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3月15日と「風立ちぬ」と馬酔木の三題噺 [今日の暦]

今日は、3月15日。

1828年、日本で初めて行われた普通選挙の直後の3月15日、無産政党の活動に危機感を抱いた田中義一内閣は、立候補した左翼活動家やその応援者たちにたいして、治安維持法違反容疑による一斉検挙を全国で展開しました。
当時、非合法状態にあった日本共産党や、労働農民党などの関係者約1600人が検挙され、狂暴な弾圧・拷問が加えられたのでした。その実態を、綿密な取材をもとに描きだしたのが、小林多喜二の初期の代表作「一九二八年三月十五日」でした。
多喜二はその自伝の中で、この作品執筆時の状況をこう書いています。

「私は勤めていたので、ものを書くといってもそんなに時間はなかった。いつでも紙片と鉛筆を持ち歩き、朝仕事の始まる前とか、仕事が終わって皆が支配人の 所で追従笑いをしている時とか、また友達と待ち合わせている時間などを使って、五行、十行と書いていった…私はこの作品を書くために2時間と続けて机に 座ったことがなかったように思う。後半になると、一字一句を書くのにウン、ウン声を出し、力を入れた。そこは警察内の(拷問の)場面だった。」



この「一九二八年三月十五日」は、特高警察の残虐性を初めて徹底的に暴露した小説として注目を浴びますが、それ故に、彼は特高から憎しみをかい、後の悲劇を呼ぶことになったと言われます。

多喜二については過去のブログで、こちら と こちら  に書きました。


「風立ちぬ」というと、真っ先に宮崎 駿監督のアニメ作品を思い出す人が多いことでしょう。ゼロ戦の設計者として知られる堀越二郎をモデルに、その半生を描いた作品であると同時に、堀辰雄の小説「風立ちぬ」に着想を得たとされ、映画ポスターにも、「堀越二郎と堀辰雄に敬意を表して」とありました。
風立ちぬ サウンドトラック

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  • アーティスト: 読売日本交響楽団
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スタジオジブリ作品ポスターコレクション ミニパズル150ピース 風立ちぬ 150-G44

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1/48「風立ちぬ」二郎の鳥型飛行機

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でも、「風立ちぬ」と聞けば、私などには、無条件に堀辰雄の名が浮かびます。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」
高校時代に記憶した、印象深い1フレーズです。

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

風立ちぬ・美しい村 (新潮文庫)

  • 作者: 堀 辰雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 1951/01/29
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堀辰雄というと思い出すもう一つの文章があります。たまたま、高校時代の入試対策模擬テストに出題されていて、奇妙に印象に残った文章でした。「幼年時代」の一節だったと思います。

幼年時代

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幼年時代/晩夏 (新潮文庫 ほ 1-4)

幼年時代/晩夏 (新潮文庫 ほ 1-4)

  • 作者: 堀 辰雄
  • 出版社/メーカー: 新潮社
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関連部分を『青空文庫』から引用してみましょう。

