トチメンボーの正体知って面食らう、の巻 [折々散歩]
昨日消失した記事の復元をはかります。何とも気鬱な作業です。
私の「知ったかブログ」の常で、今日の記事も「アンダーコントロール」を逸脱して大いに迷走しそうです。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に、美学者・迷亭という人物が登場します。先日のこの記事否と言えぬ女ごころに咎ありやでもご紹介したとおり、漱石の学生時代からの友人大塚保治がモデルだといわれます。漱石の心のマドンナか?といわれる
大塚楠緒子の夫でした。
「天災は忘れた頃にやってくる」という警句で知られる物理学者寺田寅彦(災難は忘れた頃か秋の雨参照)がモデルだという水島寒月君が苦沙弥(くしゃみ)先生を最初に訪ねた際、迷亭サンの話題で話が弾みます。迷亭サンから西洋料理店に昼食を誘われた時のこと。
西洋通を気取る迷亭サンは、ひとしきり「見て来たようになめくじのソップの御話や蛙のシチュの形容」を披瀝した後、
という次第に相成ります。
メンチボーとは、メンチボール、今でいうミートボールのことでしょうか?困り果てたボーイは、「真に御生憎(おあいにく)で、御誂(おあつらえ)ならこしらえますが少々時間がかかります」とやんわり断りたいところですが、迷亭サンなおもトチメンボーに固執します。
落語の「酢豆腐」(上方では「とてちりてん」)は、物知り顔の知ったかぶりをからかって楽しもうという趣向ですが、トチメンボーでからかわれたこちらのボーイはお気の毒です。
読むたびに印象に残るシーンで、「トチメンボー」という不思議な響きが記憶に焼き付きますが、「トチメンボー」の正体は同意もよくわかりません。
辞書に「栃(橡)麺棒」と漢字が示してあるのを見、また巨樹となるトチノキの存在を知るにつけ、ああ、この材で作った麺棒だろうかと納得した気になっておりました。素人の横好きで、うどんや蕎麦をこねた後、麺棒でのばす作業などを経験する折などに、この「トチメンボー」をふと思い出したりなどしておりました。
ところで、先日の若杉原生林にも、トチノキが大きくそびえておりました。
手ぶれで表示板の文字が読めませんが、太い幹です。
特徴のある巨大な葉。
案内役のサブローさんが、葉の形がよく似たホオノキとの見分け方を教えてくださいました。
森にはホオノキも高くそびえています。
葉の写真を写しそびれていました。
過去記事いかな夢見つつ眠るや森蛙から、葉の写真をコピーしておきます。
yahoo知恵袋のこのページにトチノキとホオノキとの見分け方がでています。
どちらも天狗のウチワのようなよく似た巨大な葉を持っていますが、一言で言うと、トチノキの葉は「掌状複葉(しょうじょうふくよう)」と呼ばれ、小さな葉が集まって、てのひらのような一つの葉を形成しているため、数枚の小葉の付け根は1カ所に集まっているのに対して、ホオノキは、複数の葉が集まっててのひらのような形にみえるだけなので、それぞれの葉の付け根は微妙に位置がずれているとことです。(この記事参照)
ホオノキは、モクレン科の高木で、この季節、モクレンのような白い花を咲かせるそうです。現に、風向きのよって森に、モクレンのような甘い香りがほんのり漂います。見上げると、梢の高みに白い花が咲いているのが見えますし、足下に白い花片が落ちているのも見つかります。この花片も濃い芳香がありました。
写真を撮ることを忘れていましたので、古い記事から、よく似たモクレン科の花の写真を転載します。
今日は梅雨の晴れ間のそぞろ歩きを狙って、玉野市深山公園を一歩きしてきました。思いがけず、冬には渡り鳥の群れが大勢やってくる赤松池の畔の駐車場のぞばに、タイサンボクの大木が花をつけていました。
