今朝の地元新聞朝刊に、「第11回 若山牧水顕彰全国大会 岡山県新見大会」の記事が出ていました。旅と酒をこよなく愛した歌人・若山牧水(1885~1928年)の生誕130周年を記念した「若山牧水顕彰全国大会」(実行委主催)が、牧水ゆかりの地・新見市ではじまったとありました。
新見市観光協会のサイトによるとこのイベントの概要は、次のとおり。
昨日(11月7日)
基調報告:テーマ◆「山を越える牧水」 小見山 輝氏(岡山県歌人会会長) 基調講演:演 題◆「牧水はなぜ旅をしたか」 講師◆長谷川 櫂氏(俳人) シンポジウム:テーマ◆「青春の旅 壮年の旅 牧水における旅の諸相」 コーディネーター◆伊藤一彦氏(宮崎県若山牧水記念文学舘館長) パネラー◆栗木京子氏(歌人)、小島ゆかり氏(歌人)、米川千嘉子氏(歌人) 交流会:テーマ◆「酒と牧水」
11月8日(日)
歌碑際 献酒・朗詠・コーラス・短歌表彰(新見市哲西町 牧水二本松公園) 新見散策 新見A級グルメフェア・市内観光(岡山県新見市) |
「旅と酒をこよなく愛した歌人」、牧水といえば、この歌ですか。
白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒はしづかに 飲むべかりけり 牧水 |
昨日、ちょっとした少人数の「飲み会」に誘われ、美酒を楽しみました。料理も酒も上等、歓談の質も上等でした。
実は、その中のお一人から、この行事に参加された由、おうかがいし、ゆかしく思ったことでした。
若山牧水と新見市とのつながりは、牧水が早稲田大学在学中に、病身の父の見舞いも兼ねて郷里の宮崎へ帰省する途中、花袋の「蒲団」の舞台となった新見市を訪ね、中国路を旅した時、哲西町二本松峠の茶屋「熊谷屋」でつぎの二首を詠んだことにちなみます。
幾山河こえさりゆかばさびしさのはてなむ国ぞけふも旅ゆく
この先、幾つの山や川を越えて旅していけば、さびしさの尽き果ててしまう世界にたどり着くのだろうか!今日もこの思いを抱えながら旅をする私である。
けふもまたこころの鉦をうち鳴らしうち鳴らしつつあくがれて行く
巡礼者が鉦(かね)をうち鳴らしながら旅を続けるように、この私も、こころの鉦を鳴らし鳴らししながら、心がさまよい出るような旅を、今日もまた続けていることだよ。
|
二本松峠は、岡山県新見市哲西町(平成の大合併以前は、阿哲郡)と、広島県庄原市東城町の境に位置する峠です。
ここには、牧水、妻の喜志子夫人、長男の旅人氏の、親子三人の歌碑が建てられています。
さて、今日の新聞記事のもう一つ大きな記事は、今日催される「
第一回岡山マラソン」について。
このマラソンに、妻の友人も出場するというので、沿道に立って応援と写真撮影に、午前中おつきあいしました。
今回が、初めての実施でもあり、ちょうど折り返し地点がわが家のほど近くでもあることから、ご近所さんも大勢、沿道に並んで応援しておられます。
孫たちも、大きな声で声援しました。
心配された雨も上がり、風もない暖かさの中、力走が繰り広げられます。
と、突然、こんな方の姿が見えました。
スペシャルアンバサダーとしてこのイベントに参加された、ご存じ有森裕子さんです。
今日、参加者と一緒にコースを走られる予定ということは聞いていましたが、どのあたりの集団で走行されるのか、予測できず、一寸油断した一瞬の出来事でした。
大会事務局のホームページには、こんな紹介がしてありました。
有森 裕子
1966年岡山県生まれ 就実高校、日本体育大学を卒業して、株式会社リクルート入社
バルセロナオリンピック、アトランタオリンピックの女子マラソンでは銀メダル、銅メダルを獲得 2007年2月18日、日本初の大規模市民マラソン『東京マラソン2007』でプロマラソンランナーを引退 1998年NPO法人「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表理事就任 2002年4月アスリートのマネジメント会社「ライツ」(現 株式会社RIGHTS.)設立、取締役就任 スペシャルオリンピックス日本理事長、日本プロサッカーリーグ理事、厚生労働省いきいき健康大使、国際陸連(IAAF)女性委員会委員、日本陸上競技連盟理事、国連人口基金親善大使、笹川スポーツ財団評議員、社会貢献支援財団評議員等を歴任 2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞 同12月、カンボジア王国ノロドム国王陛下より、ロイヤル・モニサラポン勲章大十字を受賞
|
有森裕子さんのことを、最初に知ったのはいつだったでしょうか?
