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憲法くんは七〇歳、わが老父は九〇歳、いずれも五月生まれ、の巻 [今日の暦]

憲法記念日にちなむ記事、さらに続きます。
「憲法集会」のメインプログラムの一つは、中島茂樹さん(立命館大学名誉教授)の講演。「対米従属的軍事大国化から対米追随的共同派遣型戦争国家へ―「軍事大国化への途と安倍『改憲』戦略の視点から―」。長いタイトルです。しかも、12ページに及ぶレジメと、資料付きです。
いやはや、急にこんなハードな環境に放り込まれると、じんましんが出そう、、、と恐れたのですが、講義は、笑いあり笑いありそして笑いありの、爽快なものでした。五月晴れの空のように、何だか見晴らしが良くなった気がします。
皮切りは、今年の流行語大賞は何だろうか?という問いかけ。
会場からもすかさず「忖度!」と声が上がりましたが、中島さんも、きっと「忖度」が選ばれるだろう請け合い、かくも根深く「忖度」がはびこる日本社会の、とりわけ日本政治の特異性をあばきます。
その背景にあるのは?レジメから、かいつまんで引用します。
権威的集権システムの形成
1)国のあり方(統治構造)の抜本的改革
・政治改革(1994年)
小選挙区制・政党国庫助成の導入で、小泉郵政選挙に顕著に見られるように、政党執行部が「政党公認の可否」を盾に議員の生殺与奪の権限を握り、異論を排除する傾向を強めてきたこと。
・行政改革(1996~2001年)―内閣と内閣総理大臣の機能強化、中央官庁再編、など
2)第二次安倍政権下での「官邸主導」の拡大・強化・深化
1内閣官房  
「国家安全保障会議」の事務局・国家安全保障局や内閣人事局を設置
2内閣人事局の設置(幹部公務員の実質的な政治任用)
3独立行政機関への政治介入
・NHK
・日銀
・内閣法制局の専門性の破壊
・最高裁への人事介入
ウーン、ガッテンガッテンです。

もう一つのメインプログラムは、松元ヒロさんの4年ぶりの岡山公演。全編これ、涙と笑いと共感のひとときでした。
公演に先立ち、主催者側から、写真・動画の撮影や録音をご遠慮くださいとアナウンスがあり、著作権上の配慮が示されましたので、その意向を受けて、もちろん写真はなし。内容紹介も概要にとどめます。
ちなみに、松元さんの公認サイトはこちら。ヒロポンのインターネット大作戦 | information - winterdesign.net


また、「時事ドットコムニュース」に、「憲法70歳、まだまだ元気」=一人芝居で理念伝える-コメディアン松元ヒロさんという記事がありますので参考までにリンクを貼らせて戴きます。

1947年に日本国憲法が施行されてから、3日で70年を迎える。社会風刺を得意とするコメディアン松元ヒロさん(64)は、自ら憲法に成り切った一人芝居「憲法くん」を20年前から上演。自民党などの改憲論に対し、「僕がリストラされるって本当ですか」と問い掛ける。憲法の理念を8分間に込めた芝居は、昨年亡くなったタレント永六輔さんらに絶賛され、絵本にもなった。松元さんは「憲法はまだまだ元気」と訴えている。
(中略)
 「憲法くん」は絵本になり、昨年12月に講談社から出版された。絵本には、焼け野原となった街に憲法くんがたたずむ場面がある。「二度と戦争はしないと誓ってできたのが憲法。現実に合わないからと変えるのはおかしい」と松元さんは力を込める。


この日の公演では、案に相違して、おなじみの演目「憲法くん」そのものは演じられず、代わりに絵本「憲法くん」の紹介を等して、日本国憲法の意義とそれへの思いが熱く語られました。
出版元の講談社BOOK倶楽部のこのページに、松元ヒロ・ソロライブ「こんにちは、憲法くんです!の動画が掲載してあります。

今回の公演で、時間をかけて語られたのは、永六輔さんとの心温まる交流。特に、亡くなる数カ月前、「憲法9条をよろしく」と託されたというエピソードには、胸が熱くなりました。
他に、印象に残った話題にこんなものがあります。
・「押しつけられた憲法」と悪口を言う人があるが、良いものなら、「押しつけられた」とは言わず、ありがたく思って大事にする。
・外国のものは駄目と言うが、もともと日本のものは何?私は鹿児島の出身。人間のからだでたとえると、右足の伸ばしたつま先にあたる場所。昔は薩摩と呼ばれ、サツマイモの名で知られる。でも、私の地方ではサツマイモと言わずにカライモという。「唐」つまり中国から伝わった芋だから。
ところで、私がこの記事を書きながら、大いに触発された一つの話題について、いみじくもgonntan様が、この記事ノスタルジーの原点で触れておられます。

 このブログでは内田樹氏のブログを常時貼り付けているのですが、神奈川新聞昨日版に寄せた記事を読むと、この国の現状や政治家を含めた民意がハッキリとわかります。全文を読んでいただかないといけないのですが、要点だけ記せば
 【 安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。 】
 【 日本の指導層の抱え込んでいる「主権国家でないことの抑圧された屈辱感」は日本国民に「主権者でないことの屈辱感」を与えるというかたちで病的に解消されることになった。それが特定秘密保護法、集団的自衛権行使の閣議決定、安保法制、共謀罪と続く、一連の「人権剥奪」政策を駆動している心理である。 】

 氏の確かな分析に納得します。

同じ内田樹さんの文章を、私もコピっていました(http://www.kanaloco.jp/article/248588)。二番煎じになりますが、少しだけ引用させてください。

