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恨まれぬやうに自慢を小出しにし [今日の「これなあに」?]

自分にその気がなくとも、幸せ自慢ととられてしまって、途方に暮れる、、ようなことがあります。

年賀状のデザインに、自分の家族の集合写真を使っていたことがあります。

恩師が、生前、洒脱なタッチのペン画(鉛筆画)風の自画像と家族の肖像画(クロッキーというかイラストというかポンチ絵というか俳画というか、古代中国の仙人が描きそうな独特のもの)に、短く近況を添えた年賀状を、いつもくださっていました。幼いお嬢様が、学齢期を迎え、やがて娘さんに成長してゆかれる様などが、ほのぼの窺えて、いいな、と思っていました。

真似できる手業の技量など、とんと持ち合わせていませんので、趣向を真似たつもりで、冒頭のような方法をとっていたのです。当時まだ孫はいませんし、子ども達も独身、というか学齢期だったと思います。何かのイベントの機会や、里帰りの時の、私の老父母も交えた写真などを使ったと思います。「プリントゴッコ」を使ったり、初期の頃のカラープリンターを使ったりしたのでしたか。

ある年、昔の教え子からの返事に、『先生、お幸せですね。私、離婚しました。』と、一言あり、私は激しく衝撃を受け、自分の脳天気さに、気が滅入りました。

1年生の時に担任をしました。器用ではないが誠実な、時折投げやりな態度を見せる一面もありましたが、人一倍人情に厚い女の子でした。クラスで文集を作ろうと提案した時、今時はやらないよとしらけた空気のなか、私が「昔作った文集だけど」と、この記事で書いた文集の実物を見本としてみせると、表情を改めて食い入るようににみつめ、「本当に作ったんだね。凄いね。やるね。」みたいな感想をくれました。建前や、リップサービスとは違う、真実味のある反応を、うれしく好ましく見た記憶があります。

彼女の結婚は、幸せそうなお知らせを貰い、姓も変わり、住所も教わって、年賀状も何年かやりとりしたはずですが、、、、離婚については、初耳でした。

人生ですから、ほかにも、離婚、再婚は、いくつかの事例を承知しています。自ら報告してくれる場合もあれば、人づてに聞き及ぶ場合もあります。無力なもので、遠く見守る事しかできません。

この彼女にも、何か適切な言葉をかけてあげるでもなく、そのあと、いつか賀状の返事も間遠になり、何か後味の悪い思い出が残りました。水くさいことだ、何か力になれることがあったかも知れないのに、と悔やまれてなりません。

ちょうどその頃、私自身、息子の不登校に翻弄され、先の見えないトンネルの中で、家族の誰しもが、ともすればくずおれてしまいかねない危ういバランスの中にあった頃だったと思います。突然に、わけのわからない憤懣が胃袋のあたりから突き上げてきたり、対処しかねる悲しみの発作をもてあましたり、ということを繰り返していた時期ではなかったでしょうか?

その頃私の書いた文章の大半は、徹頭徹尾不登校に関係し、または不登校というバイアスのかかったものでした。書くことで、何かわかることがあるかもしてない、いや、心の平安を保つことができるかも知れないと、無意識のうちに考えていたのでしょう。

「幸せそうな」家族の写真は、決して、人様へのこれ見よがしの自慢のつもりなどなく、崩落の危険をはらんだわが『家族の絆』を、辛うじて確認しておきたい思いのあらわれだったようにも思います。

でも、確かに、どんな事情や思いを背負っていようが、家族が無事に揃って並んで写っている写真は、つよく「幸福」をアピールするものと言えたでしょうし、今思えば、私たち家族は、その頃も十分幸せだったのです。

相前後しての、私の夜間定時制高校への転勤と、息子の休学→海外ホームスティ→通信制高校への転学という、回復へのプロセスがほどよい緩やかさで進行したことも、またありがたいことでした。不登校の諸症状が深刻な発症を始めかけていたころ、息子を親身にカウンセリングしてくださった高校のご自身書道家でもいらっしゃる相談室の先生が、色紙を書いてくださいました。

中島みゆきの『時代』の一節です。

今はこんなに悲しくて
涙もかれ果てて
もう二度と笑顔には なれそうもないけど



そんな時代もあったねと

いつか話せる日がくるわ

あんな時代もあったねと

きっと笑って話せるわ

だから 今日はくよくよしないで

今日の風に吹かれましょう



まわるまわるよ 時代はまわる

喜び悲しみくり返し
 
 



