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半夏生その他、の巻 [折々散歩]

臨時ニュースです。


(この記事執筆中に、熱海の土石流のニュースを知り、軽口は不謹慎と思いましたが、乞ご容赦)


昨日、親愛なる友人H女史からメールで知らせていただきました。実は私はまだ見ていなかったので、すぐに確かめてみました。
「しんぶん赤旗」日曜版の7月4日号に、投稿歌を載せていただきました。実は、同じページには、敬愛する大先輩K女史(89歳)の投稿(たびたび同紙や地元新聞等にも投稿を寄せられ、ご壮健を喜ぶとともに励まされています)がちょうど掲載されており、先ずそちらに目が行きましたが、確かに、私のものも片隅にありました。


akahatanichihaitatsu


かなり前に投稿していたものですが、三首投稿したうちでは、三番手の出来でした(笑)何しろテーマがあんまり文芸的でない。しかも元の作品からはずいぶん雰囲気が変わったような気がして、確かめてみると元はこうでした。



朝四時を過ぐれば空もほの白み今の季節は早配も愉し


確かに「早配」という略語は世間の公用語ではないでしょうね(笑)


「多数者革命」を標榜し、国民の多数を結集することを通して社会変革を実現していくことを基本路線としている日本共産党の前進に期待するところ切ですので、その機関紙を少しばかり配達するささやかなお手伝いは、学生の頃からやってます。当時は、朝起きが苦手で、自転車で一時間ほどの配達を終える頃には、授業に間に合わなかったり、時には何軒か配達をサボって早じまいしたことも、少なからずありました(いまでも悪夢を見ます)。


就職後も、転地先ごとに、相応の協力をしてきました。このブログ執筆動機の一つとなった入院・手術の前後をきっかけに、数年間はお断りしていた時機もありましたが、快復(特に目の複視の症状の解消)と、配達員の方の死亡や不都合などが重なり、またお引き受けすることになって数年を数えます。


かといって「早朝配達愉しき季なり」とまで大らかに断言する楽天的不屈性は、私には欠如していまして、「(本音では憂鬱な)配達も、今の季節は愉しく感じられるヨ」というレベルが正直なところです。


くねくねした坂道や隘路、路地裏の細道などを自動車で通行しながらの、週1~2回、通常一時間余りの作業ですが、雨の日や、夜明けが遅い冬の時期、特に雪の朝などは、緊張もし、前夜からストレスもつのります。


その点、今の時期、朝日が顔をのぞける前後の時間帯の田園風景や、朝風のそよぎ、ウグイスや小鳥のさえずり、時には農家のニワトリの時を告げる声など、得難い出会いに愉しみを覚えているのは、誇張や強がりでは決してありません。


本当に日が長くなりました。それもそのはず、投稿したのはたしか夏至が近付いていた時分でしたが、今や雑節の一、「半夏生」です。


この時期、繰り返し、こんな記事を書いています。


五番煎じの半夏生、の巻(2017-07-02)


当ブログ「ナードサークの四季」は、2013年の夏に書き始めました。「退職記念」と銘打ちましたが、もっと直接的には、「肺癌手術記念」とも言えます。七月に入院手術した頃の日録や退院直後の日録を綴り始めたのが出発でした。
そうこうするうちに、もうすぐ4年目を迎えようとしており、「5年生存率九〇%」といわれた、その5年目を生きて迎えることも、まんざら夢ではなさそうです。
それにしても、時々過去記事を見ていると、二番煎じ三番煎じが重なり、ネタ切れ状態を痛感するところです。(中略)

さて、今日のラジオで半夏生の話題が流れていましたので、今日の記事はこれを題材にしようと思ったのですが、確かめてみると、過去にこんなに何度も書いていました(汗)。
たとえば去年の記事。
稲苗に朝露繁き半夏生

今日は一年の折り返し点。一年のちょうど真ん中の日だそうです。
(中略)
去年の「半夏生」の日にはこの記事を書きました。
せせらぎのかそけき音や半夏生
今日も危うく、同じ題材で終わりそうでした。

一昨年の七月二日に書いたのがこれ。せせらぎのかそけき音や半夏生

今朝の地元紙=「山陽新聞」のコラム「滴一滴」に、しばし考えさせられました。
指揮者小澤征爾さんが、24歳で国際指揮者コンクールで優勝した時の、わざと間違って演奏された楽器の音をすべて聞き分け、正したという予選でのエピソードが紹介され、「安倍さんには国民の声がどれだけ耳に届いただろう」と問いかけています。
そして、5月1日付の文化面での内橋克人さんの言葉を引用しています。
「戦争はある日ここからといって始まるのではない。いつしらず、せせらぎの流れのように始まる。」
そしてコラムは、こう結びます。

最初はせせらぎのようにかすかな軍靴の響きも、やがて勢いを増す恐れがある。意に沿わない叫びに“耳”を貸さない為政者では、国は危うい。

本当に、何度も耳にたこができるほど聞き、口が酸っぱくなるほど繰り返し行ってきたこの懸念が、いまほどリアリティを増したときはないかも知れません。

聞き飽きて、またか、まさか、と多くの人が受け流してしまいかねない、今のご時世。まだまだ、内閣支持率の下降が緩やかなうちに、「多数議席」を活用してやれることはやってしまおうという算段でしょうが、それだけにますます、せせらぎの音に耳を澄まさねばなりますまい。

