8月終わりの鳥日記、の巻 [Nature]
M師から「セイタカシギとアオアシシギ」観察の鳥情報をいただいたのが先週でした。周辺地理の写真も添えてくださっていました。私の住居近くの田園地帯とのことで、あらましの位置関係をイメージしたうえで、最寄りのコンビニに駐車して、りょっくを背負って徒歩で攻めてみることにしました。ウォーキングの歩数も稼げて一挙両得と、皮算用したのです。8月27日(金)の朝でした。でも、九時を過ぎるとことのほか厳しい日照に、めまいを催しながら、2~3kmも歩いたでしょうか?でも、芳しい出会いを得ることはできませんでした。
成果と言えばこのトンボくらいです。ウチワヤンマにしてはウチワの部分が小さい気がします。タイワンウチワヤンマ(台湾団扇蜻蜒)かも知れません。
鳥と言ったら雀の群れぐらいしか見つけられません。すごすご引き上げたのでした。
が、M師の情報をもう一度検討し直してみましたところ、早とちりだったかも知れないと思い返し、今日再チャレンジしてみました、今日は車で前回の位置をさらに先まで進んでみましたら、どうやらそれらしい場所を見つけることができました。
贅沢な出会いがありました。
イトトンボ。
ツグミムクドリ?
ハクセキレイ。
そして、、、、
セイタカシギ???興奮しました。
政界のニュースは、二階幹事長交代か?総裁選は菅か 岸田か石破か、はたまた安倍直系を辞任する高市か???みたいなことで湧いてますが、私、しらけてます。国民の多くもそうだと思います。
今日はこれにて。
穫り入れ試験、の巻 [園芸]
8月も終わりに近づきました。コロナの蔓延が若者はおろか子どもたちにも広がり、学校再開への不安もつのるなか、今日は孫たちの二学期の始業式。したいに秋めくはずの気候も、耐えがたいほどの暑さです。
朝の間のひとときはさわやかですが、、、
ショウリョウバッタが、倉間クルマのフロントガラスでご挨拶です。
体感的にはまだまだ夏と言ってよいほどですが、季節の推移は、着実で、稲穂も徐々に実り始めていますし、いつのまにか、ワタが白い実を結び始めました。
昨日、郷里へ帰った際に、妻は、畑に栽培している綿の実(綿花)を、少々収穫実験してきました。
まずまずの出来具合です。
納屋の奥に置いてあった箕を探し出して、日光に当てて乾かしています。古き良き時代の情趣が漂います。手元の破損部分をガムテープで修復してあるのも愛嬌です。
今日はこれにて。
制度廃止を祝う!の巻 [私の切り抜き帳]
地元紙「山陽新聞」の今朝のコラムが興味深かったので一部引用させていただきます。
「こんな制度、本当にやるんですか?」。導入が決まったとき、岡山県内の学校や教育委員会、大学などの関係者を取材したら、逆に質問された。教員免許の更新制である▼第1次安倍政権が掲げた「教育改革」の一つだった。当時の本紙記事には地元大学の教授のコメントがある。「長い目でみると、教員のなり手が不足し、学校がもたなくなる可能性がある」。予想は的中し、導入から12年で行き詰まった▼更新制は終身制だった教員免許を10年の有期にした。数万円の受講料を自己負担して30時間の講習を受けないと失効してしまう。更新前に早期退職する人が増え、代替教員もなかなか見つからない。何より長時間労働が敬遠され、教員を目指す学生が減っている▼教員の質向上を狙った改革のはずが、必要な数を確保するのも難しくなった。文部科学省が制度廃止の方針を決めたのは、なり手不足がそこまで切実ということだろう。
(以下略)
誰の目にも明らかな「愚策」。アベ=スガ政治には、そんなのが多い(というより、そんなのバッカ!)けれども中でも愚策中の愚策の典型が、この「教員免許更新制」でしょうか?何はともあれ、遅かりしとはいえ、廃止されたのはよいことです。それにしても残した傷跡は、なかなか癒えることがありますまい。
当ブログで、この問題を扱ったことは稀ですが、ずっと以前のこんな記事でちょっとだけ触れてます。
戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前” 木下透(2013-11-28)
このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。
木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。
今日掲載するのは、高3の時の作品だ。黒表紙の活字版の冊子ではなく、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載した。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸しており、最近はしばらく行方不明になっていたが、今朝の捜索で発見された。
「失せもの探しの人生」で、悲嘆すること常であるのだが、今日は朝から気分がいい。
ただ、苦労してこの作品を探したのは、安倍さんの「秘密法」ごり押しが腹に据えかねたせいだ。
第一次安倍内閣が、ご本人の健康問題により中途で投げ出した格好になったことを、厳しく批判する声もあったなかで、私などは、ほぼ同世代のものとして
多少同情とともに見てきて、また健康回復されたことはご同慶の至りと、本心から思ったのだったが、政権獲得後の仕事の中身はいただけない。
忘れかけていたけれど、そもそも第一次安倍内閣は、
「美しい国づくり内閣」
「創りあげたい日本がある。 美しい国、日本。」
「戦後レジームからの脱却」
「改革実行力」などの勇ましいスローガンを繰り返し、
「防衛庁設置法」等の改訂で防衛庁を防衛省に格上げし、
「国民投票法 」の新設で、憲法改定手続きを具体的に定め、
「憲法の理想の実現は教育の力にまつ」とされた1947年版の「教育基本法」を変質させ、
「学校教育法」「教育職員免許法」「教育公務員法」「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」など一連の法改定により、教職員への締め付け(お上のいいなりになる教員づくり)を根幹に置く「教育改革」を進めてきた。学校現場を多忙と混乱に追い立てている「免許更新」制度も、彼の思いつきからごり押しされたんだっけ。
これをもとに鈍い頭で考えてみるに、「戦後レジームからの脱却」って、つまり、戦前に戻るって事なんじゃないの?
