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あ-またこの2月の月が来た、の巻 [私の切り抜き帳]

2月になりました。

2月が来ると、この一節が思い出されます。

あー またこの二月の月か きた

ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる

めかねかくもる


プロレタリア作家、小林多喜二の母小林セキさんの遺品の中から、見つかったどたどしい鉛筆書きの、一枚の紙片に書き込まれていた文章です。



去年の2月20日、「多喜二忌」に書いたこんな記事を再掲しておきます。

ところで、意に染まぬものを強圧によって押しつぶし排除しようとする権力が、歯止めを失って暴走する時、どんな信じられないことが起こりうるかということを、今日の地元紙「山陽新聞」のコラム「滴一滴」を読んで、考えさせられました。
〈ああ、またこの二月の月が来た/本当にこの二月という月が嫌な月/声を一杯に泣きたい/どこへ行っても泣かれない/ああ、でもラジオで少し助かる/ああ、涙が出る/眼鏡がくもる〉▼29歳で非業の死を遂げた息子を思い、母が書き残した詩だ。作者は小林セキ。「蟹(かに)工船」で知られる作家小林多喜二の母である▼プロレタリア文学の旗手と呼ばれた多喜二は、1933年2月20日、東京で特高警察に捕まり、拷問を受けて絶命した。治安維持法のもと、思想や言論を理由に拘束され、命まで奪われた。この国で、82年前に起きた出来事だ▼多喜二と親交のあった作家志賀直哉がセキにお悔やみの手紙を送っている。「不自然な御死去の様子を考え、アンタンたる気持ちになります」。まさに暗澹(あんたん)たる時代だった。その年、日本は国際連盟を脱退し、ドイツではヒトラー政権が誕生した。世界は戦争へと向かった▼終戦まで、遺族は多喜二の名前すら口にできずに耐え忍んだ。戦後、セキが語っている。「思想も、言論も、出版も、結社もすべて自由になって…何というありがたいことでしょう」(「母の語る小林多喜二」新日本出版社)▼戦後70年。多喜二の名前は知っていても、その最期を知らない人は多いのではないか。時代を決して後戻りさせてはならない。心に刻む多喜二忌である。 

私のブログでも、去年のこの記事で、これに触れ、昭和の終わりの頃、昭和天皇の「大喪」が話題になっていた頃に、私が高校生向けに書いた学級通信を引用しました。


「凍雪(いてゆき)のなお屋根覆う多喜二忌か」と題するこの記事、その日を2月20日だと思い込んで、2月10日付で書いたというのは、オソマツ至極でした。
長くなりますが、再度一部を引用しておきます。

あー またこの二月の月か きた

ほんとうに この二月とゆ月
いやな月 こいを いパいに
なきたい どこい いても なかれ
ない あー ても ラチオで
しこし たしかる
あー なみたか てる
めかねかくもる 


 一九六一年、八八才で亡くなった小林セキさんの遺品の中から、上のようなたどたどしい鉛筆がきの、一枚の紙片が見付かった。解読すると、次のような意味になるのだろう。


ああ、またこの二月の月が来た
本当に、この二月という月が、
いやな月、声を一杯に泣きたい
どこへ行っても泣かれない
ああ、でも、ラジオで 少し助かる
ああ、涙が出る
眼鏡が曇る

 小林セキさんとは、「蟹工船」などで知られるプロレタリア作家、小林多喜二のお母さんだ。読み書きのできない小作農の娘として育ったセキさんは、五七才
の手習いで、「いろは」から字を習い始めたという。一九三〇年“治安維持法違反”で投獄された我が子・多喜二に、自分で手紙を書きたい一心で。
 翌三一年、出獄後に書いた作品「独房」の中で、多喜二は、主人公にこう語らせている。
 



「俺達はどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、ほれてはならないそうだ。月を見ても、もの思いにふけってはいけないそう
だ。母親のことを考えてメソメソしてもならないそうだーーー人はそういう。だが、この母親は、俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜を
買っておいて、今日は帰って来る、明日は帰って来るといって、食べたがる弟や妹にも手をつけさせないで、しまいにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺はここへ来てから、そのことを小さい妹の、仮名交じりの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声を立てずに泣いていた。」



 治安維持法を振りかざす天皇制政府・軍隊・警察権力は、「国体」の変革、すなわち絶対主義天皇制から民主主義への変革の志向を“最悪の罪”とみなして、死刑を含む重刑と凶悪なリンチによっていっさいの民主的・進歩的運動と言論の封殺をはかった。(そして、その歩みの先には、無謀な侵略戦争が待ち受けていた。)


