、観光客相手のスリも出没し、治安はよくないとの警告・アドバイスがしきりにあるので、よけいに兢々として、じっくり人々と交流したり風情を楽しんだりという気持ちのゆとりを持てなかった点は残念でした。
 ただ、夕刻の雑踏の中とはいえ、日本の商店街のわびしく閑散とした沈滞ぶりと引き比べて、カオスとも形容したい人の波波波--には、圧倒される思いです。「この勢いで攻められては、アメリカは勝てっこないゾ」と、妙に納得してしまいそうな勢い。このたくましさは、天性のものか?ドイモイ政策のもたらしたものか?それとも、生存への意欲のボルテージの違いか?
写真は、こちらのリンクをご覧ください。
 ただ、のどに刺さる小骨のように、後味悪く心に残るのは、日本人観光客と見てか、我々の後をどこまでもまとわりつく物売りの少年少女たち。いや、幼児と言っていい子どもたちの姿です。あるものは天秤棒に担いだ果物を、あるものは使用済み切手のセットを、またあるものは民芸細工らしき土産物を、またあるものは小さな紅葉の手に握りしめたガム風の菓子を、てんでに私たちの鼻先に突きつけて、断っても断っても着いてくるのです。
 わずか1~2ドルの代価を得れば彼らは満足するのでしょうが、「物売り」と見えながら決して正当な商取引とはいえない、「物乞い」に子どもたちが競うように駆り立てられていることが、心をふさがせるのです。
 「物乞い」に施しものをする傲慢が耐えられないので、できるだけ傷つけずにお引き取り願いたくて、あやしたり、頭をなでたり、愛想笑いを伴ってバイバイをしてみせたり、疲労困憊の私の意思はとうとう伝わらず、よほど長い時間つきまとった果てに、最後はふてたように「ぷん」と顔を背けて立ち去っていく子どもたちには、学齢にも満たない幼児も混じっています。

 戦後日本の路上の靴磨き少年、あるいは花売りの少女、はたまた、「ギブミーチョコレート」を口々に唱えながら、進駐軍のジープに、争って痩せた手を差し出したかつての子どもたち(私たちよりわずかに年上の世代でしょう)の像と、なぜかダブって、痛ましさを禁じ得ません。誇りもモラルも崩れ落ちた敗戦日本の混乱状況ではなく、「日本、フランス、アメリカの三つの帝国主義を追い払った一小国という名誉」を誇りうるベトナムで、その未来を継ぐ子どもたちが見せるこの状況は、「生活のため」のみでは説明されない「拝金主義の毒」を感じずにはいられないのです。しかも、子どもたちが差し出す手は、間違いなく日本人というターゲットにまっすぐ向けられています。改めて、日本および日本人の立場について、思いを致さないわけには行きません。つづく


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