大寒や沖縄に春いちはやく [時事]
大寒や沖縄に春いちはやく
固き土破りて名護に春来たり
大寒や辺野古のジュゴン安くあれ
暦の上では、今日が大寒。
名前の通り、寒い朝でした。
その厳しい寒さとは裏腹に、昨日投票の、名護市長選の結果は、一足先の春の訪れを告げるものでした。いや、人々の燃える希望と熱気を、全国に伝えるものでした。
日米政府の強圧や、県知事の心変わりにも関わらず、住民は圧倒的多数で現職稲峰さんを選び、「辺野古の海を基地に渡すな」「ジュゴンの海を守れ」という決断を、繰り返して示しました。
ニュースを聞いていますと、今朝、いつもと同じように交通安全指導に立った稲峰さんに、通学途上の小学生や通行中の市民が「当選おめでとう」と声をかけると、稲峰さんはにこやかにそれに応えていました。
いや、比喩ではなく、実際に沖縄は、もう桜が満開なのでしょう。
私、沖縄県には昔、一度だけ行ったことがあります。
20代の終わりの2月頃だったでしょうか?
「観光」と言うよりも、労働組合の企画で、基地見学(基地調査)に連れて行ってもらったのです。
半袖でも、すっかり汗をかいたことを覚えています。
当時建設されたばかりの名護市役所も訪問し、エアコン無しでも真夏をしのげるという風通しを優先したデザイン、ガジュマルやブーゲンビリア、たくさんのシサーなどに囲まれた、庁舎の美しさに、心を奪われたことが、「名護市」についての最大の印象です。
那覇空港の上空から、初めてエメラルドグリーンの沖縄の海を見た時の、厳かな驚きは忘れられません。けがすべからざる美しさ、荘厳さを感じたように思います。
その同じ空港が、軍民共用で、物々しくスクランブル発進する米軍戦闘機を、間近で見ることの驚きも、ショッキングでした。
沖縄と言えば、ヒメユリ部隊の悲劇に象徴される沖縄戦のすさまじさと痛ましさが、まず想起されますが、戦後の米占領時代の苦難の歴史も、瀬長亀次郎さんの本などで、少しは知っていたつもりでした。
しかし、聞いたり読んだりして想像するのと、実際に目で見て確かめるのとは大違いです。父祖伝来の土地・田畑が金網の向こうに囲われ、そこにアメリカ合衆国がある。本来の持ち主であり住人であるはずの人々が、衛兵の機関銃で脅されるという逆さごと。しかも、そこを拠点に、かつてはベトナム・インドシナへ、そして中東へと、無数の殺人機が飛び立っていくことの歯がゆさ。その「切歯扼腕」の想いは沖縄の人たちの、陽気な明るさの内面に、70年近くもの間深く沈殿し続けているはずです。
こんな歌のフレーズが耳を離れません。
タンポポ
【作詞】狩俣 繁久
【補詞】小森 香子
【作曲】大西 進
1.金網のむこうに小さな春を
つくってるタンポポ
金網のそとにも小さな春を
つくってるタンポポ
ひかりいろしたタンポポは
金網があっても金網がなくても
沖縄じゅうに春をふりまいたでしょう
2.デモ隊の足下にひかりの花を
さかそうとタンポポ
米兵にふまれてもそれでも花を
さかそうとタンポポ
強く生きぬくタンポポを
金網のない平和な緑の沖縄に
みんなのねがいをこめてさかせてやりたい
「ガンバロー」の作曲者としても荒木栄作曲の「沖縄を返せ」も、脳裏に浮かびます。
作詞 全司法福岡高裁支部
作曲 荒木 栄
1
固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が 血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ 我等のものだ沖縄は
沖縄を返せ (返せ) 沖縄を返せ
2
固き土を破りて 民族の怒りに燃える島 沖縄よ
我等と我等の祖先が血と汗をもて
守り育てた 沖縄よ
我等は叫ぶ沖縄よ ……ref……
沖縄を返せ
銃剣とブルドーザーで土地を取り上げられた沖縄の民の、もっとも象徴的なエピソードの一つは、名護市に近い、伊江島の人々の苦難の経験でしょう。
阿波根 昌鴻さんの著作に、ぞれは詳しく綴られています。
裾の広い麦わら帽子のような、独特な姿をした伊江島を訪ね、まだまだご壮健であった阿波根さんをたずね、「団結道場」で、その楽天的で懐の深い、平和への熱い思いをお聞きした時の心の震えを、忘れることはありません。その場で買い求めた一冊の写真集が、今も、私の書棚の奥深く、置かれています。
人間の住んでいる島―沖縄・伊江島土地闘争の記録 写真記録 (1982年)
- 作者: 阿波根 昌鴻
- 出版社/メーカー: )阿波根昌鴻
- 発売日: 1982/12
人間としての「品性」は、誰のもとに備わっているのか?1枚の無言の白黒写真は、饒舌な語り以上に、真実を豊かに語ります。
銃剣やブルドーザーや札束や脅しが、わずかな時間功を奏することはあっても、真に人を動かし、歴史を動かすものは、それではない。ということを、この写真集は雄弁に語りかけています。
さて、こちらは、大寒の冷え込みの中出会った
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