ずっと以前、こんな記事を書きました。


戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 補遺 木下 透(2014-02-23)



このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。


木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、この項の趣旨である。


(中略)


ところで、昨日アップした詩「春 其の2」は、「 うららかの春の一日(ひとひ)/萌える若草の香を淡く感じながら/私はひとり寝そべっていた/柔らかな空を 二つのかげが ゆうるりと舞うていた」とつづく。


二つのかげとは何だろう?などと疑問に思われる人はまずあるまいが、「戦争の影」なんてモノではなさそうだ。ましてや、グラマンだとかB29だとか、そんな即物的な形象でもまさかないだろう。


「ゆうるりと」と言う表現からも、文字通りのどかな、平和な情景にふさわしい、トンビかなんかだろうと思って間違いない。
「ゆうるりと」というフレーズは、文芸部の顧問でもあった恩師U先生の、お好みの表現だったように思う。そんな言い回しまで、知らず知らず感化を受けていたのだろう。


昨日、岡南飛行場近くの阿部池周縁を散歩していると、空を二つの影がゆうるりと舞うていた。




これは、どうもトンビではなさそうだ。最近、近所の散歩道でも、ちょくちょく猛禽類の姿を見かけることがある。あわてるので、なかなかカメラに収めることができず、ピンボケ、手振れ写真の量産になってしまう。
ワシタカらしい鳥を見ると、なんだかそわそわして、特別扱いしている自分に気づくが、いかんせん、目視でその種類を見分けることができないので、写真を元に図鑑を調べる必要があるのだが、この不鮮明な写りではそれもできず残念だ。




(中略)


鳥に関してだけは、「タカ派」志向の要素なしとはいえない私だが、政治思想上のタカ派は、論理も行動も乱暴でデリカシーにかけるので、好きになれない。
特にあの、青年将校がよって立つ「問答無用」の論理(いや、正確には「無理」)を、私はもっとも厭悪するものだが、最近の世の風潮はこれを増幅させているようで、いやな気分だ。
ほら、あのマスゾエさんのしゃべり方、イシハラさん、ハシモトさん、乱暴なキメツケで扇情的に自己の特異な主張を押し通そうとする点でそっくりに見える。そんな人物をリーダーとして戴いている市民(シチズンという意味で)のレベルが、それだけお粗末だってことで、またまた気が滅入る。



なぜ、こんな記事を思い出したかというと、先日のご近所散歩でこんな鳥に出会ったのです。


これなあに?



猛禽類には違いないようです。尾の形からしても、トンビではないなあと思いましたがどうもはっきり確認できません。くもりの朝の光量不足のせいもありましょうし、この時持って出ていた機材の限界もあるでしょうか。めったにつかわない、オリンパスE-520+ZUIKO DIGITAL ED 70-300mmという組み合わせでした。比較的コンパクトで望遠倍率が稼げるコンビかもと、半ば実験的な気持ちで、久しぶりに持ち出してみたのですが、ピンボケのせいか手ぶれのせい(手ぶれ補正は備わっているのですが)か、精細度でやや不満が残る組み合わせでした。


はっきり確かめたくて近寄るのを察したのか 、やおら飛び立ちました。



よく見ると、なにか獲物をゲットしたようで、いつの間にか、足で小生物を「鷲づかみ」にしているようです。





チョウゲンボウでしょうか?


こんな鳥の群れも、飛んでいます。





アメリカ、ロシア、中国など頑迷な核保有国による妨害をはねのけて、この1月22日、核兵器禁止条約が発効し、人類史における価値ある一歩が踏み出されます。


「唯一の戦争被爆国」を「売り」にしながら、「傘の下」でこそ平和が保たれると強弁し、核保有国と非核国との橋渡しの役割を果たすなどという特異な珍論を唱えて、署名にも批准にも非協力を続ける日本政府は、ハトでもなくタカでもなく、差し詰めコウモリの類でしょうか?きょうはこれにて。