高校時代の私は、これがホントに現実になるなどと考えたわけではないが(甘かった!)、世の中が「戦前」に進もうとしているような素朴な直感から、こんな詩を作った。
佐藤栄作内閣時代で、 「もはや戦後は終わった」などの発言があった時代だ。高校生の私は、戦後がおわったのならば、次に来るのは「戦後後」で、その先は次の戦争に向かう「戦前」ではないか?と不安を感じたのだった。それが今、まもなく現実になる!なんてことがないように祈りたいものだ。
(中略)
この作品を書いてから、40年以上が経過した。
その間に、事態はどう変化しただろうか?
付け加えるべき記述は、ごまんとありそうだ。
が、それを書き入れたとしても、「戦前 戦中 戦後 戦後後 そして”戦前”」の、スパイラルから、いまだ脱し得ていないことは、残念ながら否定できないのではないか?
最後の”戦前”に抹消線を施して「恒久平和」と書き入れる事ができるよう、 人類の理性と英知の方向へ、心を合わせたい。
岡山後楽園のカルガモからのメッセージ。「この世に生を受けたものたちの上に、真の平和が永遠に続きますように。」
改めて考えてみますと、アベ政治もスガ政治も、道理や理性を徹頭徹尾軽んじ、異論を受容することも、逆に説得をはかることもさらさら念頭にないようで、ひたすら強権を駆使して有無を言わせず「君臨」することを基本の手法としているらしいですな。「教員免許更新制」も「学術会議任命拒否」も、一連の官僚支配もマスコミ支配も、ことごとく根っこは同じと思えます。そのために、教員も、学者・研究者も、官僚も、マスコミも、、、、自由に伸び伸びと、持ち前の力を発揮するチャンスも意欲も奪われて、救われない消耗と「劣化」をしいられつつあるのが現状のようです。困ったことです。
「過則勿憚改(過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。)」(論語・学而)の言葉を、アベ=スガさんにお贈りしたいものですね。
昨日の付録のつづきです。
ワタいろいろ・・・(8/22撮影)
水浸しだった綿畑も、少しずつ水が引いて、ワタの機は元気な姿を見せています。
今日はこれにて。
綿柎開、の巻 [Nature]
ブログのカテゴリーに、Nature(自然)というものを作っておりますが、確かめてみますとわずか11記事しか書いてません。能書きが多くて、あちらこちらに話題が広がるせいで、「自然」に限定した話題にならないせいと見えます。
ですので今日は、もっぱら自然をテーマに書くことにします。
二十四節気で「処暑」と呼ばれる候となりました。
「処」は落ち着くという意味で、残暑も峠を越え、朝夕は涼しさも感じられ、虫の声にも秋の気配が漂う頃とされます。その「初候」を、「綿柎開(わたのはなしべひらく) 」と呼ぶ由。
「実用日本語表現辞典」
URL http://www.practical-japanese.com/
にはこうあります。
綿柎開
読み方:わたのはなしべひらく
七十二候の一つ。二十四節気の処暑の初候にあたり、8月23日~8月27日ごろに相当する。季節は初秋。綿柎開は、それ自体としては「綿を包む咢(がく)が開く」などといった意味。また、処暑の次候は「天地始粛」と言い、末候は「禾乃登」と言う。なお、綿柎開は「略本暦」における呼び名であり、元となった中国の宣明暦では「鷹乃祭鳥」と呼ばれ、「鷹が捕らえた鳥を並べて食べる」などといった意味である。
ワタの花については前回話題にしましたので、今日は省略。
長い雨の間、梅雨時期のような涼しさでしたが、雨が上がると蒸し暑さがぶり返しています。でも、目に映るものは、真夏とははっきり変わってきています。
夕焼け(8/20)。
久しぶりの自然環境体験公園(8/21)
シオカラトンボ
ギンヤンマのペア
あれほど盛んだったクマゼミの勢いがやや衰えて、、、
今を盛りと声をふり絞って鳴くのは、ツクツクホウシ。
カイツブリ。
背中の方にいるのは雛?
こちらは、若鳥のようです。
コサメビタキかな?