当時としては気休めにも思えたこの歌詞が、程なく的中する予言の言葉でもありました。

ここのところ見逃すことの重なったNHK大河ドラマ朝ドラ「まれ」を、今朝は数回分続けて録画視聴しました。

苦節の年月を経て設立したばかりの自分の会社が、詐欺師のせいで倒産に追い込まれ、「自己破産」の手続きをして、妻子の住む能登にくらすようになった「トオル」。

夢破れ、失意のうちにある「トオル」のもとを、会社の元の従業員達が訪ねてくる。それぞれ再就職もし、あらたな人生を踏み出そうとしているという彼らを、元気づけようと「トオル」が招いたのだ。

が、「美しい奥さん」「美しい娘さん」、大切な家族に囲まれて、幸せそうににやついている「トオル」を見て、元従業員の心は穏やかではない。

同じ被害者だと思ったから、心配懸けまいと、再就職も決まったとウソをついて安心させたが、今の世の中そんなにたやすく再出発などできはしない。路頭に迷っているところを妻子にも愛想を尽かして出て行かれた。その目から見れば、幸せそうな『トオル』の脳天気さは許せない、、、といったようなお話でしたっけ。

そんな一コマに、「あなたが思う、(家族の)幸せの形とは?」という問いかけがあり、考えさせられました。



今朝も、7時前に細君を乗せて職場に送り、そのまま引き返しても良いところですが、何か清々しい朝のひかりと空気が、しきりに私を誘います。

というのも、最近M師が、私の健康状態を気に懸けてくださりつつ、私の住まいのエリアーに、渡り中のシギ・千鳥の姿が目撃されている由、教えてくださいました。ケリがいるあたりとか、レンコン田のあたりとか、目を凝らすとちょろちょろ動いているそうです。

まだ『病み上がり』の身、実際に歩くのは、億劫ですが、車で短時間回ってみるだけなら、見つからなくて元々、綺麗な空気でも嗅いでこよう。

と、田園地帯に足を伸ばしてみました。



今日持ち出したのは、PENTAXK5Ⅱ+AFBORG(45ed29の組み合わせです。興味をお持ちでない方には、わけのわからない符丁で恐縮ですが、望遠鏡のレンズで、遠くを写したい安上がりセットです。

広角レンズも持ってくれば良かった、とちょっと悔やみましたが、それくらい、目に美味しい景色、胸に美味しい空気でした。



農作業小屋などのたたずまいも目を惹きつけますし、遠くに工場の煙突が煙を吐いているのも絵になります。



山が深い霧雲に覆われています。





稲田の水玉。











こんな鳥に逢いました。





















トンビでしょうか?

それともノスリ?





電柱、電線の上に2羽止まっています。これは何?

やはり鳶とは違うようですが、、、

















余りいっぺんに自慢すると、幸せすぎると恨みを抱かれてもいけません。

小出しに自慢することにしましょう。オイオイ、やっぱり自慢かい。

続きは次回。


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コメント 6

johncomeback

幸せ自慢大会のように感じてFBから撤退しましたが、
僕のブログをそう受け取る人もいるんだろうなぁ(-_-;ウーン
by johncomeback (2015-08-18 21:15) 

majyo

時代はいつも 話せない、食べれない、寝たきりの友達を
見舞った時に吹きます。彼が好きだったからです
そして、街宣でも吹きます。
それは、願望です。いつか笑ってこんな時代があったねと
言えれば良いなあと
私はもうあまり話さないでしょう。
あまりに多すぎて長くて理解されないからです。
誰にもありますね。そんなこと

by majyo (2015-08-18 22:20) 

kazg

johncomeback様
> 幸せ自慢大会のように感じてFBから撤退
そうなんですか。思い当たる点があるような、、、。
貴ブログ、まるごと楽しみに愛読いたしております。美味しい幸せ、旅の幸せ、ご遠慮なく「自慢」してくださいませ。
by kazg (2015-08-19 06:34) 

kazg

majyo 様
「時代」、曲も詩も秀逸ですね。
初めに聞いてた頃は、我がことではなく、一般的によい曲と感じただけですが、息子の件と結びつくと、切実な「願望」にも、「祈り」にも、「託宣」にも聞こえてきました。
by kazg (2015-08-19 06:42) 

momotaro

いつも俳句に感心していますが、今日の川柳もいいですね〜
by momotaro (2015-08-19 07:28) 

kazg

momotaro 様
デヘヘ、、、照れますなあ。オソマツ至極です。
by kazg (2015-08-19 17:41) 

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