我もまた旅人の宝慈しむ [文学雑話]
先日のブログで山上憶良を話題にし、同じ時期、同じ九州地方で、後に「筑紫歌壇」とも呼ばれる文学サロンを共に構成した大伴旅人に触れました。
「旅人」!ずいぶんモダンな名前じゃありませんか。『大鏡』の夏山繁樹も、近現代の名前と行っても古くないと思いますが、こちらは、フィクションです。
下級役人だった山上憶良に比べて、家柄も地位も、旅人の方が格段に上位であったようですが、こと文学的交友においては、上下の関係にはなかったものと思われます。
大
伴氏といえば、日本神話で天孫降臨の時に先導を行った天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とし、記紀によると、その子孫である日臣命(ひのおみのみこ
と)が神武天皇の東征の先鋒を務め、神武天皇即位の際には宮門の警衛を務めます。その裔の大伴武日
(おおとものたけひのみこと)は、日本武尊(やまとたけるのみこと)の東国遠征に従うなど、代々、大和政権の軍事面を司り、物部氏、阿倍氏、中臣氏らとと
もに朝廷を支える有力な氏族であったようです。
そのような家柄に育った旅人が、九州太宰府の長官に任ぜられるということは、急速に台頭する藤原氏との政争に敗れての「左遷」という性格を持つことは容易に推察されます。
そうであるだけに、穏やかならざる旅人の心情も、推して知ることが出来そうです。
その旅人の子家持(やかもち)が、しばしば名状しがたい愁いを抱いた裏には、その没落しつつある一族という背景が潜んでいたかも知れません。私の過去のブログで、この歌を引用しました。
うらうらに照れる春日にひばり上がり心悲しもひとりし思へば 大伴家持
【解釈】うららかに照り輝いている春の陽射しのなかに、ヒバリが高く天に駆け上り、
何となくなくこころがもの悲しいものよ! 一人で物思いにふけっていると。
この歌にも、愁いが漂っています。
淡海(あふみ)の海(み) 夕浪(ゆふなみ)千鳥(ちどり) 汝(な)が鳴けば
こころもしぬに 古(いにしへ)思ほゆ 大伴 家持
【解釈】夕波が寄せては返すはるかに広い琵琶湖の、暮れ方の水辺に、チチチと小さな声で鳴く千鳥よ!
おまえが寂しい声で鳴くと、心もしおれたように弱って、この地が近江京として栄えた頃の昔のことが、しみじみと思われることよ。
山上憶良が、この世のあらゆる宝物以上に愛したものは、子どもであり家族でした。
一方、旅人が、愛したもの。それは「酒」でした。
大伴旅人「酒を讃 むる歌十三首」は洒脱な名作。今日はそのなかから四首ほど紹介しておきます。
【解釈】役にも立たない物思いをあれこれするよりは、さかずき一杯の濁り酒を飲むのが良かろうっていうことらしいよ。
「濁れる酒」は、「濁り酒」=どぶろくですよね。以前、この項で書きました。
酒の名を聖(ひじり)と負ほせし古(いにしへ)の 大き聖の言の宣(よろ)しさ
【解釈】酒の名を「聖」と仰せになった昔の大聖人のお言葉のよろしいこと!
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