シモツケソウ。
今朝(8/24)の散歩スナップ。
今日はこれにて。
といったん書き終えましたが、思い直して、ワタの花を付録でつけます。
おしまい。
似而非、の巻 [折々散歩]
先般、こう書きました。
巣立ち間近、の巻(2021-08-04)
最後に今日の付録。これなあに?
オクラではありません。
同じアオイ科ですが、妻が育てているワタの花が咲き始めています。
この話題はまた回を改めまして、、、
去年の記事ではこんなことも書きました。
棉から綿へ、の巻(2020-09-05)
以前こんな記事を書いたことがありました。
ふくらみ始めた綿の花(2013-08-05)
庭の片隅で、薄クリーム色の綿の花が膨らみ始めています。
妻が知人からいただいてきた種を、植木鉢にまきました。双葉の頃に何者かにすっかり食われ,ほとんど全滅状態だったのですが、この一鉢だけはかろうじて育ち、健気にもつぼみを成していました。最近は世話もせず、ほとんど放置状態なのに、よくぞここまで育ってくれました。
綿花と言えば、子どもの頃は。故郷の山沿いの畑で、栽培されている姿をよく見かけました。痩せた畑と見える場所で、旺盛に育っている姿が記憶に残っていて、こんなにデリケートな植物とは知りませんでした。(中略)
妻は、今年もまた、綿の栽培にチャレンジしています。
(中略)
ところで、「棉」と「綿」の二つの漢字の使い分けは、「棉」は植物としての状態を指し、収穫された種付きの状態まで。これにたいして、「綿」は、種を取り除き繊維としてのワタになった状態を指すのだそうです。
妻の要請により、棉栽培の経過のあらましをまとめておきます。
(中略)
やがて綿花がはじけたので、摘み取って帰ります。
9月4日、何度目かの収穫。
摘み取って帰った綿花から、種子を取り除く必要があります.その作業が終わってこそ「棉」から「綿」に変わるわけです。
中略
麺生地を平たくするためのローラーに、種がついたままの棉を通すと、種が外れて綿が出てきます。想定外の使途ですが、製麺機ならぬ製綿機として、第二の生を歩めそうです。
取り外された種。購入時の何倍の量になりましたか?
できあがった綿。
こうやって採取した種と、さらに別種の種も取り寄せて、今年も栽培したいと妻が申しまして、植木鉢、プランター、家庭菜園用に借用している畑などに少しずつ植えましたがまだ余ります。で、一案を講じまして、郷里の山畑が、猪や鹿に荒らされるにまかせて半ば放置してある場所に植えてみることにしました。芋や根菜、スイカやカボチャはイノシシに荒らされ、柔らかい葉野菜はおろかトウモロコシや小豆ほかの豆類も、新芽のうちに鹿にかじられますので、獣よけの電柵もフェンスも張らずに、栽培できる作物はないか、日頃の懸案だったのです。ワタはどうか?試してたい興味もあったのです。
案の定、柔らかい葉っぱが無惨にかじられてしまいます。電柵やフェンスほど大がかりでない防獣策として、センサーによって獣を感知して音と光で撃退するという装置を設置してみました。音は、鹿に対しては低周波、光は青色が有効だとの触れ込みです。
少しは効き目があったのかも知れません。
こんなに成長したものでも、装置から遠いところは、葉先がかじられています。
が、まずまずの生育ぶりです。
以下、あちこちに植えてあるワタの花を日付順に紹介します。
8月6日
8月12日
8月14日
それと、ワンパターンの展開ですが、よく似た花の写真も、日付順に。
8月7日。
8月8日。
8月17日。
オクラなのですが、大きくひらいた花が写せません、過去の記事をひもといてみましたが、案外登場回数が少ないようです。例えばこんな記事。
茸(キノコ)野分して長崎の日は雨だった(
2014-08-08)
偏食のある孫たちですが、オクラは好んで食べます。
昼10人、夜12人の大賑わい(2014-08-16)
オクラ。
生命力旺盛に、日々新たに花が咲き、実が育っています。
これも、よく似た花です。
この黄色い花なあに?(2014-10-07)
この花なあに?
アオイにもフヨウにも、綿の花にもオクラの花にも似ています。
ローゼルでしょうか?ロゼリ草、ローゼリ草、レモネードブッシュなどとも呼ばれるそうです。
ローゼルの花や果実は、「ハイビスカス・ティー」に利用されるそうです。
「ジャガイモ」は、ジャカルタ(インドネシア)から伝来したので「ジャガタライモ」がなまったもの、「カボチャ」はカンボジアに由来する、などのれんそうから、「オクラ」はアメリカのオクラホマ原産、とワケ知り顔に思い込んでいたことがあります。
実は、オクラのスペルは「okra」、オクラホマのスペルはOklahomaで、「r」と「l」の違いから、両者はまったく関係ないらしい、と知ったのはつい最近のことです(汗)
「オクラ」は、西アフリカ・ガーナ地域の言葉「nkuruma」に由来するとか。ちなみに、オクラホマの方は、ウィキペディアによると「州名はチョクトー族インディアンの言葉でokla と hummaを合わせたものであり、「赤い人々」を意味する」のだそうです。調べてみるものですね。
この稿、構想では、山上憶良(やまのうえのおくら)の話題に進む予定でしたが、さすがにそれは牽強付会というものなので、「自粛」することにします。
今日はこれにて。
思いもかけない大ニュース!の巻 [折々散歩]
長雨が続きます。
ちょっとした雨止みの隙を見て、朝散歩してきました。
散歩の間中、私の心を占めていた一大事件があります。
今朝の散歩で見つけた清楚で爽やかな花にたいするの印象にも似た事件です。
雨に濡れた白百合。
白いアサガオ。
さてその大事件とは、、、?