白い花の様子もそっくりで、漂う芳香は、森の中で嗅いだホオの花の香りと確かに似ています。でも、葉の形は、やはり異なるようです。
ホオの葉は、朴葉味噌や朴葉寿司、朴葉餅などの郷土食で知られるとおり、独特のかぐわしさに含まれる成分に菌作用もあるそうです。
一方のトチノキの方はその栗やドングリに似た実が、トチ餅などとして食用に供されます。
以前こんな記事を書きました。
ここにでてくる芧(ちょ)は、本によってはドングリと訳しているものもありますが、どうやらトチの実のことらしい。
ウィキペディアにはこうありました。
さらに、決定的な記述が続きます。
「トチメンボー」とは、トチノキで作った麺棒ではなく、栃麺をのばすための麺棒だったのでした。
ところで、迷亭サンの洋食店での悪戯には、こんなオチが用意されています。
なぜ笑えるのか、全くわかりませんでした。
つい最近、安藤橡麺坊という俳人がいたこと知り、やっと合点がいきました。しかも岡山県の出身でした。
「吉備路文学館」のHPにこんな紹介がありました。
私の「知ったかブログ」の常で、今日の記事も「アンダーコントロール」を逸脱して大いに迷走しそうです。
夏目漱石の『吾輩は猫である』に、美学者・迷亭という人物が登場します。先日のこの記事否と言えぬ女ごころに咎ありやでもご紹介したとおり、漱石の学生時代からの友人大塚保治がモデルだといわれます。漱石の心のマドンナか?といわれる
大塚楠緒子の夫でした。
「天災は忘れた頃にやってくる」という警句で知られる物理学者寺田寅彦(災難は忘れた頃か秋の雨参照)がモデルだという水島寒月君が苦沙弥(くしゃみ)先生を最初に訪ねた際、迷亭サンの話題で話が弾みます。迷亭サンから西洋料理店に昼食を誘われた時のこと。
「へへー。君何か変ったものを食おうじゃないかとおっしゃるので」「何を食いました」「まず献立を見ながらいろいろ料理についての御話しがありました」「誂らえない前にですか」「ええ」「それから」「それから首を捻ってボイの方を御覧になって、どうも変ったものもないようだなとおっしゃるとボイは負けぬ気で鴨のロースか小牛のチャップなどは如何ですと云うと、先生は、そんな月並を食いにわざわざここまで来やしないとおっしゃるんで、ボイは月並という意味が分らんものですから妙な顔をして黙っていましたよ」「そうでしょう」「それから私の方を御向きになって、君仏蘭西や英吉利へ行くと随分天明調や万葉調が食えるんだが、日本じゃどこへ行ったって版で圧したようで、どうも西洋料理へ這入る気がしないと云うような大気焰--- |
「それから、とてもなめくじや蛙は食おうっても食えやしないから、まあトチメンボーくらいなところで負けとく事にしようじゃないか君と御相談なさるものですから、私はつい何の気なしに、それがいいでしょう、といってしまったので」 |
「それからボイにおいトチメンボーを二人前持って来いというと、ボイがメンチボーですかと聞き直しましたが、先生はますます真面目な貌でメンチボーじゃないトチメンボーだと訂正されました」「なある。そのトチメンボーという料理は一体あるんですか」「さあ私も少しおかしいとは思いましたがいかにも先生が沈着であるし、その上あの通りの西洋通でいらっしゃるし、ことにその時は洋行なすったものと信じ切っていたものですから、私も口を添えてトチメンボーだトチメンボーだとボイに教えてやりました」「ボイはどうしました」「ボイがね、今考えると実に滑稽なんですがね、しばらく思案していましてね、はなはだ御気の毒様ですが今日はトチメンボーは御生憎様でメンチボーなら御二人前すぐに出来ますと云うと、先生は非常に残念な様子で、それじゃせっかくここまで来た甲斐がない。どうかトチメンボーを都合して食わせてもらう訳には行くまいかと、ボイに二十銭銀貨をやられると、ボイはそれではともかくも料理番と相談して参りましょうと奥へ行きましたよ」 |