 この弾圧を逃れるため、地下活動(非公然活動)に入って執筆活動を続けていた多喜二は、詩人今村恒夫と共に特高警察に捕らえられた。そして、激しい拷問によってその日のうちに殺害され、変わり果てた姿となって母親と再会することになった。一九三三年二月二〇日のことだった。  



検察当局は、死因を心臓麻痺と発表。遺体の解剖を妨害し、二二日の通夜、二三日の告別式の参会者を片端から検束し、火葬場まで警戒を解かなかった。通夜に供えの花をもって行き杉並署に検束された作家・宮本百合子は、「(小林多喜二のところへ来た人達で)留置場は一杯になっていた。少なくとも、女の室は満員だった」と記している。 遺体のひきとりから葬儀の一部始終に立ち会った作家.、江口渙は、通夜の席でのお母さんの姿を、次のように書きとどめている。
 「こみあげてくる悲しさに耐え切れなくなったものか、お母さんは、小林の顔や髪になおも涙を落としながら、抑えきれない心の悲しみを、とうとう言葉に出して訴える。



 『ああ、痛ましや。痛ましや。心臓麻痺で死んだなんて嘘だでや、子供のときからあんなに泳ぎが上手でいただべにーーーー心臓麻痺なんて、嘘だでや。嘘だでや。絞め殺しただ。警察のやつが絞め殺しただ。絞められて、いきがつまって死んでいくのが、どんなに苦しかっただべか。いきのつまるのが、いきのつまるのがーーーああ痛ましや。』
 お母さんはなおも小林多喜二のからだを抱きかかえてはゆさぶり、また揺さぶっては抱きかかえる。そして、あとからあとからあふれでる涙に顔を一面ぬらしながら同じ言葉を訴えていたが、突然、
 『これ。あんちゃん。もう一度立てえ!皆さんの見ている前でもう一度立てえ!立って見せろ』と前身の力をふりしぼるような声でさけんだ」

 それから、三十年近くも、毎年毎年、二月が来るたびに、眼鏡を曇らせて悲しみにくれた老母の無念を、私は思わずにはいられない。ああ、またこの二月の月が来た。
 奇しくも今年の二月、しかも多喜二忌の直後に、昭和天皇の「大喪」とやらが、百億円の巨費を投じて国家的行事として催されると言う。数十万人にのぼる治安維持法犠牲者、そして、無数の多喜二の母たちにとっては、複雑な思いの二月となることだろう。


ついでですから、上の記事で話題にした、一昨年の2月10日付けの「凍雪(いてゆき)のなお屋根覆う多喜二忌か」と題する記事の一部分も、再掲しておきます。


さて、今日2月20日は、多喜二忌。(訂正、今日に日付を勘違いしていました、汗汗!)


去年の京都新聞2月21日付記事を引用します。


 「おい地獄さ行ぐんだで!」。数年前ブームになった小説「蟹工船」の冒頭だ。きのうは作者小林多喜二が29歳で没して80年の命日だった▼虐殺だった。非合法の共産党に加わっていた多喜二は特高警察に捕まって拷問を受け、亡くなった。変わり果てた遺体の胸をなでながら老母は「どこら息つまった。何も殺さないでもええことウ」と泣いたという▼国会議事録を調べると、宇治市出身の衆院議員山本宣治が多喜二が死ぬ5年前、国会で思想犯に対する違法な拷問を追及している。しかし政府は「断じてこれ無し」と否定した。山宣自身は翌年、右翼に暗殺された▼多喜二の遺体は山宣のいとこの医師安田徳太郎が検視した。「死因は心臓発作」という当局のうそを暴こうと同志たちは大学病院に解剖を依頼したが、圧力で断られた。弔問客は片端から逮捕された▼作家松本清張は「時代を象徴した死」と評した。この年、日本は国際連盟を脱退し、京都大で滝川事件があった。治安維持法違反で拘束され、死亡した人は約1700人という。多喜二が受けたすさまじい暴力とこの数字を見合わせたとき背筋が冷たくなる▼21歳のとき恋人に宛てた手紙の一節はいう。「闇があるから光がある」。無数の犠牲の上に自由と人権が保障された今の世がある。蟹工船を再読しつつ、光のありがたさをかみしめる。 [京都新聞 2013年02月21日掲載]

多喜二のお母さん、小林セキさんは、多喜二の代表作の一つ「党生活者」にも、特高警察に追われる愛息を心配して思いやる純朴な、等身大 の老母として登場し、そのいいじらしさ、けなげさ、気丈さが涙をさそいます。

また、三浦綾子さんの「母」という作品も、このセキさんの目を借りて、多喜二を、そして彼が生きた時代を描いた佳作です。

母 (角川文庫)