昨日、高知在住のN先輩から、メールをいただいていました。その内容は、学生時代の友人(後輩)S女史が、高知県議補選に立候補することになったとのこと。「え???」とおどろきました。
調べて見ると「しんぶん赤旗」にも、小さくこんな記事が載っています。
候補者の安田せつ子さんとは浅からぬ縁があります。
第一は、大学の同じ学部、学科、専攻の後輩です。私は勉強好きでしたから、語学をはじめ一般教養の授業なども含めて数年がかりで習得しましたから、同じ授業やゼミでも、しばしばご一緒しました。
第二は、わが妻と同郷で、高校の同級生、大学入学当時は下宿まで同じでしたので、いきおい、しばしば共に行動する機会もありました。
第三は、ですから、卒業後も、妻とともに里帰りしたときなど、実家近くでお会いすることもある「昵懇」の間柄だったといえまず。
第四は、県は違っても、共に教職に就き、組合運動にも携わってきた共通点から、実際にお目にかかる機会は稀であっても、変わらず心通じる間柄だったと言えます。
第五は、当ブログでもしばしばご紹介している、数年前から何度か開かれている大学時代のサークルの同窓会でお目にかかる機会が増えました。一番古い記事はこれでしょうか。
夏ゆくやそれぞれの老ひ輝きて(2013-08-27)
それ以来、この同窓会のたびに、友だち自慢満載の記事を何度も書いてきました。
「友が皆 我より偉く 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻と親しむ」という啄木の歌が、ことあるたびに念頭に浮かびます。でもそこに、自虐や自嘲の感情が入り込む余地はなく、ただ、感嘆の想いが募るばかりです。この日も、この歌が脳裡を幾たびも駆け巡りました。
この日、高知に一泊で出かけたわけは、学生時代のサークル(教育系の研究サークル)の同窓会に参加するためでした。(中略)
閉会挨拶をしているのは、高知県議米田稔氏(公人なので公表しておきましょう)。彼も同期で、教育学部中学校課程の出身。学生時代、アパートに泊めてめてもらったり、箱買いのインスタントラーメン(実家からの仕送りらしい)を食べさせてくれたりしました。「ラーメン食う?」という、独特の声音が今も耳に残っています。
英語教師への道を断念して、社会運動に身を投じ、市会議員を経て県会議員を五期勤めています。
ちなみに、7月の参議院選挙で東京選挙区から立候補して見事当選した吉良よし子さんのお父さんが、米田氏の同僚県議の吉良富彦氏。お母さんも、学生時代の年下の友人です。何も私の手柄ではないですが、テレビや新聞で注目を浴びる姿は「キラキラ」まぶしくて、我がことのように誇らしい気がします。
実は、厳密に言えば、せつ子さんはサークルは一緒ではないのですが、親しい友人が多いので、この同窓会に参加してくれることが多いのです。
去年の会では、知る人ぞ知るオハコの落語を、和服姿で披露してくれました。
進んで人前に出しゃばるタイプの人ではなく、穏やかで温かい人柄でしたから、落語を演じる姿に驚きかつ感心したものでしたが、今度は何と県議選に立候補とは、、。またまた、とっておきの友だち自慢のネタが増えました。
とりあえず今日は、ここまで。
平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好き、の巻 [日録]
激しい雨が続きます。
皆様、ご無事でしょうか?