あるとき、世間話に「有森さんの娘も頑張ってるなあ」と話題になったことがありました。私は、知らなかったので「?」と尋ねると、「陸上競技でがんばりょうるが」という話でした。
ここでいう「有森さん」というのは、有森茂夫(しげふ)さん。裕子さんのお父さんで、私たちの同業の高校教員でした。
ですからお父さんとはずっと以前から面識がありましたし、お母さんの広子さんも、PTA活動や教育・子育てなどをはじめとする社会的活動に取り組んで来られた方でしたから、承知していたのですが、お嬢さんについてはっきり知るようになったのは、バルセロナオリンピックでの活躍以降のことのように思います。
二度のオリンピックでの活躍の後は、茂夫さんも広子さんも、「有森裕子の父」、「有森裕子の母」という立場で、子育て・教育について講演される機会が増えたように思います。
茂夫さんには、高校教員を退職されて間もない頃でしたか、当時勤務していた学校で図書の係であった私が、思いつきのようにお電話を差し上げて、図書室での講演をお願いし、ひきうけていただいたことがありました。最寄りの駅まで私の車で送り迎えし、その道中、よもやま話に花を咲かせたことを記憶しております。
2008年、七十三歳で他界されたとお聞きし、落胆したのは、それから程なくのことだったと思います。
茂夫さんにはこんな著書があります。
娘からの贈りもの―有森家の親と子の絆
- 作者: 有森 茂夫
- 出版社/メーカー: 移動大学出版会
- 発売日: 1994/12
また、広子さんの著作には、、
母が語る有森裕子物語
- 作者: 有森 広子
- 出版社/メーカー: あいゆうぴい
- 発売日: 1997/11
- メディア: 単行本
美しい中州の表情を見せて流れる旭川のほとり、津山線「備前原駅」のほど近くに「アニモ・ミュージアム」という瀟洒な建物があります。2003年、有森さんのご両親が、私財を投じて自宅そばに建設された「有森裕子資料館」です。
館内には、走ることで「初めて自信」を持った中学運動会での表彰状から、オリンピックのメダルをはじめ、世界大会に関連した品々、そして、国際ボランティア活動の様子などが常時展示されています。
「アニモ!」は、スペイン語で勇気」「魂」気力」「がんばれ!」の意味。バルセロナ・オリンピックの時、沿道から盛んに寄せられるこの言葉が、有森さんのニックネーム「アリモ」と聞こえ、自分への応援と思え、最後までがんばれたというエピソードに由来した館名だそうです。
裕子さんも、資料によると四十歳代も後半。私生活においても、辛い経験を重ねられたことと拝察しますが、一陣の風のように駆け抜いていかれた有森裕子さんは、足取りも軽やかで、身のこなしも若々しく、何よりもあの笑顔が明るくて、ほっこり嬉しい気持ちを持ち帰ることができました。ただ残念なのは、慌ててカメラ操作をしくじり、正面からの撮影に失敗したこと。悔しい限りです。
ただ、妻のお友達の軽快なランニング姿は、ちゃんとカメラに収めましたから、今日のつとめは果たせたというもので、まずは一安心。
沿道応援をしての帰り道、路地裏の民家の庭に、バラの花がさいていました。雨に洗われて、しっかり潤っています。
では、また。