「母の語る小林多喜二」(小林セキ述、小林廣編、荻野富士夫解説 新日本出版社)も胸を打ちます。


母の語る小林多喜二

母の語る小林多喜二



  • 作者: 小林 セキ

  • 出版社/メーカー: 新日本出版社

  • 発売日: 2011/07

  • メディア: 単行本






今日の附録は、三浦綾子さんの「母」からの切り抜き帳です。

母 (角川文庫)

母 (角川文庫)

  • 作者: 三浦 綾子
  • 出版社/メーカー: 角川書店
  • 発売日: 1996/06
  • メディア: 文庫

「なあ母さん、花でも海でも、空でもな、この世のものは、みんな生きたがっている。その生きたがっているものを殺すことは、一番悪いことだ。虫でもトンボ
でも、犬でも人でもみんな生きたがっている。絵を書いていると、それがよくわかる。人間の手では、なかなか命のあるもんは、描けんのねえ」

 

わだしはこの世の理屈はわかんない。多喜二がどんなことを考えていたか、よくわかんない。けど、あんなにむごたらしい死に方をしなければなんないほど、それほど悪党だとは、どうしても思えない。悪党がひどい目にあって死ぬんならしようがない。自業自得ってやつだからな。
  けど、朝に夕に、わだしのような母親に優しい声ばかけて、死ぬまで家族の生活費のことば心配してくれた多真二が、あん目にあわんでもいいべ。いったい、誰 が多真二をあんな目にあわせていいと言ったのか、わだしは知りたかった。それが神さまだば、わだしは神さまなどいらない。絶対にいらない。
 毎日、そんなこと思って、神も仏もあるもんかと泣いてたから、前掛けもすぐにぐしやぐしやにぬれて……今でもあの涙にぬれた木綿の前垂れの手ざわりが思い出される。
「神も仏もいるもんか」 と言ったわだしだども、わだしは小さい時から、神さま仏さまにはよく手を合わせた人間だった。わだしのおっかさんは、よくわだしに言って聞かせたもんだ。
「おセキ、日本にはな、やおよろずの神さまがおいでになってな。便所には便所の神さま、かまどにはかまどの神さま、山には山の神さま、海には海の神さま、どつち向いたって神さまばかりだ。粗相のないように、鳥居の前では必ず手を合わせたり、お辞儀をするもんだ」


「きようも警察にあと尾(つ)けられた」
「きようも警察、おれば尾けて来た。 おれ靴のひもば結ぶふりしてしゃがんでると、向こうも小路さなんかに姿隠している」
 って言ってね。
「いやな世の中になった。 陰気な世の中になった。あと尾けるほうもこそこそなら、尾けられるほうもこそこそだ」
 って言ってたのは、あのストライキ終わってからでなかったべか。でも多喜二は、
「母さん、おれはね、みんなが公平に、仲よく暮らせる世の中を夢みて働いているんだ。小説ば書いてるんだ。ストライキの手伝いしてるんだ。恥ずかしいことは何一つしてないからね。
結婚するまでは、タミちゃんにだって決して手ば出さんし‥‥だから、おれのすることを信じてくれ」
 そう言ってね、わだしが、
「多喜二のすること信用しないで、誰のすること信用するべ」
 って言ったら、うれしそうに笑っていた。



そうそう、大事なこと言い忘れるところだった。この年の春にね、はい昭和四年の春にね、警察に引っ張られた。ま、考えてみれば、銀行としては秋まで置いてくれたわけだから、 多喜二の働きぶりは見ていたんだべ。惜しい男だと、上の人らが言っていたって、後から誰かがわだしに教えてくれたことがあった。
多喜二が死んで、戦争が負けて、今頃になってから思い出す多喜二の言葉がある。警察にいつだらかっだら尾行されていた多喜二は、いつの夜だったか、わだしにしみしみ言ったたことがあつた。
「おれな、母さん、おれはいつの間にか、ずいぶんと有名な小説家になったけど、内心びくびくしてるんだ。いろいろなことがわかればわかるほど、権力って恐ろしいもんだと、背中がざわざわすることがある。これ見てくれ、おれのこの小説、××がたくさんついてるだろう。これは金持ち側から言わせると、書いて欲しくない言葉が並んでるからだよ。今の時代に、××の多い小説ほど、いい小説だっていう証拠なんだがねえ。こないだは、おれの小説の『蟹工船』が、東京の帝劇で大評判を取った。けどな、評判が立てば立つほど尾行がきびしくなって、もう小説書くの、どうしようかって思うことがある。でもな母さん、世の中っていうのは、一時(いっとき)だって同じままでいることはないんだよ。世の中は必ず変わっていくもんだ。悪く変わるか、よく変わるかはわからんけど、変わるもんだよ母さん。そう思うとおれは、よく変わるようにと思って、体張ってでも小説書かにゃあと思うんだ」
 多喜二はそう言ったの。わだしは何もわからんども、なるほど多喜二の言ったとおり、ずいぶんと世の中変わったもんだと、つくづくと多喜二の言葉を思い出すことがあるの。 メーデーなんかもおおっびらにできるようになったもんねえ。
賃上闘争だってできるようになったもんね。

