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20年前のベトナム訪問記(4) [木下透の作品]

現在、新ブログ「ナードサークの四季vol.2」 をメインブログとして更新していますが、こちらの初代ブログも、時々更新しないと、希望しない広告がふんだんに表示されます(PC版の場合です。スマホ版は常に広告が表示されているらしい)ので、それを避けるため、時折更新を続けています。

20年ほど前に体験したベトナム訪問旅行での撮影写真と、記録文をもとに、当時作っていたプライベートホームページのdataから、少しずつ小分けにして.再掲しています。今回は(その4)です


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3.二日目のベトナム

 翌朝午前八時ホテル発。念のために付け加えますと、ホテルは外国人向けの一流ホテル。冷房完備で肌寒いほど。朝食のバイキングのメニューも豊富、味も上々です。フランス統治のなごりか、コーヒーはとても美味。フランスパンの味も格別でした。

サイゴンの街を行く
 ホーチミン市というのは、南北ベトナムが統一され「社会主義共和国」に生まれ変わった時に、サイゴンから改名されたもの。ただ、それは公式な呼び名であって、対外的に用いるけれども、日常的にはどちらの呼称も通用しているそうです。
 いかに人々から敬愛されている「ホ-おじさん」の名前であろうと、それを歴史的な愛着ある「サイゴン」の呼称に換えて「上から」強要することは、社会主義の制度共々「北」からの押しつけというイメージがつきまとい、住民感情はいかがなものかと気になっていましたが、人々は以前通り、日常的には「サイゴン」と呼んでいるようで、それで何ら差し支えはないようでした。
 さて、貸し切りバスで移動する先は、午前中の目的地クチ。
 サイゴンでのガイドとして私たちの世話をしてくれるのは、若いが、なかなか日越の事情に通じたゴァンさん。日本語は、独学で学んだそうですが、ことわざや慣用句を含め、言葉のアヤや表現の機微に至るまで軽やかに使いこなし、思いもかけない堪能さです。日系企業関係の邦人とのつきあいも深いらしい。
 「私は、材木屋だといわれます。キが多いから。」
 「日本人の知り合いが、私に言いました。『君は、足りないものがあるから、英雄になれない』『英雄色を好む、と言うだろう。君にはそれが足りない。』わたしは、まじめですから、英雄になるための勉強をしています。」 
 この日は、少女と言ってもいい初々しさのハンさんも、「ガイド見習い」として同行してくれました。日本語教室で勉強中の彼女は、「日本語は難しいです。」「日本に行くのは私の夢です。でも、それにはお金がとても必要です。」と、明晰な日本語で語ります。  
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 バスの車窓から眺めるサイゴンは、「生き馬の目を抜く」という死語を思い出させるようなエネルギッシュな活気に満ちています。道路沿いには多彩な小商店が立ち並び、道ばたにも、果物、野菜、食品、小間物などをとりどりに積み上げた露店が、思い思いに場所を占めています。そのあちらこちらで、人だかりあり、通行人とのやりとりあり、近隣同士の語らいありで、日本のさびれた商店街を見慣れた目には、人々の豊かな交流・コミュニケーションに彩られた日常の姿が、ひどくまぶしくうらやましく感じられました。

