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水母哀歌   木下透 [木下透の作品]

このカテゴリーの文章は、おおむね、私自身の回想に関わるので、常体(だ・である調)で書くことにする。

木下透は、私の高校時代の筆名である。彼の作品を紹介するのが、趣旨である。未熟さは、その年齢のなせる業なので、寛容な目で見てやっていただきたい。

今日掲載するのは、高3の時の作品だと思う。前述の、黒表紙の活字版の冊子ではなく、確か文化祭に向けて作成した、ガリ刷りホチキス止めの手作り冊子に掲載したと思う。この冊子は経年とともに劣化し、何度もの引っ越しのうちに汚損し、ページが散逸していたが、今では所在も不明になってしまった。

この詩は、以前、 ワープロ「書院」(懐かしいひびき!)で活字化していたから、テキストファイルに変換して、今も目にすることができる。

この冊子には、他にも、思い入れのある作品が掲載されていたはずだが、あいにく手元に見あたらないのが残念だ。


       水母(くらげ)哀歌(えれじー)  木下透
どす黒い光のうねる空間に
ふうわりふわり漂うている
半透明の生臭い
ぬらぬら不気味な寒天質の
《たらたら流れる粘液の》
へえへえ おいらは哀しいクラゲ

月の光が体腔(からだ)を透し
いよいよ蒼く皓皓と
《しかし光になりきれない》
波のうねりが体腔(からだ)を洗い
ゆらり浮かんで飄々と
《しかし海にはなりきれない》
気ままな風が体腔(からだ)を吹いて
空(くう)の寒さの深々(しんしん)と
《しかし風にはなりきれない》
そうとも おいらは かなしい くらげ

おいらの魂(こころ)はどこへ行っちまった
おいらの肉体(からだ)はどこへ行っちまった
おいらのどこが おいらなのか
生命(いのち)をなくしたぬけがらだけが
かれこれこうして百億年も
いやいやもっと数京年も
とにかく時など忘れるほどに
気の遠くなる永劫を
何も想わず 何も語らず
ふうわりふわり漂うていた
いかにも おいらは 哀しいクラゲ

これから先の数億年を
いやいやもっと百京年
生命(いのち)を持たぬぬけがらが
おいらはいつからクラゲだったか
おいらはいつまでクラゲだろうか
などとも思わず 少しも語らず
いよいよ蒼くこうこうと
ゆらり浮かんでひょうひょうと
空(くう)の寒さのしんしんと
決して生命(いのち)のもえることなく
ふうわりふわり漂うことさ
おいらは いつまで 哀しいクラゲ

AUT_0358.JPG
 
AUT_0357.JPG
このクラゲの写真は、長女が高校生の頃、 確か「海遊館」だったろうか、どこかの水族館でで写してきたものだ。
なかなか面白い気がして、ストックファイルに残してあった。
 詩の中の水母の虚無感に比べると、ファンタジックで好ましいと思う。

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