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ベートーベンに出会う旅、の巻 [折々散歩]

今日は、年金者組合の地元支部主催の一日旅行に参加しました。行き先は、徳島県鳴門市にあるドイツ館

よく晴れて、瀬戸内海の眺望が美しい一日でした。

写真に残せたのは、津田の松原サービスエリア(さぬき市)から見える景色。

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鳴門市ドイツ館の建物は、姉妹都市リューネブルクのRathaus(市役所)をモデルとしているそうです。

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28mmレンズ(35mm換算)でも、かなり離れないと、全景が収まりません。

ベートーベンの像が建てられている丘の上から見ると、、、

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ようやく全景がはいりました。

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「ようこそ、第九のふるさとへ」と、大きな看板が出迎えてくれます。

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上記のドイツ館HPから、「鳴門市ドイツ館の歴史」の項を一部引用して紹介します。

かつて鳴門市大麻町(当時の板野郡板東町)には、大正6年~大正9年(1917年~1920年)のおよそ3年間、第一次世界大戦時に日本軍の捕虜となったドイツ兵を収容した「板東俘虜収容所」が存在しました。
板東俘虜収容所では、所長である松江豊寿をはじめとした管理スタッフがドイツ兵の人権を尊重し、できるかぎりの自主的な生活を認めていました。そのため、ドイツ兵たちは元々優れていた技術を活かして様々な活動に取り組み、中でも盛んだった音楽活動においては、ベートーヴェンの「交響曲第九番」を、アジアで初めてコンサートとして全楽章演奏しました。また、ドイツ兵たちは地域の住民とも交流を深め、親しみを込めて「ドイツさん」と呼ばれるようになるほど打ち解けていました。こうしたエピソードから、板東俘虜収容所は模範収容所と評価されました。
鳴門市ドイツ館は、板東俘虜収容所で過ごしたドイツ兵たちの活動の様子や、地域の人々との交流の様子を展示した史料館です。ドイツ兵たちが板東でどのような生活を送っていたのか、地域の住民とどのように関わり合ったのか、なぜドイツ館が創設されたのかなどを、具体的に知ることができます。中でも、第九初演のエピソードが映像とロボットで語られる「第九シアター」は見所です。

「板東の記憶」をユネスコ「世界の記憶」登録へとあります。「板東の記憶」とは??

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「板東俘虜収容所」におけるドイツ人捕虜への待遇は、ハーグ条約を遵守しての、人道的なものであったようです。そして、それは収容所所長である松江豊寿の姿勢が大きく影響していたようです。

ウィキペディアの解説を一部引用します。

松江はドイツ人の俘虜達に人道に基づいた待遇で彼らに接し、可能な限り自由な様々な活動を許した。賊軍としての悲哀を味わった会津藩士の子弟に生まれた体験が、大きく彼の良心的な人格形成に影響したといわれる。

また、付近の人達と俘虜との交流や技術指導も盛んに行われ養鶏・養豚・野菜栽培から建築・設計まで広い分野で交流が行われたと言う。

1920年4月、第一次大戦終了に伴い板東俘虜収容所は閉鎖された。だが、俘虜たちは解放された後もここで受けた温かい扱いを忘れず「世界のどこに松江のような(素晴しい)俘虜収容所長がいただろうか」と語るほどだったと言う。

敷地内に立つ松江豊寿の像。

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↓このサイトには、松江所長についてこんな紹介がありました。

なると第九

松江所長の父は明治維新時の賊軍、会津藩の出身であり、松江豊寿自身も朝敵の汚名を受け、苦しい生活を送っていました。そんな中、敗者の心情をその身で受け止めながら成長しました。
人並みはずれた人道的共感、思いやりの心が生まれた彼は、ドイツ兵捕虜に対しても、「彼らも祖国のために戦ったのだから」と、捕虜の住環境の改善などについて、上官にねばり強く交渉し、「捕虜に甘い」と中央の警告や非難も受けながらも、その姿勢を崩すことなく、収容所が閉鎖されるまで信念をつらぬきとおしたのです。この真摯な姿勢に収容所職員も賛同し、高木副官をはじめとし、ドイツ兵捕虜の生活環境の改善に心血を注ぎました

館内の展示や、案内者の方の説明によって語られるエピソードに一つ一つが胸にしみました。

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最後にもう一度、なると第九の記事の一部を引用し、今日はこれにて。

戦時中にもかかわらず、“alle Menschen werden Brüder=すべての人々は兄弟になる”という世界平和や人類愛という普遍的なテーマを持つ「第九」が演奏されたこと。そしてドイツ兵捕虜と収容所職員・地元民が国境や人種を超えてこれを体現したことは、まさに異例でした。


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コメント 4

majyo

板東俘虜収容所の事、ホッとしますね
収容所所長さんの人柄が良かったのでしょう
戦争は上が始めますが、兵士たちは共に同じです。
闘いたくって闘ったのではない。
会津は賊軍として辛いめにあいましたから、その血が流れていたのでしょうか

by majyo (2018-10-09 06:40) 

kazg

>板東俘虜収容所の事、ホッとしますね
偏狭な排外主義が必ずしも父祖の伝来の民族的資質というわけではないことを知って、救われる思いがします。
>会津は賊軍として辛いめにあいましたから
まさに同時代の記憶であり、異国の俘虜の身の上も他人事ではなかったのでしょうね。

by kazg (2018-10-09 10:00) 

美美

雲が低くなり秋を感じますね。
青い風景は見飽きませんね。
by 美美 (2018-10-10 15:12) 

kazg

まだまだ暑い日がぶり返しますが、景色は秋ですね。
by kazg (2018-10-10 17:32) 

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