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 そして、何といっても目につくのは、無数のバイクの波。一番人気は日本製。ホンダ、カワサキ、スズキなど。これは高価でなかなか手が出ないが、故障知らずで憧れの的。お手ごろ価格の中国製も普及している由。乗用車は普及していないので、一家に一台バイクを持つのが市民の夢。これも、ドイモイで急速にかないつつあり、今、街はバイクの洪水に---。
 足もとは、たいていサンダル、突っかけばき。雨でも降れば靴は不便なのか、靴履きの人はわずかです。ヘルメットを着けた人はほとんど見あたりません。
 政府がヘルメット着用を義務づけた法令を出したことはあったが、民衆の不評を買って、3ヶ月で撤回したそうです。ヘルメットをかぶると、周囲がよく見えないし、クラクションの音も聞こえにくく、かえって事故につながりやすいからだそうです。ただ高速道を利用するなど長距離を走る場合は着用義務あり。
 一度出した法令を、さっさと引っ込めるところなど、なかなか大らかというか柔軟ではないですか。「社会主義ベトナム」は「統制社会」とは異質の、人間くさい社会のようです。何しろ、こんなエネルギッシュな人々を、統制するなど、誰の手にもできっこないと感じられます。丁々発止、合意と納得を重ねながら、一歩一歩形を作っていくような社会づくり・国づくりが、この人たちの伝統的なやり方なのではないかなと、何となく感じられます。
 ベトナムの交通法規では、二人乗りまでは可。子どもに限り、三人乗りも可だそうです。でも、実際には、大人の三人乗り、時には四人乗りも目に付きます。人々は思い思いの格好で、バイクを走らせています。実直そうなおじさんや、颯爽とした若者や、ハイセンスなお嬢さん。多彩な人々が、それぞれかなり真剣な表情で、二人乗り、三人乗りのバイクを走らせています。
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 わずかながら交通信号もありますが、余り守られているようではありません。一番頼りになるのは、お互いのかけ声とクラクション。そういうコミュニケーションのなかで、日々の交通秩序(かなり無秩序というかカオスを感じますがね)が形成されているようです。
 隣のバイクとなじり合いをしている姿も目に付きます。後部座席に乗っているお嬢さんが、激しく隣のバイクをやりこめている様子も見て取れます。ベトナムの女性はしんが強いと言いますが、街角でもそれは感じ取れます。
 ガイドのゴァンさんも、ベトナム女性の気性について、ユーモラスに語ってくれました。そもそも、ベトナムの歴史の中で、中国の支配に立ち向かった英雄として最も名高いのはのは、漢に対する反乱を指揮したチュン・チャック、チュン・ニという姉妹。いまもハイバーチュン=チュンおばさんと敬愛されているといいます。ベトナムは儒教の影響の強い国ですから、男尊女卑の名残もまだあり、社会的・政治的表面には男が出る。その意味で形式的には、一家の柱は男だが、実権は妻が握っていて、男は頭が上がらない、、、と言います。そして、妻は、浮気を決して許さないので、日本の「阿部定」のような例はベトナムでは沢山あるともいいます。元産経新聞サイゴン駐在記者だった近藤紘一氏の「サイゴンから来た妻と娘」(文芸春秋社)を紹介して、ベトナム人妻を持つ日本人男性が「恐妻家」のネットワークをつくっているエピソードなども話してくれました。
 ベトナムの女性像に関しては、「赤旗」ハノイ特派員だった木谷八士氏の「ハノイの灯は消えず」(新日本新書)にも、こんな記述があります。
 「おとなしくて、しとやかで、つつましい」というのが、ベトナム女性の「定評」になっているようだ。欧米人の書いた北ベトナム訪問記やルポルタージュのたぐいを呼んでみると、たいていそう書いてある。私はそれにはちょっと同意しがたい。「シンが強くておしゃべりで、たくましい」というのが私の一般的印象だ。
 ベトナム女性の外観は確かに小柄で、ほっそりとしていて、動作もしなやかである。ほんとうにふとった女性はすくない。ハノイのような大都市でさえ探し出すのが難しいくらいだから、農村地帯へ行くとまずお目にかかれない。とくにおばあさんは、骨とすじ皮だけである。それがよくしなう竹の天秤棒で山盛りの荷を担いで、あぜ道をひょいひょいと調子をとりながられつを作って歩いていく。そのありさまはたくましいとしか言いようがない。
ほっそりしているから非力だとはとても言えない。(中略)-戦役の記録映画で(引用者注)-様々な年かっこうの数百人の女性が、ジャングルの細道を例の天秤棒で荷物をかついで前線に向かうシーンがあった。カメラが接近すると、荷はすべて地雷、砲弾であることがわかる。天秤棒のしない具合で、その重さがぐんとこちらの胸にくる。米軍機が飛び交う空の下、湿地のぬめりに足を取られながら、息もきらせず、前線へ前線へと殺到する女たち。試写室の外国人特派員たちは、言葉にならぬ声をいっせいにあげたものだ。
(中略)市場で、街角で、向上の休憩室でひびく女性たちのおしゃべりは、まことにすさまじい。(中略)多弁のピークは、街通りでの男相手の口論と公開の夫婦げんかである。この二年間、そうしたシーンをたびたび目撃したが、「おとこに部があって有利」という状況は一度もなかった。あれは弁舌の機関砲の連射である。この集中砲火を浴びたら、男はただ口をフガフガさせて、まわりの人々の同情心に視線で訴えるしかない。(中略)
「私は今日も銃をとる。二度と銃をとらなくてすむ日のために」
ベトナムの若い娘がよく口ずさむ民謡の一節だが、彼女たちは物心がついてから、一日たりとも「銃をとらなくてすむ日」はなかった。彼女たちの祖母、母親がじっと耐え忍び、がまんしてきたことをそのまま、当たりまえのようにうけついでくベトナム女性のシンの強さは、何代にもわたって、まるでハンマーできたえられるはがねのようにつくりあげられてきたものだ。
 ハノイに限らず、このような女性たちによってベトナムは支えられてきたのかも知れません。確かに、街角のあちらこちら、あるいは農村の細いあぜ道を、編み笠をかぶり、天秤棒を肩にした、ほっそりとたおやかなお嬢さんやおばさんが、軽やかな足取りで行き来する姿に、目が引かれます。ちなみに、植物の葉または繊維で編んだ白い編み笠は、田舎の農村女性のかぶり物だそうで、都会の人から見ると、いささかダサイ感じがするらしいですが、しかし、ベトナムの風景に本当にぴったりなじんだ服装と、旅人の私たちの目には映ります。
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 この旅の途中、救急車や事故の様子もチラリと瞥見しました。ガイドさんは、繰り返し言います。「大丈夫です、大丈夫です。ベトナム人は運転が上手です。事故はありません。大丈夫です。」「運転が下手な人は、みんな死にました。大丈夫です。」まじめな顔で、ぽろりとこぼれるブラックユーモアです。
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 私とMさんの共通の旧友で、現在サイゴンに居住しながら日本語学校の講師などをしているN女史に、わずかながら出会う機会がもてた(N女史がわれわれの通過先を訪ねてくれた)のですが、「ベトナムでは、まだまだ命が軽い。交通事故の対処なども、荒っぽい扱いを目にする。」と話してくれました。
 民衆の大らかな楽天性には好ましさを感じる一方で、「独立と自由」(の基礎)を勝ち取ったあとの時点での新たな困難、「貧しさを分かちあう社会主義」(古田元夫)を乗り越える上での諸課題について考えさせられました。
この項、写真の量が多いので、こちらの写真庫にアップしておきますので、ご覧ください。
つづく

