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20年前のベトナム訪問記(2) [木下透の作品]

現在、新ブログ「ナードサークの四季vol.2」 をメインブログとして更新していますが、こちらの初代ブログも、時々更新しないと、希望しない広告がふんだんに表示されます(PC版の場合です。スマホ版は常に広告が表示されているらしい)ので、それを避けるため、時折更新を続けています。

20年ほど前に体験したベトナム訪問旅行での撮影写真と、記録文をもとに、当時作っていたプライベートホームページのdataから、少しずつ小分けにして.再掲しています。今回は(その2)です


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1.ベトナムは「わが青春」? 第2回

また、大江健三郎は『持続する志』(文芸春秋)に収められた「政治的想像力と殺人者の想像力」と題する文章の中で、次のように述べています。
(前略)数箇月の外国滞在から帰って、いま都心のホテルに投宿している友人によれば、そのホテルにはベトナムから飛んできた米軍兵士たちと、かれらにつきまとうわれらのコ-ルガールたちが押し合いへしあいしているということだ。ベトナムのもっとも悲惨な戦争は、われらの国をすでに侵している。しかもある若い知識人がみずからベトナムにおもむいて帰ってくると、これから日本がベトナム戦争に巻き込まれる惧れがあるなどとは滑稽だ、すでに日本は大幅に戦争に参加している。そこには日本製の車や機会や雑貨のたぐいが氾濫しているのを見た、という。しかしかれは、それらの認識をつうじて、われわれの国は、戦争の現場からひきかえさねばならぬ、いますでに泥沼に踏み込んでいる足をひきずりあげて、わずかなりと乾いた土地を探さねばならぬ、というのではない。すでに巻きこまれているのだから、このままじっと巻きこまれていよう、このままどころか、これよりもっと幾重にも、巻きこまれよう、というのである。
 ここに登場する若い知識人というのは、どうも前後の脈絡から察するに、同じ戦後派作家のひとりとして大江と個人的交友もあり、当時政界への転身を取りざたされていた人物、すなわち、石原現東京都知事の若き日の姿と思われ、その後の二人の歩みを思うにつけても、感慨を禁じ得ません。
持続する志〈第2〉―全エッセイ集 (1968年)

持続する志〈第2〉―全エッセイ集 (1968年)

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  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2023/08/18
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持続する志 現代日本のエッセイ (講談社文芸文庫)

持続する志 現代日本のエッセイ (講談社文芸文庫)

  • 作者: 大江健三郎
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日本人民に求められたもの
 ベトナム戦争にどっぷりと巻きこまれた国=日本の一員である私たちは、それではベトナム人民の運命にどう関わることができるのか。本多『戦場の村』は、ベトナムの人々の、日本人民にたいする期待についてこう述べています。
「我々は孫の代までも、一〇〇年でも戦い続ける覚悟だし、自信もありますが」と、ボンさんは強調してから言った---「しかし、同時に早く米軍が撤退して平和が来ることを心から念願しているのです。ご覧になられたように、苦しい毎日が続いています。今こうしているうちにも、アメリカはどこかで毒をまき、女子どもを殺しているのです。はっきりいって、われわれは軍事的に負けているでしょう。しかし負けません。(中略)」
すべてが不足し、苦しい生活に耐えている解放戦線のために、「役に立つものを送り届けたい」と言っている日本人もいるが、何が一番欲しいかと聞くとボンさんは次のように答えた。
「ありがたいことです。しかし私たちは、大丈夫です。やり抜く自信があります。心配しないでください。それよりも、日本人が自分の問題で、自分のためにアメリカのひどいやり方とたたかうこと、これこそ結局は何よりもベトナムのためになるのです。」
(中略)右の言葉は、決してベトナム人の例外ではない。中国に支配され、フランスの植民地になり、日本にも占領され、いまアメリカと民族戦争をしているベトナム人は、他民族というものが信用できないことを、一人ひとりが肌で知っている。ベトナム民族のことを”善意”で本気に心配してくれる他民族などはあり得ないことを。いわば民族的体験として身につけている。これは隣のカンボジアも同様であろう。いっぽう、日本人は、こうした認識の最もうすい民族に数えられよう。このようなベトナム人の目から見れば、アメリカの戦争を支持する体制の中から「小さな親切」をする人々を、全面的には信用しがたいと考えるのは、むしろ当然であろう。彼らが信用するのは、自分自身のために戦う民族なのだ。アルジェリアやキューバのような国なのだ。ベトナム人が日本の反戦運動を本当に信用するのは、日本人自身の問題---「沖縄」「安保」「北方領土」その他無数の「私たちの問題」に民族として取り組むときであろう。ベトナム反戦運動自体はむろん良いことだが、「自分自身の問題」としてとらえられていない限り、単なる免罪符に終わる。アメリカの北爆反対の前に、北爆を支持する日本政府のありかたが問題とされなければならない。(『戦場の村』第六部「解放戦線」「戦う姿勢」)
30年前の記憶の中のベトナム
 30年前、「呪わしの受験生の名」から解き放たれて、若葉マークの学生になったばかりの私は、国政の中心からははるかに隔たった地方大学ながら、70年代初頭の国内外の激動の余波から無縁ではいられず、学生自治会や学生サークルが提起するさまざまな取り組みに、こわごわ参加する毎日でした。時あたかも、「沖縄返還協定」をめぐる動きの中で、「本土の沖縄化」に反対し、「核も基地もない緑の平和な沖縄を返せ」のスローガンを掲げて、集会・デモその他の行動が展開されていました。
「黒い殺人機が今日も
 ベトナムの友を撃ちに行く
 世界を結ぶこの空を
 再びいくさで汚すまい」(「一坪たりとも渡すまい」)
の歌詞が、今も耳に響きます。もちろん
「学生の歌声に若き友よ手を伸べよ
 輝く太陽、青空を
 再び戦火で乱すな
 我らの友情は
 原爆あるも断たれず---」(「国際学連の歌」)
「筑紫野のみどりの道を進み行く十万の戦列
 赤旗は春風にはためき歌声は空にこだます
 基地板付の包囲めざし進み行く我らの戦列
 ジェット機に足奪われた松葉杖の老婆は叫ぶ
 『皆さんがんばってきっと仇をうって下さい』
 百万坪の包囲めざし進み行く我らの戦列
 飛び立てぬ百のジェット機姿隠す戦争の手先
 板付は包囲されたアメリカは包囲された
 南ベトナムへ南朝鮮へこの勝利ひびけとどろけ」(「この勝利響けとどろけ」)
などの歌も、懐かしく思い出されます。これらの歌詞が象徴するように、当時の日本人民のたたかいが、みずからの民族的課題と国際連帯の課題を結合したものであったことは、誇りを持って断言できるのです。
 そして、同時に、爆撃で破壊された北ベトナムの病院に医療機器を送る運動、ベトナムの子ども達に粉ミルクを贈る運動を、学生のなけなしの小遣い銭からのカンパ運動として取り組んだこともありました。「ベトナム人民支援」の課題は、自分自身の生き方・存在意義と深く関わった主題でした。
 その意味では、このたびのベトナム訪問について、怖じるべき後ろめたさなど、ないはずなのですが。
 