「するとボイがまた出て来て、近頃はトチメンボーの材料が払底で亀屋へ行っても横浜の十五番へ行っても買われませんから当分の間は御生憎様でと気の毒そうに云うと、先生はそりゃ困ったな、せっかく来たのになあと私の方を御覧になってしきりに繰り返さるるので、私も黙っている訳にも参りませんから、どうも遺憾ですな、遺憾極るですなと調子を合せたのです」 |
読むたびに印象に残るシーンで、「トチメンボー」という不思議な響きが記憶に焼き付きますが、「トチメンボー」の正体は同意もよくわかりません。
辞書に「栃(橡)麺棒」と漢字が示してあるのを見、また巨樹となるトチノキの存在を知るにつけ、ああ、この材で作った麺棒だろうかと納得した気になっておりました。素人の横好きで、うどんや蕎麦をこねた後、麺棒でのばす作業などを経験する折などに、この「トチメンボー」をふと思い出したりなどしておりました。
ところで、先日の若杉原生林にも、トチノキが大きくそびえておりました。
手ぶれで表示板の文字が読めませんが、太い幹です。
特徴のある巨大な葉。
案内役のサブローさんが、葉の形がよく似たホオノキとの見分け方を教えてくださいました。
森にはホオノキも高くそびえています。
葉の写真を写しそびれていました。
過去記事いかな夢見つつ眠るや森蛙から、葉の写真をコピーしておきます。
yahoo知恵袋のこのページにトチノキとホオノキとの見分け方がでています。
ホオノキ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%82%AA%E3%83%8E%E3%82%AD トチノキ http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%8E%E3%82%AD 違い http://www.shizen-taiken.com/mhayashi/20030801.html |
ホオノキは、モクレン科の高木で、この季節、モクレンのような白い花を咲かせるそうです。現に、風向きのよって森に、モクレンのような甘い香りがほんのり漂います。見上げると、梢の高みに白い花が咲いているのが見えますし、足下に白い花片が落ちているのも見つかります。この花片も濃い芳香がありました。
写真を撮ることを忘れていましたので、古い記事から、よく似たモクレン科の花の写真を転載します。
今日は梅雨の晴れ間のそぞろ歩きを狙って、玉野市深山公園を一歩きしてきました。思いがけず、冬には渡り鳥の群れが大勢やってくる赤松池の畔の駐車場のぞばに、タイサンボクの大木が花をつけていました。
白い花の様子もそっくりで、漂う芳香は、森の中で嗅いだホオの花の香りと確かに似ています。でも、葉の形は、やはり異なるようです。
ホオの葉は、朴葉味噌や朴葉寿司、朴葉餅などの郷土食で知られるとおり、独特のかぐわしさに含まれる成分に菌作用もあるそうです。
一方のトチノキの方はその栗やドングリに似た実が、トチ餅などとして食用に供されます。
以前こんな記事を書きました。
朝A暮B ところで「朝A暮B」には、もう一つ有力な答えを思いつきます。 A:三 B:四 「朝三暮四」ですね。 『列子』にある故事です。 【原文】 宋有狙公者。愛狙、養之成群。能解狙之意、狙亦得公之心。損其家口、充狙之欲。 俄而匱焉。将限其食。恐衆狙之不馴於己也、先誑之曰、与若芧、朝三而暮四、足乎。衆狙皆起而怒。俄而曰、与若芧、朝四而暮三、足乎。衆狙皆伏而喜。 【書き下し】 宋(そう)に狙公(そこう)なる者有り。狙(そ)を愛し、之(これ)を養ひて群れを成す。能(よ)く狙の意を解し、狙も亦(また)公の心を得たり。其の家口(かこう)を損じて、狙の欲を充(み)たす。 俄(にわ)かにして匱(とぼ)し。将(まさ)に其の食を限らんとす。