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20年前のベトナム訪問記(3) [木下透の作品]

現在、新ブログ「ナードサークの四季vol.2」 をメインブログとして更新していますが、こちらの初代ブログも、時々更新しないと、希望しない広告がふんだんに表示されます(PC版の場合です。スマホ版は常に広告が表示されているらしい)ので、それを避けるため、時折更新を続けています。

20年ほど前に体験したベトナム訪問旅行での撮影写真と、記録文をもとに、当時作っていたプライベートホームページのdataから、少しずつ小分けにして.再掲しています。今回は(その3)です


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2.韓国からベトナムへ

韓国仁川を経由して
 8月7日正午過ぎの便。岡山空港発は魅力です。ただ、そのための制約とは言え、韓国仁川空港周辺での半日の時間調整は、正直余分でした。が、私にとっては、ベトナムも韓国もはじめての地。しかも、いずれも、平和・自由・民主主義という主題に関連して、関心を向けざるを得なかった土地でした。
 「共産主義の脅威から自由陣営をまもる」というアメリカ流の「大義」のもと、「大国とは衝突を避けて小さな社会主義国・民族解放運動を各戸撃破する」「アジア人をしてアジア人と戦わしめる」という戦略に基づいて、最大の前線基地の役目を担わされたのが日本だとすれば、実際に流血の戦場に兵士を送り込んだのが韓国でした。
 分断国家の不幸を担いながら、しかも、他民族に対する侵略戦争に全面加担していくという、二重の不幸。そして、侵略政策を強引に遂行するために、歴代軍事独裁政権が繰り返した乱暴な人権抑圧・迫害の数々。「金大中氏拉致事件」「徐勝・徐俊植氏兄弟投獄・拷問問題」「詩人金芝河の受難」など、パクチョンヒ時代の暴政の数々は、いずれも30年前のホットニュースでした。
金芝河詩集

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わが魂を解き放せ (1975年) (国民文庫―現代の教養)

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 このようなもとで、いかに人間の尊厳と矜持を守りぬけるかという自問は、「平和な日本」の青年であった私たちの、「負い目」の自覚を帯びた問いでもありました。「実際の肉体的な暴力・迫害に耐え抜く勇気は、あるいは私にはないかもしれない。しかし、そのような極限の事態が将来生じないように、いまの条件のもとで、必要な声をあげ行動するくらいの勇気は、私にもあるつもりだ」という趣旨の早乙女勝元氏の言葉(ベトナム戦争の話題か、それとも、アウシュビッツの話題か、あるいは、多喜二虐殺に象徴される戦時下の日本の話題だったでしょうか、確かには覚えていませんが)なども、当時共感的に心に刻んだものでした。
 いま、幾たびかの転変を経て韓国の軍事独裁政治は基本的に終わりを告げ、かの金大中氏が大統領に就いていることにも、昔日の感を覚えますが、この地からベトナムへの直行便が友好的に運行されていることも、また、感慨深い限りです。
 空港の、行き先掲示に、英語、ハングルのほかに、「周志明」と漢字表記がなされているのも、何か新鮮で愉快な発見でした。ホーチミン(周志明)市までは、五時間半のフライト。窮屈な旅ではありました。  

 

ホーチミン市に着く
 ホーチミン市タンソンニャット空港に着いたのは現地時間の23時(日本時間で翌8日午前1時)過ぎ。ホテル着、チェックイン終了までに約一時間。初日からなかなかハードな旅の始まりでした。
 「石炭をばはや積み果てつ。」と書き始められる『舞姫』(森鴎外)を、夏休み前、三年の現代文の授業で読んできたところです。主人公太田豊太郎が、追憶にふけりながら旅の船の客室の夜を迎えた「セイゴンの港」が、このサイゴンなのだ、と感慨は深いのですが、いかんせん夜中のこと、ゆっくりと味わういとまもないまま、その夜は同室のS先生とともに、白河夜船とあいなったのでした。
 
舞姫(新潮文庫)

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つづく

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