変容・幻滅への懼れ
 遠く離れていればこそ「麗しく懐かしき故郷」も、時を隔てていざ訪ねてみると、あまりの変容に落胆幻滅させられる経験には事欠きません。青春の思い出の人、憧れの人との再会もまた、同様でしょう。それへの無意識的な懼れも、あるいは、この逡巡・気後れの因となっているのかも知れません。
 遠く古代において中国からの侵略・抑圧に抗し続け、近代に至ってはフランス、日本、アメリカという三つの大国の侵略に屈せず、「独立と自由ほど尊いものはない」(ホーチミン)を合い言葉に、苦難を超えて自己犠牲的なたたかいを続けた人々。そして、アメリカが「自由世界」の威信をかけて国の総力を挙げ、第二次大戦で日本に投下された爆弾の100倍もの弾薬を投入し、核兵器以外のすべての残虐兵器を使い尽くしたと言われる長い戦争に、耐え抜いた人々。そして、ついには1975年4月サイゴン陥落・米軍全面撤退という劇的な勝利をかちとり、1976年には南北ベトナム統一の悲願を自力で成し遂げた人々。
-----わずかながらの情報から、私の中に漠然とイメージされた彼らへの印象は、不屈で誇り高く、かつ謙虚で無欲、気さくで人なつこい人々---でした。
 しかし、その後の、カンボジアのクメール・ルージュ=ポルポト政権との対立、フン・セン政権からの要請を受けてのカンボジア軍事侵攻、ポルポト派支援に立つ中国からの侵攻と反撃の戦争etc.。これらの紆余曲折に対しては、複雑な思いを抱かずにいられませんでした。また、東欧・ソ連邦崩壊という世界史的局面と呼応して、導入されたドイモイ(刷新)政策のもとで、人々の暮らしや気持ちにどのような変化・変容がもたらされているのか?気がかりでもあり、反面、真実を知ることへの怖さ・ためらいも、拭いきれなかったのです。
 
いざ参加へ
 そのような独り相撲の葛藤を経ているうちに、申し込み締め切りも迫りました。
偶然とは言え、ちょうど、そんなある時、高知で障害児学校教員をしている学生時代の友人が、自分らが企画したベトナム旅行への参加者を募りに、旅行業者を伴って岡山までやってきたのです。在岡の共通の友人Mさんと共に、数刻歓談しましたが、これもまた魅惑的な企画でした。
 ただ、旅行日程と予算の面からは、岡山版企画の方が手頃だということで、Mさんは岡山企画に参加する由。「旅は道連れ」、せっかくの機会だからと、遅ればせの参加申し込みに踏み切った次第。
 あとで、知らされた「道連れ」の方々が、これまた、旧知の方々、初対面の方々取り混ぜて、みな、同行できてうれしい方々ばかりで、旅への期待は一気に高まったのでした。
つづく

 


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