昨日は、新しい車の長距離運転テストも兼ねて、郷里に帰ってきました。
思わぬ場所に、全面通行止めの箇所があったりして、警戒感がそそられます。墓地のあたりから見下ろすと、川の濁流が、いつになく凶暴な様子を呈しているようです。
未だかつてないような、降雨が各地を見舞い、災害の情報も続いています。これは昨日の警報どの状況です。
一夜明けて、今日は、我が地方は、激しい雨はややおさまり、時折晴れ間ものぞくようになりましたが、全国の被害状況は深刻。さらに警戒が必要とのこと。気候変動も、感染症パンデミックも、詰まるところ歯止めのない乱開発・急激な自然破壊にたいする、地球からのしっぺ返しにほかならないのでしょう。SDGsの目標達成に、もはや猶予はないという警告とも言えるでしょうか。
最近の朝散歩のストック写真です。
八月七日。
pentaxk-1ⅡにSMCpentax100mmMACROを着けて写しました。
常山。
アブラゼミ。
サツマイモの葉の上のツチガエル。
ツユクサ。
八月八日。
PENTAXks-1+sigma70-300mm macroです。適宜トリミングしています。
ナミアゲハ。
コスモス。
常山。
稲葉の露。
飛ぶシラサギ。
イタチ。
ツチガエルたち。
八月十日。
PENTAX ks-1+TAMRON18-250mmにて。
田園風景。
稲田のアオサギ。
電線に止まるカワウ。
八月十三日。
雨なので、防塵防滴仕様のPENTAXk-30+smc PENTAX-DA 18-55mm F3.5-5.6 AL WR。
稲田の向こうの山の姿が雲に隠れて見えません。
アサガオ。
ツキミソウ。
今日は76回目の終戦記念日。
ちひろ美術館のブログ記事が心にしみます。
https://chihiro.jp/tokyo/blog/26091/
終戦の日に
2021.8.15 /その他
本日2021年8月15日は、76回目の終戦の日です。
いわさきちひろは青春時代に戦争を体験し、のちに次のように語っています。「青春時代のあの若々しい希望を何もかもうち砕いてしまう戦争体験があったことが、私の生き方を大きく方向づけているんだと思います。平和で、豊かで、美しく、可愛いものがほんとうに好きで、そういうものをこわしていこうとする力に限りない憤りを感じます。」
いわさきちひろ 1972年ちひろの描いた子どもや花は、いのちと平和の大切さを今も語り続けています。
https://chihiro.jp/forpeace/
今日はこれにて。
諸事多端、の巻 [折々散歩]
孫たちの夏休みは、ジジババにとってはそれなりに忙しいです。年は重ねても、夏休みは忙しいです。幼少時ほど、みっちり託児所業務に携わる必要はなくなりましたが、小学生は夏休みの宿題を持って我が家に滞在しますし、中高生にも、昼ご飯を提供すべき日も多いですので。
それとは別に、退職者の身には、平日休日の別なく「貧乏暇なし」を痛感することが多く、とくにこのところなぜだか忙しく、スケジュール帳をめくるとこんな有様。
7月27日 年金者組合県本部定期大会
28日 教育相談ボランティア当番
29日 コロナワクチン2回目接種
30日 教育相談スタッフ研修会
8月3日 年金者組合地元支部の定期総会。これにあわせて会計処理とか、活動経過のまとめとか、なかなか手間暇と気疲れを伴う作業が必要で、かなり消耗しました。
7日 年金裁判原告団会議 岡山地裁での国言いなりの不当判決を受けて、高裁への控訴を決定した原告団・弁護団と支援者の意思統一の集会。五人の弁護士が、それぞれの立場から裁判の意義・争点を解明。並々ならぬ知的刺激 を受けました。
8日 さらぬ会議
(注)古語辞典より
さら-ぬ 【然らぬ】
①そうでない。それ以外の。そのほかの。
②たいしたことではない。なんでもない。
さら-ぬ 【避らぬ】
避けられない。
9日 地元「九条の会」の「九の日行動」
退職同業者の会の「会報」に、あらまし次のような記事を寄稿する予定です。またまたおなじみのフライングですが---
地元「九条の会」は、毎月9日に、スタンディングアピールなどを中心に「9の日行動」を実施していますが、長崎被爆76年に当たる今年の8月9日、地元「集会場」で、憲法をテーマとした学習会を行いました。
学習会に先立って、世話役のQ男さんのギター伴奏で、うたごえを楽しみました。曲目は「青い空は」、「あの日の授業~新しい憲法のはなし~」など、よく知られた作品に加えて、世に出たばかりの新曲「旅の道標(みちしるべ)」を合唱。これは、同「9条の会」のメンバーの一人である本田ゆみこさんが最近出版された「読む絵本 旅の道標」に収められた作品で、本田さんの原詩・原曲を音楽家の八木たかしさんが補作したもの。
「読む絵本 旅の道標」は、本田さんの詩に、お嬢さんのFさんが描く淡く美しいイラストの数々が添えられ、それらが優しいハーモニーを奏でる珠玉の詩画集です。
メインの学習会は、地元在住の先輩高校退職教師Aさんを講師に、「自己責任論と憲法」というテーマで、学習と意見交換を行いました。「新自由主義のキーワード」としての「自己責任論」は「国家による洗脳」の現代版、との指摘は鋭く胸に響きました。
講義レジュメの一部を紹介させていただきます。
はじめに
国家権力が全国民を巻き込む謀略的な政策を強行しようとするとき 最も有効な手段の一つは国家による洗脳だと思います。
