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 病室雑話 藤田という地名 [あれやこれやの知ったか話]

(1)藤田という地名
せっかくたっぷりの自由時間に恵まれましたので、温めていた(大げさ)話題を少しずつ書き始めてみようと思います。
岡山市の南部に藤田という地名があります。
M師から教わって、私が時々シギやチドリにお目にかかりに行く蓮田も、その辺りにあります。広大な水田が広がる平野地帯です。各所に蓮田が広がり、レンコンが栽培されていて、この地の特産物の一つとなっています。

 

 
 
この広大な田園地帯は、実はもともと児島湾の海が広がっていたところを、明治以来の大規模な干拓事業によって陸地化したエリアなのです。その県の要請を受けて、その工事を担った実業家藤田伝三郎の名にちなんで、この地は藤田と名付けられたのでした。

藤田伝三郎について、日本大百科全書(ニッポニカ)の解説を引用します。

藤田伝三郎
ふじたでんざぶろう
(1841―1912)

藤田組の創始者。長州藩萩(はぎ)の出身。醸造業を営む家に生まれ、高杉晋作(たかすぎしんさく)の奇兵隊に参加した。明治維新後、陸軍用達業者となり、西南戦争で巨利を得て、1881年(明治14)2人の兄(藤田鹿太郎(しかたろう)、久原庄三郎(くはらしょうざぶろう))とともに藤田組を設立した。この間1879年贋札事件(がんさつじけん)の嫌疑を受け逮捕されたが無罪となった。1884年官営小坂鉱山の払下げを受け、また1889年には岡山県児島湾(こじまわん)の干拓事業の認可を受け、以後この両事業を中心に藤田財閥の形成を図った。また、太湖汽船、大阪紡績、阪堺鉄道(はんかいてつどう)、山陽鉄道などの設立に参加、さらに1885年には大阪商法会議所会頭になるなど、関西財界の重鎮として活躍し、1911年(明治44)には男爵を授けられた。[宇田川勝]
 今日はよく晴れました。
部屋の中では、外気温がわかりませんが、窓から入る日差しでポカポカ暖かく感じます。
遠くに見える平野部が藤田界隈だと思われます。 
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 今日はこれにて。

 


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コメント 6

yamagara22

春には夏羽の綺麗なツルシギが見られそうですね。
by yamagara22 (2016-12-06 16:34) 

majyo

高いところからの風景写真ですが
マンション等にお住まいですか
いつもの散歩道とこの風景がピンときません
山並みが続いていますね

by majyo (2016-12-06 21:06) 

kazg

Yamagara22様
楽しみにして待つことにします。
by kazg (2016-12-07 06:16) 

kazg

Majyo様
はい、お察しの通り、自宅でなく、入院中の7階の部屋からの眺めです。ガラス越しなので鮮明でありませんが。
by kazg (2016-12-07 06:21) 

馬爺

こんな広い蓮田ですと花が咲く時期はさぞ見事でしょうね。
by 馬爺 (2016-12-07 10:14) 

kazg

馬爺 様
そうなです。わざわざ観蓮のために訪れる人もありませんが、見事な大輪が一面に咲きます。
by kazg (2016-12-07 12:02) 

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