赤ままの花

 私の若い頃の友人だった、一詩人が、彼自身もっと若くて、もっと元気のよかったとき、


お前は歌ふな
お前は赤ままの花やとんぼの羽根を歌ふな


 と高らかに歌った。その頃、私はその「歌」と題せられた詩の冒頭の二行に妙に心をひかれていた。それは、非常に逞(たく)ましい意志をもち、しかもその意志の蔭に人一倍に繊細な神経をひそめていた、その独自の詩人が自分自身にも向って彼の「胸先きを突き上げて来るぎりぎりのところ」を歌ったのにちがいがな かった。その勇敢な人生の闘士は、そういう路傍に生(は)えて、ともすれば人を幼年時代の幸福な追憶に誘いがちな、それらの可憐(かれん)な小さな花を敢 (あ)えて踏みにじって、まっしぐらに彼のめざす厳(きび)しい人生に向って歩いて行こうとしていた。……
 その素朴な詩句は、しかしながら私の裡(うち)に、云いしれず複雑な感動をよび起した。私はその僅(わず)かな二行の裡にもその詩人の不幸な宿命をいつか見出(みいだ)していた。何故なら、 その二行をもって始められるその詩独特の美しさは、それは決してその詩人が赤まんまの花や何かを歌い棄(す)てたからではなく、いわばそれを歌い棄てようと決意しているところに、……かえってこれを最後にと赤まんまの花やその他いじらしいものをとり入れているために――そこにパラドクシカルな、悲痛な美し さを生じさせているのにちがいないのだった。若しそれらを彼が本当にその詩を書いたのち綺麗(きれい)さっぱりと撥(のぞ)き去ってしまったなら、その詩人はひょっとしたらその詩をきっかけに、だんだん詩なんぞは書かなくなるのではないか、という気が私にされぬでもなかった。
 それほど、私はより 高い人生のためにそれらの小さなものが棄て去られることには半ば同意しながら、しかしその一方これこそわれわれの人生の――少くとも人生の詩の――最も本質的なものではないかと思わずにはいられない幼年時代のささやかな幸福、――それをこの赤まんまの花たちはつつましく、控目(ひかえめ)に、しかし見る人によっては殆(ほとん)ど完全な姿で代表しているのだ。……
「それはそうと、赤まんまの花って、いつ頃咲いたかしら? 夏だったかしら? それと も……」と私は自分のうちの幼時の自分に訊(き)く。その少年はしかしそれにはすぐ答えられなかった。そう、赤まんまの花なんて、お前ぐらいの年頃には、 年がら年じゅうあっちにもこっちにも咲いていたような気がするね。……
 いわばそれほど、季節季節によってまるでお祭りのように咲く、他の派手な 花々に比べれば、それらの地味な花はいつ咲いたのか誰にも気づかれないほどの、そして子供たちをしてそれがままごとに入用なときにはいつでも咲いているか のような――実はその小さな花を路傍などで見つけて、誰か一人がふいと手にしてきたのが彼等(ら)にそんな遊戯を思いつかせるのだが――心もちにさせる、 いかにも日常生活的な、珍らしくもない雑草だった。


「若い頃の友人だった、一詩人」とは、東京帝国大学時代、ともに同人誌「驢馬(ろば)」を創刊した友人中野重治のことです。
中野重治については過去のブログで話題にしたことがありました。
叙情性の濃い短歌や詩や小説から出発した彼は、次第にでマルクス主義やプロレタリア文学運動に接近し、「全日本無産者芸術連盟(ナップ)」や「日本プロレタリア文化連盟(コップ)」など活躍し、プロレタリア文学を代表する作家となりますが、検挙・投獄され1934年に「転向」し、「転向作家」としての屈折した半生を歩むことになります。あの小林多喜二が特高警察の拷問によって虐殺された翌年のことでした。
(その後、戦後になって治安維持法は撤廃され、合法政党となった日本共産党に再入党、参議院議員となりますが、部分核停条約の評価などを巡り、ソ連共産党の干渉に同調して分派活動を行い、党から除名されるなど、数奇な人生を歩みます。)

「その勇敢な人生の闘士は、そういう路傍に生(は)えて、ともすれば人を幼年時代の幸福な追憶に誘いがちな、それらの可憐(かれん)な小さな花を敢 (あ)えて踏みにじって、まっしぐらに彼のめざす厳(きび)しい人生に向って歩いて行こうとしていた。」だけに、可憐なものを可憐なものとして慈しみいとおしむことができるような、素直で伸びやかな心を保ち続けることを許されなかった時代環境は、返す返すも痛ましい限りです。


