原爆歌集句集長崎編から(その1) [私の切り抜き帳]
この記事に書いたものと同じ本棚の並びに『日本の原爆記録 第一八巻 原爆歌集句集 長崎編』というのがありましたので、手に取ってみました。全く初めてページを開くわけでもないのですが、その圧力にとらえられて、しばし目を離せませんでした。
「長崎編」とありますが、「原爆歌集」については、広島編・長崎編の両方を、便宜上この巻に収めたものだそうです。
p50から一九六六年刊の『炎の歌集』が収められています。
阿部正路、島内八郎、豊田清史編とあります。前回長歌を引用した島内八郎氏の名がここにも登場し、自身の短歌も掲載されています。
巻頭には、「序歌」として、日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士のこの歌が載せられています。
「まがつび」とは、災害・凶事を起こす神だそうです。
この句を刻んだ句碑は、広島平和公園にもあると言います。
余談ですが、日本初のノーベル賞受賞者である理論物理学者として、科学者の責任を重く受け止め、原水爆禁止運動にも積極的に取り組んだ博士は、同時に文学的素養の豊かな方でしたが、「余技」として短歌をたしなみ、核兵器についての歌も他にもいくつか残しています。
この歌集に収められた歌人は多岐に渡りますが、特に正田篠枝さんの歌に目がとまります。
最初に載っているのが、
戦争末期、国民学校初等科の3年生以上の児童は強制的に田舎に疎開させられていました。そのため、原爆被害を受けた小学生は、幼くて親元に残っていた1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒たちでした。国民学校教師約200人と子ども約2,000人が、広島の原爆で犠牲になったそうです。
歌碑を見たとき、私は「大き骨は先生ならむ そのそばに小さきあまたの骨集まれり」の誤記ではないかと疑いました。「太き骨」「頭の骨」では即物的に過ぎて、ポエジーを乱していないかと感じたのでした。
でも、ポエジーを仮に犠牲にしたとしても、リアル(現実)の悲惨に忠実であろうとした表現なのだろうと、今は考えています。最後まで教師を信頼してその周囲に身を寄せる幼い児童たちと、彼らを自らの身体でひな鳥のように覆いかばう教師。ある意味美談、聖談ですが、それだけにむごさ無念さが際だちます。
他に、このような歌に心がとらえられました。
季節が夏ですので、トマトはつきものです。
トマトというと、この詩を思い出します。
「長崎編」とありますが、「原爆歌集」については、広島編・長崎編の両方を、便宜上この巻に収めたものだそうです。
p50から一九六六年刊の『炎の歌集』が収められています。
阿部正路、島内八郎、豊田清史編とあります。前回長歌を引用した島内八郎氏の名がここにも登場し、自身の短歌も掲載されています。
巻頭には、「序歌」として、日本初のノーベル賞受賞者湯川秀樹博士のこの歌が載せられています。
まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは
「まがつび」とは、災害・凶事を起こす神だそうです。
この句を刻んだ句碑は、広島平和公園にもあると言います。
余談ですが、日本初のノーベル賞受賞者である理論物理学者として、科学者の責任を重く受け止め、原水爆禁止運動にも積極的に取り組んだ博士は、同時に文学的素養の豊かな方でしたが、「余技」として短歌をたしなみ、核兵器についての歌も他にもいくつか残しています。
天地のわかれし時に成りしという原子ふたたび砕けちる今
今よりは世界ひとつにとことはに平和を守るほかに道なし
この星に人絶えはてし後の世の永夜清宵何の所為ぞや
ふたたびは歌も詠まじと思いきし秋更くる夜に残る虫の音[ね]
雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに
今よりは世界ひとつにとことはに平和を守るほかに道なし
この星に人絶えはてし後の世の永夜清宵何の所為ぞや
ふたたびは歌も詠まじと思いきし秋更くる夜に残る虫の音[ね]
雨降れば雨に放射能雪積めば雪にもありといふ世をいかに
この歌集に収められた歌人は多岐に渡りますが、特に正田篠枝さんの歌に目がとまります。
最初に載っているのが、
太き骨は先生ならむ そのそばに小さきあたまの骨あつまれり
この歌は、「広島県原爆被爆教師の会」によって広島市中区平和大通に建立された「原爆犠牲国民学校教師と子どもの碑」に刻まれています。(以前写した画像を残していたはずですが、どこに散逸したのか、見あたりません。)戦争末期、国民学校初等科の3年生以上の児童は強制的に田舎に疎開させられていました。そのため、原爆被害を受けた小学生は、幼くて親元に残っていた1・2年生と、建物疎開作業に従事させられた高等科の生徒たちでした。国民学校教師約200人と子ども約2,000人が、広島の原爆で犠牲になったそうです。
歌碑を見たとき、私は「大き骨は先生ならむ そのそばに小さきあまたの骨集まれり」の誤記ではないかと疑いました。「太き骨」「頭の骨」では即物的に過ぎて、ポエジーを乱していないかと感じたのでした。
でも、ポエジーを仮に犠牲にしたとしても、リアル(現実)の悲惨に忠実であろうとした表現なのだろうと、今は考えています。最後まで教師を信頼してその周囲に身を寄せる幼い児童たちと、彼らを自らの身体でひな鳥のように覆いかばう教師。ある意味美談、聖談ですが、それだけにむごさ無念さが際だちます。
他に、このような歌に心がとらえられました。
帰りて食べよと見送りし子は帰らず仏壇にそなうそのトマト紅く
ひとに会うこころおこらず裏道を選びて通う原爆病院へ
学生がわが短歌をば歌誌に見ておばさんの歌いつも寂しいね
ひとに会うこころおこらず裏道を選びて通う原爆病院へ
学生がわが短歌をば歌誌に見ておばさんの歌いつも寂しいね
季節が夏ですので、トマトはつきものです。
トマトというと、この詩を思い出します。
無 題 小学五年 佐藤 智子
よしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
い(※)もばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしも
ないた
みんなも
ないた
(広島市南観音小学校)
よしこちゃんが
やけどで
ねていて
とまとが
たべたいというので
お母ちゃんが
かい出しに
いっている間に
よしこちゃんは
死んでいた
い(※)もばっかしたべさせて
ころしちゃったねと
お母ちゃんは
ないた
わたしも
ないた
みんなも
ないた
(広島市南観音小学校)
いわさきちひろさんの絵本「わたしがちいさかったときに」でも取り上げられています。このページ参照
わたしがちいさかったときに―原爆の子 他より (若い人の絵本)
- 作者: 長田 新
- 出版社/メーカー: 童心社
- 発売日: 1967/07/20
- メディア: 単行本
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