これな、ほんとは近藤先生にだけは見せたんだ。したらな、先生、なんも言わんで、海のほうば見ているの。五分も十分も黙ってるの。(先生、何か気にさわったべか)と思ったら、先生の口、ひくひくしてるの。そしてな、持って来たでっかい聖書ひらいて、「お母さん、ここにこう書いていますよ。『イエス涙を流し給う』ってね」先生そう言って、声は殺して泣いてくれたの。わだしは、「イエス涙を流し給う」って言葉、何べんも何べんも、あれから思ってる。イエス様はみんなのために泣いてくれる。こったらわだしのために泣いてくれる。下手なもの書いたと思ったけど、そう思ったら破るわけにもいかんの。
いや、長いこと喋ったな。ほんとにありがとさんでした。
いや、ありがとさんでした。
おや、きれいな夕映えだこと。海にも夕映えの色がうつって・・・。

 



今日アルバイトからかえってみると、家が空っぽで、妊婦さんもお出かけのようです。暫く待っても帰ってこないので、一人で散歩に出かけました。携行カメラは、pentaxk01+kenko ミラーレンズ 500mm。

 





PENTAX デジタル一眼カメラ K-01 ボディ ホワイト/ブラック K-01BODY WH/BK

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  • 出版社/メーカー: ペンタックス
  • メディア: Camera

遠くにカワセミがいました。



トリミングしてみます。































マニュアルフォーカスですので、老眼のせいもあって、ピント合わせに苦労します。

MFアシストという機能のお世話になっています。

アオサギの大きさだと、トリミングなしでもこのぐらいに写ります。





近くの鳥は、かなりクローズアップ撮影が可能です。
いずれもノートリミングです。



ジョウビタキクローズアップ

ジョウビタキクローズアップ posted by (C)kazg

ジョウビタキクローズアップ

ジョウビタキクローズアップ posted by (C)kazg

木陰のモズ

木陰のモズ posted by (C)kazg

木陰のモズ
木陰のモズ posted by (C)kazg

木陰のモズ
木陰のモズ posted by (C)kazg

木陰のモズ
木陰のモズ posted by (C)kazg

今日はここまで。


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BrerRabbit

>いろんなことがわかればわかるほど権力は恐ろしいもんだと
だからみんな、わからないフリをするのかもしれませんね
それでもいいけど一票を投じる時にはフリはしないでほしいものです。
by BrerRabbit (2016-02-02 23:02) 

kazg

BrerRabbit様
まったくおっしゃるとおりと思います。
by kazg (2016-02-03 08:55) 

majyo

昨夜はこの記事を読み、感想をまとめられないので
失礼しましたが
今日、偶然に中野刑務所跡の公園へ行き
ここで多喜二や大杉栄が獄につながれた事を知りました
あまりの偶然に驚いています
多喜二のお母さんのことは、kazg さんの以前の記事からもわかりましたが
子を思う親の子持ちの一途さに打たれます
戦前がどんなに抑圧された時代なのか?
そしてその時代に逆行しているような現政権に
とても危惧しています
by majyo (2016-02-03 20:53) 

kazg

majyo様
貴ブログでご紹介下さった、「皇国の母」の手紙、これも正直な気持ちと感情を抑えに抑えて、「気丈」に振る舞っている様が痛々しいですね。思えば、今の私などの年齢よりはるかに若いお母さんでしょうに。
by kazg (2016-02-04 00:14) 

momotaro

多喜二さんも、その母も日本人、特高警察も日本人です。
仮に日本人でなくとも、意見が違うだけで拷問から死に至らしめるとは、乱暴なこと、人間性の欠けたことです。それを善しとする血が流れている人は、重々、その野蛮性を認めて改めて欲しいと思います。
by momotaro (2016-02-05 22:39) 

kazg

momotaro 様
「国賊」というレッテル貼り、「主義者」「アカ」というレッテル貼り、それだけでもう、「てめえら人間じゃねえ」と決めつけ、フリーハンドを得ることができる心理のマジック。これは、限られた時代のことではないかも知れませんね。

by kazg (2016-02-06 03:35) 

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