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「夢千代日記」補遺 [あれやこれやの知ったか話]

昨日の記事の追補です。
備忘のためにメモを残しておきます。
夜の部の演劇鑑賞についてです。
退職後、職場の先輩からお誘いを受けて、「市民劇場」で観劇する楽しみを味わっています。お誘いいただいた縁から、「児島演劇鑑賞会」に属し、片道20km弱離れた倉敷市「児島文化センター」で催される公演を鑑賞することになります。
2ヶ月に一度のペースで公演が催されますが、最近は二度ほど続けて都合がつかず、昨日は久しぶりの観劇でした。
今回は土曜日の午後という日程で、都合も良く、「夢千代日記」という演目も、惹かれるものがありました。
「夢千代日記」は、かつてNHKで放送された、早坂暁作、深町幸男演出、吉永小百合主演の連続ドラマとしてご存じの方も多いことでしょう。
NHKアーカイブスにこんなページがありました。

あらましの一部を抜粋して引用します。

山陰のひなびた温泉町で、亡き母の後を継いで芸者の置き屋・はる家を営む夢千代。広島での胎内被爆という宿命を背負いながらも、ひたむきに生きている。夢千代が毎日つづる日記を、夢千代を演じた吉永自身が朗読し物語が展開していく。心優しい人と人との交流を、山陰の冬景色とともに叙情豊かに描いている。

作:早坂暁 音楽:武満徹 語り:吉永小百合

これをもとに劇団「前進座」が舞台化したのが、今回の作品でした。
「前進座」と言えば、1931年(昭和6)5月に、門閥制度を初めとする歌舞伎界の封建的な因習を改革し,民主的な組織と経理の公開,生活と密着した演劇活動などをめざして、中村翫右衛門(かんえもん)、中村亀松、河原崎長十郎らが中心となって設立した劇団でした。
設立当初から、伝統的な歌舞伎作品のみならず、時代を活写した新劇作品を含む新しい大衆劇を目指した同劇団の演劇活動には、プロレタリア演劇の村山知義(ともよし)らや、築地小劇場をひらいた土方与志(ひじかたよし)らも、参加・協力しています。
以後、戦前、戦中、戦後の風雪の歴史は、この「前進座の歩み」の記事に詳しく紹介されています。
また、劇団「前進座」のWEBサイトはこちら、夢千代日記についての紹介はこちらです。

山陰の山あいの、さびれた「湯の里温泉」にある芸者の置屋「はる家」が、この劇の舞台です。
「余部(あまるべ)鉄橋を越えたあたり」と語る冒頭のナレーションに、ふと、あの1986年の余部鉄橋列車転落事故を思い出しました。

中根康弘内閣が推し進めた「国鉄分割民営化」の動きのさなかに起こった、余部鉄橋事故は、安全よりも儲けを優先する「臨調行革」路線の国民犠牲の本性を象徴する事故として記憶に刻まれています。
調べてみますと、NHKで吉永小百合さん主演のドラマが放映されたのは、
    夢千代日記:1981年2月15日 ‐3月15日放送、全5話
    続 夢千代日記:1982年1月17日 ‐2月14日放送、全5話
    新 夢千代日記:1984年1月15日 ‐3月18日放送、全10話
でした。
このドラマを見ていた当時は、鄙びて美しい余部鉄橋が、大惨事の現場になろうなどとは思いも寄らないことだったわけです。

舞台の感想を、「ネタバレ」すれすれで、箇条書きします。
①「はる家」で繰り広げられる人間模様。シリアスかつ軽妙。大衆演劇の興業シーン、ノリノリで楽しい。
②神戸から、山陰に進出しようとするヤクザ、リーダー格の沼田の過去は?
ピカは、カタギをも極道をも隔てなく襲う。
③賄いのスミ(杉岡スミ)の過去。満州からの引き上げ時に、夫は自決し、二人の子どもを殺して自分も自決しようとしたが、、、、。
④芸者「金魚」と、娘「アコ」の過去。生みの親を名乗る電話にが引き起こす波紋。
⑤記憶喪失の男「マコト」の過去。忘れたい過去、故に記憶喪失に。

夢千代の過去。身重の母がピカに遭った直後、夢千代を生んだ。被爆者であることを人に隠し続けた母は、被爆者手帳を取得しないまま死亡。夢千代も、体調悪化。被爆者手帳があれば医療費の援助が得られる。しかし、被爆者であることを証明するために、二人の承認が必要。母の被爆を証言してくれる人は?

ところで、この舞台には、もう一つ関心事がありました。
俳優の柳生啓介さんが出演するという情報を知っていました。
柳生啓介さんは、倉敷市の児島高校の出身で、高校生時代の彼を見知っている方も、周囲には複数おられます。その縁で、県内の高校生たちに講演(公演ではなくスピーチの方です)をしてくださったこともあり、私も拝聴の機会を得ました。
また、2005年には知覧基地から特攻出撃する陸軍航空隊の実話に取材した「今日われ生きてあり」の全国公演の一環として、岡山でも公演があり、主人公千田伍長を演じられました。
というわけで、若かりし日の容貌は目に浮かぶのですが、それに経年相応の上乗せ変換を加えた上で、舞台上のどの役が柳生さんか?と思いながら、確信は持てずにいたのでした。

舞台が終わり、カーテンコールの際、当地出身俳優ということで改めて紹介されました。中国残留孤児、王永春役でした。それは、私が内心推定していた通りで、ちょっとすっきりしました。
観劇中、涙が抑えられず、「むせぶ」という語の語義通り、咳きがとまらなくなった場面の第一でした。

感想③で触れた、賄いのスミさんが、中国からの引き上げの際に、喉を刺して殺したはずの五歳の長男「マサオ」が、残留孤児として生きのびていたというのです。手がかりになるのは、「マー坊」という呼び名と、母に教えられたという唱歌と、喉に残る傷だけ。痛ましいエピソードです。
この役は、NHK『新夢千代日記』では、せんだみつおさんが演じたそうですね。
ネット検索で、この場面を取り上げた日中友好新聞の記事(2010年)を見つけましたので、紹介しておきます。

 

今日の散歩は短時間で切り上げました。
会えたのはキジバトとヒヨドリだけ。

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ではまた。

 


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