なんと、いつもいつも同じ繰り言を重ねるブログだわいと、われながら「感心」しますが、しかし、事態が少しも良くなっていない以上、今後も繰り返すしかないでしょうね。


最近、自動車運転中に、県立図書館で借りて聞いているCD=半藤一利「昭和史」は、第四 章 「軍国主義 への 道 は かく 整備 さ れ て いく 」第五 章「 二・二 六 事件 の 眼目 は『宮城 占拠 計画』 に あっ た 」が終わりました。第五章の副題は「大股 で 戦争 体制 へ」とつけられています。



昭和史 1926-1945 (平凡社ライブラリー 671)

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  • 作者: 半藤 一利
  • 出版社/メーカー: 平凡社
  • 発売日: 2012/01/01
  • メディア: Kindle版



半藤一利 完全版 昭和史 第ニ集 CD6枚組

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  • アーティスト: 半藤一利
  • 出版社/メーカー: 日本音声保存
  • 発売日: 2005/06/01
  • メディア: CD



半藤一利 完全版 昭和史 第三集 CD6枚組

半藤一利 完全版 昭和史 第三集 CD6枚組

  • アーティスト: 半藤一利
  • 出版社/メーカー: 日本音声保存
  • 発売日: 2005/06/01
  • メディア: CD



半藤さんは、二・二 六 事件を総括してこうまとめています。


何 が この 事件 の 後 に 残っ た のか。 簡単 です。 松本清張 さん に『 二・二六事件』 という 大著 が あり ます が、 その 結論 で 述べ て いる 言葉 が 一番 適し て いる かと 思い ます。 「( これ 以後 の 日本 は) 軍部 が 絶えず〝 二・二 六〟 の 再発( テロ の こと) を ちらちら さ せ て 政・財・言論 界 を 脅迫 し た。 かく て 軍需産業 を 中心 と する 重工業 財閥 を( 軍 が) 抱き かかえ、 国民 を ひきずり 戦争 体制 へ 大股 に 歩き 出す ので ある。( 日本 の 国 が ここ で がらっと 変わる の です が) この 変化 は、 太平洋戦争 が 現実 に 突如 と し て 勃発 する まで、 国民 の 眼には わから ない 上層 部 において、 静か に、 確実 に 進行 し て いっ た」 清張 さん が 言う とおり で、 これ 以後 の 日本 は テロ の 脅し が テコ に なっ て、 ほとんど の 体制 が 軍 の 思う まま に 動い て いく こと に なる の です


話を「半夏生」に戻します。先の引用のつづきです。


「半夏生」については、この記事でふれましたので再掲してしておきます。
半夏生ですか?それとも別の方?

スーパーの魚コーナーにパートに出ている妻が、「半」に「夏」に「生」と書いてどう読む?尋ねるので、うろ覚えで「ハンゲショウ」と答えました。

「たこ」に関係ある?と聞くので「知らない」と答えたものの、気になるので、ネット検索してみました。

「デジタル大辞泉」にはこうあります。

1 雑節の一。太陽が黄経100度にある日で、夏至から11日目。7月2日ごろにあたる。このころから梅雨が明け、田にカラスビシャク(半夏)が生えるのを目安に田植えの終期とされてきた。半夏(はんげ)。《季 夏》「いつまでも明るき野山―/時彦」
2 ドクダミ科の多年草。水辺に生え、高さ約80センチ。全体に臭気がある。葉は長卵形で互生。6、7月ごろ、上部の葉が数枚白くなり、これと向かい合って花穂を出し、白い小花が咲く。名は1のころ咲くからとも、葉の下半分が白いので半化粧の意ともいわれる。かたしろぐさ。

農家では、この日までに田植えを終わらせる節目の日とされ、地方によっていろいろな伝承があるようです。

この日は天から毒気が降ると言われ、井戸に蓋をして毒気を防いだり、この日に採った野菜は食べてはいけないとされたこともあったそうです。三重県では、ハンゲという妖怪が徘徊るとされ、この時期の農作業を戒めたようです。(中略)

「2ドクダミ科の多年草」とある『ハンゲショウ(かたしろぐさ)」の写真は、この記事にも載せました。
七夕雑話


【今日の付録】


木曜日、郷里の父の定期診察のための運転に、田舎へ帰りました。その帰り道、「タンチョウの雛』観察のリベンジのために、再度自然保護センターを訪ねました。


実は、先日後楽園を歩いたときにも鶴舎を覗いてみました。


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久しぶりにタンチョウの撮影を試みてはみましたが、金網越しですので思うにまかせません。


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さて、自然環境体験公園はというと、今回も放飼場にタンチョウ親子の姿は見えません。すごすご引き返すのもしゃくなので、職員の方に訪ねてみましたら、きょうはもう、飼育ケージの方に帰したとのことでした。そうか、前回もそうだったのか。


案内図をもとに、ケージを覗いてみると、


やはりフェンスが邪魔をします。


隙間から見え隠れする雛は、想像よりも大きく育っているようです。


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場所を変えて、狙ってみますが、蓮の葉影に隠れて雛がよく見えません。


どうにか姿を捉えることができたのがこの写真です。


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_K527268


今日はここまで。


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コメント 2

momotaro

善い行い、佳い一首ですね!
by momotaro (2021-07-17 07:50) 

kazg

momotaro様
お恥ずかしい限りです。お言葉痛み入ります。
by kazg (2021-07-19 07:05) 

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