 いま日本で起きている絶望的なまでの「公人の劣化」は何に由来するのか。結論から言ってしまえば「日本はアメリカの属国でありながら、日本人がその事実を否認している」という事実に由来する。日本社会に蔓延(まんえん)している「異常な事態」の多くはそれによって説明可能である。
 ニーチェによれば、弱者であるがゆえに欲望の実現を阻まれた者が、その不能と断念を、あたかもおのれの意思に基づく主体的な決断であるかのようにふるまうとき、人は「奴隷」になる。「主人の眼でものを見るようになった奴隷」が真の奴隷である。彼には自由人になるチャンスが訪れないからである。
日本はアメリカの属国であり、国家主権を損なわれているが、その事実を他国による強制ではなく、「おのれの意思に基づく主体的な決断」であるかのように思いなすことで自らを「真の属国」という地位にくぎ付けにしている。
(中略)
日本人は心のどこかで「属国であること」を深く恥じ、「主権の回復」を願っている。けれども、それは口に出されることがない。だから、その抑圧された屈辱感は病的な症候として表れる。安倍政権とその支持者たちの「かつて主権国家であった大日本帝国」に対する激しいノスタルジーは「主権のない戦後日本国」に対する屈辱感の裏返しである。
 けれども主権回復のための戦いを始めるためには、まず「日本は主権国家でなく、属国だ」という事実を受け入れるところから始めなければならないが、それはできない。痛苦な現実から目をそらしながら少しでも屈辱感を解除したいと思えば、「大日本帝国」の主権的なふるまいのうち「今でもアメリカが許諾してくれそうなもの」だけを選び出して、政策的に実現することくらいしかできることがない。それが対外的には韓国や中国に対する敵意や軽侮の表明であり、国内における人権の抑圧、言論の自由や集会結社の自由の制約である。
 (中略)
 改憲への熱情もそれによって理解できる。憲法に底流する国民主権のアイデアはアメリカの統治理念そのものである。それを否定することで、対米屈辱は部分的に解消できる。そして「国民に対してだけは主権的にふるまう」ことで国家主権を持たないストレスも部分的に解消できる。
 自民党改憲草案は近代市民社会原理を全否定し、むき出しの独裁政権を志向する病的な政治文書だが、それが全篇(ぜんぺん)を通じて「決してアメリカを怒らせないような仕方で対米屈辱感を解消する」というねじれた政治目標に奉仕しているのだと思えば、理解できないことはない

ああなんというさもしい「奴隷」根性!
サツマイモは中国伝来だけど、良いものは良い。日本の文字(漢字、平仮名、片仮名)は中国伝来の文字がもとになっているけれど、良いものは良い。日本国憲法は、権利章典、アメリカ独立宣言、アメリカ合衆国憲法、フランス人権宣言、ワイマール憲法など、世界の価値ある先見的な章典の精神を引き継いでつくられたものだが、良いものは良い。
アメリカとの友好関係は、他の諸国との友好関係と同様に大切だが、主権を棄てた従属的な「日米同盟」は、駄目。駄目なものは駄目。そこを認めないで、「美しい国」を云々し(注:デンデンではありません)、「決してアメリカを怒らせないような仕方で」自主憲法の制定を唱えても、ちっとも美しくないのです。
五月五日こどもの日は、郷里の老父母の元に家族が集まり、父の満九〇歳を祝いました。
小1の孫が手渡しているのは、生年月日に発行された新聞のコピーです。こういうサービスがあることを見つけたママが、手配して、老父(1927年)と老母(1930年)のものを手に入れてくれました。

庭のクレマチスも、毎年のことですが清楚な花を咲かせてくれています。

小4の孫が「地味に控えめな」四つ葉のクローバーを見つけました。

シュンギクに花が咲き、ベニシジミが吸蜜しています。

紫陽花の葉に、生まれたばかりのバッタの幼虫が、希望に燃えて大志をふくらませています。

慌ただしく連休が終わり、孫たちのはしゃぎ声で賑やかだった我が家も、閑寂を取り戻しています。大阪の孫一家も、無事帰り着いたそうです。次の再会はお盆です。
二歳児の手足口病は回復し、すっかり元気に遊んでいますが、今度は従妹の一歳児が感染し、ご機嫌ななめです。居住地が離れていますし、この間特に接触もしていないので、別ルートでの感染なのでしょう。いやはや、子どもはかくも頻繁に、次から次へと流行病にかかるものかと、改めて感心しています。
今日はこれにて。

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コメント 4

majyo

松元ヒロさんとても良かったみたいですね。
永さんとのエピソードは本当に楽しいです。楽しみながらホロッときます。
憲法は押しつけられたのではなくありがたく頂いた。
まさにその通り!
みなさま内田樹さんを読んでいらっしゃることにとても嬉しいです。
思っていても書けない事が明解につづられていますね
by majyo (2017-05-08 18:12) 

kazg

majyo様
>松元ヒロさんとても良かったみたいですね。
その通りです。逐一ご報告したいところですが、笑っているうちに委細は忘れちゃいました(笑)
内田樹さん、慧眼ですね。
by kazg (2017-05-09 00:43) 

momotaro

レポートの続きありがとうございます。
「権威的集権システムの形成」すっきり書かれているので参考になりました。
松本ヒロさん、いいですねぇ、観てきました。
クレマチス、清楚ですねぇ
生まれたばかりのバッタ、可愛いですねぇ
by momotaro (2017-05-09 11:13) 

kazg

momotaro 様
「権威的集権システムの形成」
ほとんどレジュメの項目を写しました。
ノートも取らずに講義を受け、レジュメを頼りに内容を思い出そうとすることの至難(汗)。学生時代にはノートを見せてくれる友人がいて、助かったことを思い出しました(笑い)。

by kazg (2017-05-10 06:55) 

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