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20年前のベトナム訪問記(1) [木下透の作品]

現在、新ブログ「ナードサークの四季vol.2」 をメインブログとして更新していますが、こちらの初代ブログも、時々更新しないと、希望しない広告がふんだんに表示されます(PC版の場合です。スマホ版は常に広告が表示されているらしい)ので、それを避けるため、時折更新を続けています。

メインブログの最新記事(ある遺失物、の巻:ナードサークの四季 vol.2:SSブログ )に、20年ほど前に体験したベトナム訪問旅行での撮影写真と、当時書いた記録文の一部を紹介しました。

その過程で、古い保存庫のなかから、当時作っていたプライベートホームページのdataを見つけ、懐かしかったので少しずつ小分けにして.再掲してみることにします(一部加除訂正あり)。


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「ベトナムへの旅」に参加して 

1.ベトナムは「わが青春」

内心のためらいと気後れ
 夏の教研の一環として「ベトナムへの旅」が企画されていると聞き、つよく心ひかれながらも、内心、どこか躊躇するものがありました。それは、漠然としてつかみ所のない、尻込みの感情でした。
 旅行中、同行の諸氏から「あなたにとってベトナムとは?」「なぜ、ベトナムへ?」と冗談めかした問いかけを受け、私は即座に、これも冗談めかして、「私の青春です」と答えてみました。「ベトナムへの旅」に心ひかれた理由の最大のものは、つまるところやはりこれだったかも知れません。
 すなわち、「過ぎ去りし青春との再会」を焦がれる思いの強さは、あたかも断ちがたい郷愁さながらに、私の気持ちを波立たせたのでした。だが、その思いの強さに比例して、躊躇・尻込みの感情も、増幅して私を挫こうと働くのでした。
 それは、あるいは、室生犀星のこの詩の心情と通うものがあったかもしれません。
   ふるさとは遠きにありて思ふもの
   そして悲しくうたふもの
   よしや
   うらぶれて異土の乞食となるとても
   帰るところにあるまじや (後略)    [小景異情ーその二] より
 心の中に美しく描かれた故郷が、しかし実際に帰郷・滞在してみると、決して自分を受容し、癒してくれる存在ではなく、思いもかけない疎外と違和を痛感させられるという経験は、私たちのしばしば味わうところです。
 
ベトナムにとっての日本
 現実の故郷であってさえそうなのですから、こちらの身勝手な思いこみに過ぎない「片想い」の場合はなおのことでしょう。
ましてや、先の大戦中、日本軍統治下において多大な餓死者を含む犠牲者を産んだ直接の侵略の歴史。またその後も、フランスの後を継いだアメリカの忠実な盟友として、戦争放棄の憲法を持ちながら、侵略戦争の最前線基地としての役割を全面的に果たした日本。そして同時に、自らの血は流さずに、ちゃっかりと軍需で大儲けし続けた日本、、、。
これらを思うとき、日本人「観光客」の訪問に対しては、外貨獲得を動機とする表向きの歓迎の裏で、内心の反感と憎悪を伴った冷遇に接しないわけには行かないだろう、との懸念も、気軽な訪問をためらわせたのです。
 本多勝一の『戦場の村』(朝日新聞社)の第五部「戦場の村」に「日本人の役割」という小見出しの文章があり、次のような記述があります。
(韓国の)猛虎師団に従軍したとき、フーイェン省の最前線補給基地で、新聞関係も担当する政訓参謀の金禹相中佐が言った---「この戦争で、日本はどれほどもうけているか知れないほどですなあ」
中佐はその実例として、PXの商品などがほとんど日本製であることを挙げた。(中略)この補給基地で見た十輪トラックの八割くらいが日本製であった。(中略)星条旗をひるがえしたこのアメリカ海軍省極東海上輸送司令部の大きな輸送船は,M船長以下すべての乗組員が日本人であった。M船長はもと海軍少佐で、敗戦直後の日本軍の復員輸送時代からLSTに乗っていた。復員輸送が、次第に変わってベトナム戦争へとつながっていった。LSTの現状について、M船長は次のように説明した。
ベトナムで活躍するLSTのうち、一番多いが日本の二八隻。ついで韓国の二〇隻、アメリカの十数隻の順となる。横浜からの車両や台湾からのセメントも運ぶが、主な任務はベトナム港から港へと武器・弾薬を運搬することだ。(中略)「二年ほど前、日本はLST問題で馬鹿に騒がれましたが、もうそんな時代ではなくなりましたね。(中略)今じゃLSTどころか、日本のタンカーやタグ=ボートまでかせぎにきているんですから。(中略)」岡田海運は七隻の船を持っているが、全部アメリカにチャーターされてベトナムで働いているという。(中略)私たちの運んだ燃料で、アメリカは北爆をやっているんですよ。商売として割り切っています。日本で働くよりも、機関長クラスで月十万円は違いますからね」
(中略)
このように目にふれるだけでも、ベトナムの戦場には日本色が濃い。日本の果たしているこうした役割を、韓国のセネガル兵に当たる言葉で説明しようとすれば、私はこういう表現はなるべく避けたいと思っていながらも、どうしてもそれ以外にぴったりした言葉が見つからないので、やはり書かざるを得ない。---「死の商人」
戦場の村 (朝日文庫)

戦場の村 (朝日文庫)

  • 作者: 本多 勝一
  • 出版社/メーカー: 朝日新聞社出版局
  • 発売日: 1981/09/01
  • メディア: 文庫
つづく。
 

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コメント 2

えんや

戦争で儲けるは軍需産業ですね。
日本は防衛費を膨大な額に増加するし、軍需品の
輸出を考えて居ますね。
ベトナム戦争で大儲けありましたね、日本は「死の商人」になって欲しくないですね。

by えんや (2023-08-18 19:19) 

kazg

えんや様
コメントありがとうございます。本当におっしゃる通りですね。
by kazg (2023-08-18 19:22) 

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