冬らしい冷え込みが続きます。待望の積雪を得てスキーシーズンの到来、と思ったのも束の間、あり得ないスキーバスの転落事故が、前途ある若者の命を奪いました。痛ましいことです。
事故の状況、原因は、目下調査中だそうですが、真っ先に脳裏にひらめいたとおり、「業界最安値」を売りに、苛烈なコスト競争を生き抜いてきた新参企業の陥りがちな暗黒面(ダークサイド)が、背後に存在しているようです。つまり、労働者の生活、労働条件、健康を削ることによって徹底したコストダウンをはかりつつ、最も大切にされるべき「安全」を二の次、三の次に追いやってしまっていたという、ありがちな(あってはならない)利潤追求体質が、それでしょう。
犠牲者の多くは、卒業・就職を前にした学生さんたちで、センター試験実施に伴う休講と、それに続く土日の休みを利用して、気心の知れた友人たちとともに、生涯記憶に残る楽しい想い出を、青春の一ページに刻むはずでした。むごく、残念なことです。ご冥福を祈ります。
ところで、今日1月17日は、阪神淡路大震災から二十一年目のメモリアルディです。
震災の起こった1995年は、大学入試センター試験は、1月14日・15日センター入試が実施され、その直後の1月17日、未曾有の地震災害が全国を震撼させたのでした。
この震災はたくさんの教訓を残しましたが、「関西では地震が起こらない」「日本は安全だ」などの、根拠のない「安全神話」が崩壊し、自然の猛威を前にして人類は微力であることが痛感させられたことは、なによりもまず銘記されなければならないでしょう。それだけに、人知の限りを尽くして天災に備え、安全を確保することの必要性が、痛切に自覚されたのでした。
これを契機に、利益追求や栄達や抗争や排他競争などよりも、生命の重みを再認識し、慈しみあい、いたわり合い、共同し合うことへと、人々の切実な思いが向かったのも、自然なことでした。「ボランティア元年」という言葉の誕生はそれを象徴していました。

(地震被害に加えて、悲惨な大津波と、人知の未熟をあざ笑うが如き原発事故が重なった2011年3月11日の東日本大震災は、その思いを、よりいっそう新たにさせました。悲しみはなお癒えず、復興もまだ道半ばであるのに、新たな安全神話を繰り出しながら早くも原発再稼働をすすめる勢力の、度し難い鈍感さ、想像力の欠如、脳天気ぶりは、あきれるばかりです。)