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孫に呼ばれ台風一過の虹を見る [家族]

昨日は台風11号の影響で、激しい雨風で一日が始まりました。
孫たちのパパママは、どちらも出勤。ばあばも午前中出勤ということで、私が孫たちのお相手として、留守番をしに行くことになりました。
いや、それにしても、3人もの幼児や子どもと、四六時中おつきあいしていると、結構くたびれます。むかっとして、大きな声を上げることも増えてきます。



午後は晴れたので、帰ってきたばあばも一緒に、図書館へ行ってみましたら、休館日。
その足で近所の公園にいって時間を過ごしました。
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強い風雨中、子ども達は大騒ぎ。遊具で遊んだり、高い展望台に登ったり。

 

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興奮は冷めやらず、帰宅してからもなお、テンション高く、大騒ぎですわ。
夕食後、さよならした後、おおきな声で「ジイジ、虹が出てるよ」と、お呼びがありました。

台風一過の夕方の空に、確かに虹が架かっていました。

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 虹の句を、目についた範囲で引用しておきます。

虹を吐てひらかんとする牡丹かな       高浜虚子
立ちて雨逃げて行く廣野かな           高浜虚子
虹を見て思ひ思ひに美しき             高浜虚子
虹立ちて忽ち君の在る如し        高浜虚子
をさなごのひとさしゆびにかかる虹    日野草城

ところで、漢字で書くと「蛇」は だいじょうぶとしても、「虹」と「虻」、迷いません?

たとえば吉野弘さんのこの詩、とても好きな詩ですが、なぜだか、 「私も あるとき 誰かのための虹だったろう」と読めちゃうんですよね。

私だけかな?

生命は                                      吉野弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命はすべて
そのなかに欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

 


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