無謀な侵略戦争は 治安維持法(死刑法)の下で皇国史観・大東亜共栄圏論をもとにすべての国民を洗脳(マインドコントロール)することによって遂行されたことは歴史が証明しています。
この国民的洗脳を徹底するために、国家権力が手をつけるのが教育です。 教育勅語を根幹に据えた小学1年生からの軍国主義教育がそれでした。私たち小国民はこの恐ろしい歴史的事実を決して忘れることはできません。そういう立場から、自己責任論の始まりからコロナ禍の深刻化した現在までの事態の経過を見る時、新自由主義の キーワードとしての自己責任論は、「国家による洗脳」の現代版だと考えます。
1自己責任論を教育分野の基本に
日本における新自由主義は1980年代に始まりました。新自由主義の特徴は 簡単に言えば経済のグローバル化、規制緩和、自由選択、受益者負担などによって国家の責任を縮小し、市場原理に任せて失敗も成功も最終的には個人に責任を負わせるところにあります。 この個人の責任の正当性を広範な国民に浸透させることが政策の不可欠の条件であることから、自己責任論を教育の分野の柱の一つに据えたのです。それを教育改革の名のもとに進めたことを 注意したいと思います。
(1) 臨時教育審議会答申自己責任論明記
1985年、日本経済調査協議会 (経済4団体協賛で運営)は「21世紀に向けた教育を考える」 と題する報告書を発表します。提言の形をとりますが 自由主義政策推進のための、財界の教育に対する要求と言ってよいでしょう。
それを受けてと言って良いと思います。1987年、臨時教育審議会は答申を発表しました。
「今次教育改革において最も重要なことは、これまでの我が国の根深い病弊である画一性・硬直性・閉鎖性を打破して個人の尊厳、個性の尊重、自由・自立、自己責任の原則、すなわち「個性重視」の 原則を確立することである。この「個性重視の原則」に照らして、教育の内容、方法、制度、政策など教育の全分野について抜本的に見直していかなければならない 。
以上が答申の中心部分ですが、特に注目しなければならないことがあります。
第一に画一性、硬直性、閉鎖性を打破して、個人の尊厳、個性の尊重、自給。自立、自己責任の原則、すなわち地など三つの事柄を「根深い病弊」として全否定したこと。
第二に、ことさらに憲法24条の個人の尊厳を持ち出し、それとかかわらせて「自己責任の原則」を明記したこと。
第三に、第二の 規定を「個性重視の原則」なるものに一くくりにし、教育の抜本的見直しを求めていること。
前述したように新自由主義の推進による最終的責任は個人にあるという論理を、「自己責任の原則」として教育の基本に据えることを求めたものであることが本質です。(2) 学習指導要領の改定-方針の具体化 -
1989年学習指導要領が改訂されました。方針を具体化し教育現場での実践を義務付けるものです。特に注目されるのは「新しい学力観」という考え方を示したことです。教科学習の評価に「 意欲・関心、態度」を加え、教科内容の知識理解より重要な観点としたことです。
この観点は、分からないのはその子の個性で、自己責任であるとする見解とつながるもので、すべての子どもたちに基礎的学力をという共通の課題だったものを画一性・硬直性として否定し、競争の激化と学力の格差をいっそう拡大する措置です。やがて、「勝ち組」と「負け組」が流行語となり、一握りの「勝ち組」と大多数の「負け組」を生み出すことになります。学習内容だけでなく制度の改変を進めます。「選択の自由」に関わる者の一部だけをあげます。小中高一貫校の設置、学校間格差の承認、 通学区域の自由化などです。なかでも子育ての分野への自己責任論の導入は社会問題になりました。公的保育所の削減、統合・廃止・民間企業の参入・基準緩和など)は、保育からの公的責任を回避し、選択の自由の名によって個人に責任を負わせる制度の強行です。やがて”保育園落ちた、日本死ね”という母親の 痛烈な叫びを生みます。
この論考は、近年の索漠として救いの見えない教育状況に、悲嘆といらだちを覚えることが常となった私にとって、子ども・教師・父母たちの苦痛の根源を解き明かす上で、目からウロコの解明でした。
長く日照りが続いたこの夏でしたが、ここに来て天気の崩れとともに、長い激しい降雨が心配されるようです。「ほどほど」ということを、自然にばかり求めるのは身勝手というものでしょうかね?
これから先、何日も雨が続くようですが、晴れた朝散歩の景色を載せておきます。
今日はここまで。
爽やか!の巻 [折々散歩]
台風が通り過ぎ、清澄な空気が好ましい朝です。
暦の上では立秋も過ぎたわけですから、「爽やか」という秋の季語を遠慮なく使ってよい季節になったわけです。
今年も夾竹桃を写しておきます。
上の画像は、久々に持ち出したPENTAXk-s1+TAMRON18-250mmで撮影しました。
夾竹桃については何度も書いてますが、去年のこの記事
コロナ止まぬヒロシマの日や草払う(2020-08-06)
がそうであるように、「♪夏に咲く花夾竹桃」の歌への連想から、この花を見ると、広島・長崎の原爆を連想市内ではいられません。
さて、今年の8月6日、広島市での平和記念式典ではスガソーリが、またまた醜態をさらしたそうですね。心のこもらないコピペ放題の官僚作文や、原稿の読み間違いは、アベ・アソー時代から脈々と継承されるお家芸なのでしょうが、それにしても今回の読み飛ばしはヒドい!
