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私の「2007年問題」 病気自慢その1 [健康]

 同年代の親しい者同士が寄ると、病気自慢に花が咲きます。
 私も、若い頃はほとんどお医者さんには縁がなく、医療費を使わなかったご褒美として、健保組合から折りたたみ傘とか、健康器具とかの記念品を、何度かいただいた記憶があります。結婚して子どもができると、伝染病やら怪我やらで、自然と、お医者さんにかかる機会も増えましたが、私自身は依然として、小さな風邪や虫歯の治療などが年に1~2回あるかないかのレベルでした。
 それが、いつの頃から大小取り混ぜてたくさんの病名をもらうようになりました。肝嚢胞、脂肪肝、十二指腸潰瘍、胃潰瘍、高血圧、血液検査の異常など、検診毎に色々指摘され、経過観察で過ぎてきたものもありますし、精密検査やら治療指示を受けた病気もあり、年齢相応の病気体験を重ねてきました。なかでも 極めつけは、2007年の暮れの未破裂脳動脈瘤の手術です。
 ご記憶の通り、当時「2007年問題」が騒がれました.もちろん団塊の世代の大量退職という社会問題を意味しますが、私には、もう一つの「2007年問題」がありました。
 その年の、1月1日に、飼い犬が19歳で天寿を全うしました。人間に換算すると90歳あまりと言われる長寿で、家族皆、覚悟はできていましたが、喪失の痛みはぬぐえませんでした。
 そして、夏には敬愛する先輩が退職まもなく癌で亡くなりました。新任の地での同僚(先輩)で、独身時代、飲み屋や互いの下宿その他で、夜昼ない交流を重ねたものでした。私の結婚式では、無理に司会をお願いした間柄でもありました。
 相前後して、幼なじみの同級生が病のため死亡しました。私のアルバムには、小学校入学式の日でしょうか、今ではとっくに廃校となったその小学校の校門の前で、彼とツーショットで写った写真が貼ってあります。
 何か、この世とあの世の境目が隣り合わせに感じられる気がする出来事が重なったその年の秋、私自身、前々から経過観察していた脳動脈瘤が、放置できない状態に肥大しているということで、手術に踏み切ることになりました。
 実はこの病気は、たまたま、必要があって3分間写真で顔写真を撮りましたら、どうも左目がふさがった状態で映るのが気になって、眼科に相談にいってみたことがきっかけで発見されました。花粉症のせいか、あるいは又、眼瞼下垂かという予想を立てておりましたが、医師は、眼科の領域外の病気も疑われると、脳神経科か神経内科への受診を勧めて下さり、紹介状も書いていただきました。それを持って総合病院の神経内科を受診すると、念のためにということでMRIの検査を受けました。その結果、動脈瘤が目の神経を圧迫しているらしいということになり、脳神経外科にかかることになりました。 
 ところで、脳動脈瘤というのは簡単にいうと脳の血管にこぶが出来るわけですが、多くの場合は、二股に枝分かれした箇所の弱い部分がふくれるもので、これは破裂しやすいが、発見さえできれば治療方法も確立していて、手術の成功率も高いようです。私のは、それとは違い、紡錘型といってちょうど古い水道ホースの痛んでいる部分がぷくっとふくれるように、血管本体がふくれているものでした。それが、椎骨という、脳幹・延髄などと近接するデリケートな部位にできているので、直ちに破裂ということは考えにくいが、治療も困難だということでした。手術する場合としない場合のリスクを照らし合わせて、急に大きくなるようなことがなければ様子を見ていきましょうと、数年経過観察をしてきていたのです。
平衡感覚を司る延髄を、瘤が圧迫していることから、自覚症状としては、ふらつき、めまい、手足のしびれ、二重視などに悩まされました。直ちに生命の危険を伴うものではないが、このまま緩慢たる死に近づいていくのかという不安も、抑えがたいものがありました。
 そのようなとき、MRI検査で、本来ボールペンの先ほどの細さの血管が、直径3cmほどへと急に肥大してきていることが確認されたので、緊急に手術という運びになりました。
 11月に入院し、クリスマスの頃は集中治療室で過ごし、正月はほぼ寝たきり状態で迎えました。
 瘤のできている血管の両端に、カテーテルを用いてコイルを充填して血流をせき止めるという最新の手術で、ダメージも少なく、手術は基本的に成功しました。ただ、瘤の肥大によって、延髄など、周辺の、神経が密集している部分がかなり圧迫を受けて変形しているため、その影響は一定残るだろうということでした。また、手術の際に血栓が飛んで、軽い脳梗塞も起こったという影響もありました。ふらつき、平衡感覚の乱れ、ものが二重に見える、手足が麻痺して自由に動かない、ものが飲み込みにくい、嚥下障害と密接に関連があるらしいのですが、思うように発声ができないなどの症状がありました。
 手術後のリハビリでは、作業療法士の先生の指導でまっすぐに線の上を歩く練習、ふかふかのマットの上でバランスを失わないで立つ練習、指先をつかいこなす練習(箸でおはじきを運んだり、それが大豆になったり、リングを棒に通したり)、指先のつまむ力や、握力をつけるための筋トレ、言語聴覚士の先生の指導により発声練習などを続けました。 私たちは加齢とともに、「以前できていたことができなくなる」という経験を重ねてきましたが、リハビリの過程の中で、「できなかったことができるようになる」という喜びを、改めて味わうことができたのは、久々のうれしい体験でした。
 昨年末で、手術後5年が経過して「完治」と見なせる段階にあり、身体的な違和もほとんど緩和していますので、私の「病気自慢」は、今では皮肉なことに鼻持ちならない「健康自慢」の響きを帯びてしまいます。失礼!
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