話を堀辰雄に戻します。

もう一つ記憶に残っている文章に、「浄瑠璃寺の春」があります。
「大和路・信濃路」という随筆集の一節です。
これも青空文庫から引用します。

浄瑠璃寺の春
 この春、僕はまえから一種の憧れをもっていた馬酔木(あしび)の花を大和路のいたるところで見ることができた。
  そのなかでも一番印象ぶかかったのは、奈良へ著(つ)いたすぐそのあくる朝、途中の山道に咲いていた蒲公英(たんぽぽ)や薺(なずな)のような花にもひと りでに目がとまって、なんとなく懐かしいような旅びとらしい気分で、二時間あまりも歩きつづけたのち、漸(や)っとたどりついた浄瑠璃寺の小さな門のかた わらに、丁度いまをさかりと咲いていた一本の馬酔木をふと見いだしたときだった。
 最初、僕たちはその何んの構えもない小さな門を寺の門だとは気づかずに危く其処を通りこしそうになった。その途端、その門の奥のほうの、一本の花ざかりの緋桃(ひもも)の木のうえに、突然なんだかはっとするようなも の、――ふいとそのあたりを翔(か)け去(さ)ったこの世ならぬ美しい色をした鳥の翼のようなものが、自分の目にはいって、おやと思って、そこに足を止めた。それが浄瑠璃寺の塔の錆(さび)ついた九輪(くりん)だったのである。
 なにもかもが思いがけなかった。――さっき、坂の下の一軒家のほとり で水菜を洗っていた一人の娘にたずねてみると、「九体寺(くたいじ)やったら、あこの坂を上りなはって、二丁ほどだす」と、そこの家で寺をたずねる旅びと も少くはないと見えて、いかにもはきはきと教えてくれたので、僕たちはそのかなり長い急な坂を息をはずませながら上り切って、さあもうすこしと思って、僕 たちの目のまえに急に立ちあらわれた一かたまりの部落とその菜畑を何気なく見過ごしながら、心もち先きをいそいでいた。あちこちに桃や桜の花がさき、一め んに菜の花が満開で、あまつさえ向うの藁屋根(わらやね)の下からは七面鳥の啼(な)きごえさえのんびりと聞えていて、――まさかこんな田園風景のまった だ中に、その有名な古寺が――はるばると僕たちがその名にふさわしい物古りた姿を慕いながら山道を骨折ってやってきた当の寺があるとは思えなかったのであ る。……
「なあんだ、ここが浄瑠璃寺らしいぞ。」僕は突然足をとめて、声をはずませながら言った。「ほら、あそこに塔が見える。」
「まあ本当に……」妻もすこし意外なような顔つきをしていた。



同じ「大和路・信濃路」には、次の一文もありました。

夕方、唐招提寺にて
 いま、唐招提寺(とうしょうだいじ)の松林のなかで、これを書いている。けさ新薬師寺のあたりを歩きながら、「城門のくづれてゐるに馬酔木(あしび)かな」という秋桜子(しゅうおうし)の句などを口ずさんでいるうちに、急に矢(や)も楯(たて)もたまらなくなって、此処に来て しまった。いま、秋の日が一ぱい金堂や講堂にあたって、屋根瓦(やねがわら)の上にも、丹(に)の褪(さ)めかかった古い円柱にも、松の木の影が鮮やかに 映っていた。それがたえず風にそよいでいる工合は、いうにいわれない爽(さわ)やかさだ。此処こそは私達のギリシアだ――そう、何か現世にこせこせしなが ら生きているのが厭(いや)になったら、いつでもいい、ここに来て、半日なりと過ごしていること。――しかし、まず一番先きに、小説なんぞ書くのがいやに なってしまうことは請合いだ。……はっはっは、いま、これを読んでいるお前の心配そうな顔が目に見えるようだよ。だが、本当のところ、此処にこうしている と、そんなはかない仕事にかかわっているよりか、いっそのこと、この寺の講堂の片隅に埃(ほこり)だらけになって二つ三つころがっている仏頭みたいに、自分も首から上だけになったまま、古代の日々を夢みていたくなる。……
 もう小一時間ばかりも松林のなかに寝そべって、そんなはかないことを考えていたが、僕は急に立ちあがり、金堂(こんどう)の石壇の上に登って、扉の一つに近づいた。西日が丁度その古い扉の上にあたっている。そしてそこには殆ど色 の褪めてしまった何かの花の大きな文様(もよう)が五つ六つばかり妙にくっきりと浮かび出ている。そんな花文のそこに残っていることを知ったのはそのとき がはじめてだった。いましがた松林の中からその日のあたっている扉のそのあたりになんだか綺麗な文様らしいものの浮き出ているのに気がつき、最初は自分の 目のせいかと疑ったほどだった。――僕はその扉に近づいて、それをしげしげと見入りながらも、まだなんとなく半信半疑のまま、何度もその花文の一つに手で さわってみようとしかけて、ためらった。おかしなことだが、一方では、それが僕のこのとききりの幻であってくれればいいというような気もしていたのだ。そ のうちそこの扉にさしていた日のかげがすうと立ち去った。それと一しょに、いままで鮮やかに見えていたそのいくつかの花文も目のまえで急にぼんやりと見え にくくなってしまった。


今日、故郷の実家のご近所の庭に、白い馬酔木を見つけました。

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ハクモクレンの蕾もふくらみはじめてます。
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オオイヌノフグリはまだまだ花盛り。
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白花タンポポも咲いています。
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 付録 深山公園のザゼンソウを、向きを変えて撮影。水辺に咲いているので足場が悪いのと、逆光なので、画像が鮮明ではありませんが、この方角から見ると「座禅中」の僧の姿が見える気がしませんか?

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