原稿の中のこんな記述が読み飛ばされたそうですね。
わが国は、 核兵器の非人道性をどの国よりもよく理解する唯一の戦争被爆国であり、 『核兵器のない世界』 の実現に向けた努力を着実に積み重ねていくことが重要だ
N H Kは、式典の中継であいさつに合わせて表示していた字幕を、 首相が読み飛ばしたため、一時停止する異例の対応を取ったそうです(私はあいにく目撃していませんが)が、、、、。原稿をのり付けした官僚の不用意なミスが原因だそうですが、読み飛ばした箇所が箇所だけに、本音の吐露というべきかも知れませんね。
世界に公開されたわがプレジデントのお粗末際立つだけに、8月9日、田上長崎市長が読み上げた長崎平和宣言が、格調高く爽やかに胸を打ちます。
長崎平和宣言
今年、一人のカトリック修道士が亡くなりました。「アウシュビッツの聖者」と呼ばれたコルベ神父を生涯慕い続けた小崎登明さん。93歳でその生涯を終える直前まで被爆体験を語り続けた彼は、手記にこう書き残しました。
世界の各国が、こぞって、核兵器を完全に『廃絶』しなければ、地球に平和は来ない。核兵器は、普通のバクダンでは無いのだ。放射能が持つ恐怖は、体験した者でなければ分からない。このバクダンで、沢山(たくさん)の人が、親が、子が、愛する人が殺されたのだ。
このバクダンを二度と、繰り返させないためには、『ダメだ、ダメだ』と言い続ける。核廃絶を叫び続ける。
原爆の地獄を生き延びた私たちは、核兵器の無い平和を確認してから、死にたい。
小崎さんが求め続けた「核兵器の無い平和」は、今なお実現してはいません。でも、その願いは一つの条約となって実を結びました。
人類が核兵器の惨禍を体験してから76年目の今年、私たちは、核兵器をめぐる新しい地平に立っています。今年1月、人類史上初めて「全面的に核兵器は違法」と明記した国際法、核兵器禁止条約が発効したのです。
この生まれたての条約を世界の共通ルールに育て、核兵器のない世界を実現していくためのプロセスがこれから始まります。来年開催予定の第1回締約国会議は、その出発点となります。一方で、核兵器による危険性はますます高まっています。核不拡散条約(NPT)で核軍縮の義務を負っているはずの核保有国は、英国が核弾頭数の増加を公然と発表するなど、核兵器への依存を強めています。また、核兵器を高性能のものに置き換えたり、新しいタイプの核兵器を開発したりする競争も進めています。
この相反する二つの動きを、核兵器のない世界に続く一つの道にするためには、各国の指導者たちの核軍縮への意志と、対話による信頼醸成、そしてそれを後押しする市民社会の声が必要です。日本政府と国会議員に訴えます。
核兵器による惨禍を最もよく知るわが国だからこそ、第1回締約国会議にオブザーバーとして参加し、核兵器禁止条約を育てるための道を探ってください。日本政府は、条約に記された核実験などの被害者への援助について、どの国よりも貢献できるはずです。そして、一日も早く核兵器禁止条約に署名し、批准することを求めます。
「戦争をしない」という日本国憲法の平和の理念を堅持するとともに、核兵器のない世界に向かう一つの道として、「核の傘」ではなく「非核の傘」となる北東アジア非核兵器地帯構想について検討を始めてください。核保有国と核の傘の下にいる国々のリーダーに訴えます。
国を守るために核兵器は必要だとする「核抑止」の考え方のもとで、世界はむしろ危険性を増している、という現実を直視すべきです。次のNPT再検討会議で世界の核軍縮を実質的に進展させること、そのためにも、まず米露がさらなる核兵器削減へ踏み出すことを求めます。
地球に住むすべての皆さん。
私たちはコロナ禍によって、当たり前だと思っていた日常が世界規模で失われてしまうという体験をしました。そして、危機を乗り越えるためには、一人一人が当事者として考え、行動する必要があることを学びました。今、私たちはパンデミック収束後に元に戻るのではなく、元よりもいい未来を築くためにどうすればいいのか、という問いを共有しています。
核兵器についても同じです。私たち人類はこれからも、地球を汚染し、人類を破滅させる核兵器を持ち続ける未来を選ぶのでしょうか。脱炭素化やSDGsの動きと同じように、核兵器がもたらす危険についても一人一人が声をあげ、世界を変えるべき時がきているのではないでしょうか。
「長崎を最後の被爆地に」
この言葉を、長崎から世界中の皆さんに届けます。広島が「最初の被爆地」という事実によって永遠に歴史に記されるとすれば、長崎が「最後の被爆地」として歴史に刻まれ続けるかどうかは、私たちがつくっていく未来によって決まります。この言葉に込められているのは、「世界中の誰にも、二度と、同じ体験をさせない」という被爆者の変わらぬ決意であり、核兵器禁止条約に込められた明確な目標であり、私たち一人一人が持ち続けるべき希望なのです。
この言葉を世界の皆さんと共有し、今年から始まる被爆100年に向けた次の25年を、核兵器のない世界に向かう確かな道にしていきましょう。
長崎は、被爆者の声を直接聞ける最後の世代である若い皆さんとも力を合わせて、忘れてはならない76年前の事実を伝え続けます。
