三題噺補遺 夾竹桃のこと [折々散歩]
一昨日の三題噺で、三つめのお題に予定しながら、中途ですげ替えた題材はこれでした。
散歩道に咲く夾竹桃(キョウチクトウ)です。
この花を見ると「夏に咲く花夾竹桃」というフレーズが、ついうかびます。
学生時代に、よく歌った歌でした。
【作詞】 藤本 洋
【作曲】 大西 進
1.夏に咲く花 夾竹桃
戦争終えた その日から
母と子供の おもいをこめて
広島の 野にもえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
2.夏に咲く花 夾竹桃
武器をすてた あの日から
若者たちの 願いにみちて
長崎の丘に もえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう世界に 原爆反対を
3.夏に咲く花 夾竹桃
祖国の胸に 沖縄を
日本の夜明け 告げる日を
むかえるために もえている
空に太陽が 輝くかぎり
告げよう平和と 独立を
楽譜や音源のある参考サイトはこちら。
歌声サークルオケラ
うたごえ喫茶のび
平和行進や、原水爆禁止世界大会の季節には、いつも街頭に流れていました。
1969年の作品ですから、できたてほやほやの頃に教わったわけでした。
私はそれまで、うかつなことに「夾竹桃」の花を認知していませんでした。
花の名前と、その姿が一致してからは、公園や街路でその花に気づくと、自ずと目を止める習性がつきました。
実は、我が家の庭の隅にも、鉢植えだったものを地おろししたのが育っています。「夏に咲く花」といいながらも、実際には初夏から梅雨の頃に盛期を迎えたようで、見てみるともう花はしおれて、強健な葉が夏の暑さにめげずにおい茂っています。
下の写真は、5月末の撮影です。
ところで、「夏の花」というと原民喜の同名作品を思い出します。
ひょっとしてあの作品に夾竹桃が出てきたかしらと、ページをめくってみますと、残念ながらキョウチクトウは登場しませんでした。
私の海馬のお粗末さを痛感します。
青空文庫から冒頭部分を引用します。
わが愛する者よ請ふ急ぎはしれ
香はしき山々の上にありて※(「けものへん+章」、第3水準1-87-80、12-上-3)の
ごとく小鹿のごとくあれ
私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケットには仏壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を歩いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名称なのか知らないが、黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び、いかにも夏の花らしかつた。
炎天に曝されてゐる墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく清々しくなつたやうで、私はしばらく花と石に視入つた。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納まつてゐるのだつた。持つて来た線香にマツチをつけ、黙礼を済ますと私はかたはらの井戸で水を呑んだ。それから、饒津公園の方を廻つて家に戻つたのであるが、その日も、その翌日も、私のポケツトは線香の匂がしみこんでゐた。原子爆弾に襲はれたのは、その翌々日のことであつた。
それでは、この「黄色の小瓣の可憐な野趣を帯び」た花はどんな花だったのでしょうか?気にはなりますが、確かめるすべはありません。
女優・檀ふみのお父さんで、「無頼派作家」として知られる檀一雄の命日は1月2日ですが、彼が生前夾竹桃を愛したことから、「夾竹桃忌」と呼ばれます。
親しい友人であった太宰治が、生前桜桃を愛し、代表作『桜桃』を残したことから命日の6月13日を「桜桃忌」として故人を偲ぶのは、季節的にもマッチングがよろしいが、「夾竹桃忌」のほうは、季節外れの感は否めませんね。
ところで来たる8月5日は、中村草田男の命日で、草田男忌です。
戦前1940年の、彼の句にこんなのがあります。
夾竹桃戦車は青き油こぼす 中村草田男
アベ政権の動きが賑やかなだけに、この句の生々しさが、不気味なリアリティを湛えています。
同い年(明治34年生まれ)で、ともに「東大俳句会」に参加した山口誓子にも、次の句があります。
虚子と碧梧桐は、「子規門下の双璧」と呼ばれますが、碧梧桐は虚子の伝統俳句と対立して新傾向俳句へと進みます。句境に随分個性差がありますね。
贔屓で、たくさん引用させていただきます。
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