被爆者の平均年齢は83歳を超えています。日本政府には、被爆者援護のさらなる充実と、被爆体験者の救済を求めます。
東日本大震災から10年が経過しました。私たちは福島で起こったことを忘れません。今も続くさまざまな困難に立ち向かう福島の皆さんに心からのエールを送ります。
原子爆弾によって亡くなられた方々に哀悼の意をささげ、長崎は、広島をはじめ平和を希求するすべての人々とともに「平和の文化」を世界中に広め、核兵器廃絶と恒久平和の実現に力を尽くしていくことを、ここに宣言します。
2021年(令和3年)8月9日
長崎市長 田上 富久
一部を抜粋して引用するつもりでしたが、どの一文も読み飛ばすに忍びず、備忘のためにも、宣言の全文を引用させていただきました。
【今日の付録】
先日、60代最後の誕生日を記念して(笑)カメラを新調した件については前記事で書きましたが、それと相前後して、この度 車を新しく買い替えました。
前の車は 、先日18歳の誕生日を迎え選挙権も得た、一番上の孫が生まれたころ、 パパとママが 購入し て乗っていた1000cc の コンパクトカーです。
買い換え前に、小1の孫と記念撮影。特徴のある車体カラーですのでモノクロ画像にしておきます。
それを、その後孫家の人口増加に伴って、私の乗っていた8人乗りミニバンと交換して、私が使ってきました。今なお快調に走ってくれますが、18年で走行距離22万キロも超えたのでここらをシオに、ワゴン型軽四に買い換えた次第。
5年落ちの中古です。小型耕運機など、農用具を運ぶにも便利かと思いまして。
覚えやすいように、色もナンバーも似せてみました。(個人情報保護の観点から、モノクロ・モザイクを施しています)走行距離2万キロ。あと20万キロ乗れましょうか?
きょうはこれにて。
巣立ち間近、の巻 [折々散歩]
涼しいうちに朝散歩、と思っても、日が昇ると、一気に気温が上がります。朝から夏の空、夏の雲です。
家の近所の電線にツバメの群れが羽を休めています。
これは我が家の軒下のツバメの巣。ツバメは、一つの巣を、シーズンに二回、産卵子育てニ利用するようです。同じペアなのかどうかは確認できませんが、、、。今シーズンは、一回目の営巣では、孵化直後、羽毛も生えそろわないうちに落下した雛を見つけましたが、その後親鳥が巣を捨てていなくなってしまっていました。今年は駄目かなと諦めかけていたところ、ご近所よりはかなり遅いタイミングで、巣作りをはじめ、立派に少年っぽい姿に育った雛を見ることができるようになりました。昨日今日見ると、次々に巣を出て飛行練習を始めたようです。
巣立ち間近のようです。
巣立ち間近といえば、八人いる私の孫たちのうち一番年長の男子が18歳の誕生日を迎えました。18歳といえば、選挙権を行使できる年齢です。驚きます。
下は、彼の一歳の誕生日の写真。
コロナのもとで、思うに任せぬ高校生活でしたが、とにもかくにも受験生です。聞くところによると、県外の、しかもかなり遠距離の大学を志望している由。近くオープンキャンバスで大学見学に行くにも飛行機が必須らしい。
いずれにせよ、さらに健やかに、実り多い日々を送ってほしいものです。
今朝の蝉も、早朝から元気です。
控えめながらニイニイゼミも。
アブラゼミ。
クマゼミ。
バッタ。
アオズジアゲハ。
300mmあたりで、望遠マクロに設定して写すと、結構使えます。ノートリミングです。
今朝の散歩は、狙ったものがありました。汗をかいて、ちょっと歩きましたが、期待通りに会えました。
ゴイサギです。トリミングします。
最後に今日の付録。これなあに?
オクラではありません。
同じアオイ科ですが、妻が育てているワタの花が咲き始めています。
この話題はまた回を改めまして、、、
今日はこれにて。
夏景色、の巻 [折々散歩]
もう八月です。
夜明けの時刻も、だんだん遅くなってきています。
7月31日の朝散歩の写真です。
pentax k-1(六〇代最後の誕生日に買っちゃいました)+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALで撮影。
8月1日の朝散歩。am5:35 pentax k-1+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALで撮影。
8月1日の夕方散歩。
pentax k-1+シグマ APO 70-300mm F4-5.6 DG MACRO カメラは新しいが、レンズは古いぞ。フィルムカメラ時代に使っていたものですが、フルサイズ対応(APS-C出現前のレンズなので当たり前ですが)です。
マクロが効きます。
アサギマダラじゃないでしょうか⁇全身が写せません。
70mm域で写します。
夕景。
8月2日の朝散歩。am5:31 pentax k-1+smc PENTAX-DA 35mmF2.4ALで撮影。大きな赤い太陽が印象的でしたが、35mmはフルサイズではやはりれっきとした広角レンズですね。
この日、小5、小1,年長組の女の子(従姉妹)と、1歳半の男の子たちが、にぎやかにお泊まりです。
コロナ感染再拡大のなか、どこにもお出かけできませんので、庭でシャボン玉遊びです。
今日はこれにて。