衆狙(しゅうそ)の己(おのれ)に馴(な)れざらんことを恐るるや、先づ之を誑(あざむ)きて曰はく、若(なんぢ)に芧(ちょ)を与ふるに、朝に三にして暮に四にせん、足るかと。衆狙皆起(た)ちて怒る。俄かにして曰はく、若に芧を与ふるに、朝に四にして暮に三にせん、足るかと。衆狙皆伏して喜ぶ。 【地方語訳】 むかし、中国の宗(そう)ゆう国に、「猿おっつあん」ゆうもんがおったんじゃ。そのおっつあんは、猿が大好(でえす)きで、猿を群れで飼うとったんじゃ。 おっつあんは猿のこころがわかり、猿もおっつあんの気持ちを理解しとった。おっつあんは自分の食い物を我慢してでも、猿が満足するよう食わせとったんじゃ。 けど、おっつあんは、急に貧乏になってしもうた。で、猿の餌を節約しようと思うたんじゃ。 それがもとで猿がなつかんようになっちゃあ弱ると心配して、まず、猿にゆうたんじゃ。 「お前らあにトチの実をやるのに、朝三つ、夕方四つやったら足るか?」 猿の群れは、みんな立ちあがって怒ったんじゃ。 せえで、おっつあんは、急に、「そんなら、お前らあにトチの実をやるのに、朝四つ、夕方三つやったら足るか?」 猿の群れは、みんな、ひれ伏して喜んだんじゃと。 おしまい。 まあ。こんなお話ですかね。 狙公には同情の余地もあり、お猿相手のその知恵は、かわいげがあって憎めませんが、同じようなことが国民に通じると思われてはかなわんのですよ。アベさん。 「消費税、今10パーセントに増額するがどうか?」国民は立ち上がって怒った。 「それでは、今増額することは取りやめて、日延べして実施するがどうか?」国民は、頭を地面にこすりつけて喜んだ。 ナンテ事になると思ったのなら、馬鹿にしすぎじゃありません? |
ウィキペディアにはこうありました。
種子はデンプンやタンパク質を多く含み、「栃の実」として渋抜きして食用になる。食用の歴史は古く、縄文時代の遺跡からも出土している。渋抜きはコナラやミズナラなどの果実(ドングリ)よりも手間がかかり、長期間流水に浸す、大量の灰汁で煮るなど高度な技術が必要だが、かつては耕地に恵まれない山村ではヒエやドングリと共に主食の一角を成し、常食しない地域でも飢饉の際の食料(救荒作物)として重宝され、天井裏に備蓄しておく民家もあった。積雪量が多く、稲作が難しい中部地方の山岳地帯では、盛んにトチの実の採取、保存が行われていた。そのために森林の伐採の時にもトチノキは保護され、私有の山林であってもトチノキの勝手な伐採を禁じていた藩もある。また、各地に残る「栃谷」や「栃ノ谷」などの地名も、食用植物として重視されていたことの証拠と言えよう。山村の食糧事情が好転した現在では、食料としての役目を終えたトチノキは伐採され木材とされる一方で、渋抜きしたトチの実をもち米と共に搗いた栃餅(とちもち)が現在でも郷土食として受け継がれ、土産物にもなっている。 |
粉にひいたトチの実を麺棒で伸ばしてつくる栃麺は、固まりやすく迅速に作業しなければならないことから、慌てること、また慌て者のことを栃麺棒と呼ぶようになり、「栃麺棒を食らう」が略されて「面食らう」という動詞が出来たとされている。栃麺棒は慌て者を意味する「とちめく坊」の当て字 とする異論もある。 |
ところで、迷亭サンの洋食店での悪戯には、こんなオチが用意されています。
「するとボイも気の毒だと見えて、その内材料が参りましたら、どうか願いますってんでしょう。先生が材料は何を使うかねと問われるとボイはへへへへと 笑って返事をしないんです。材料は日本派の俳人だろうと先生が押し返して聞くとボイはへえさようで、それだものだから近頃は横浜へ行っても買われませんの で、まことにお気の毒様と云いましたよ」「アハハハそれが落ちなんですか、こりゃ面白い」と主人はいつになく大きな声で笑う。膝(ひざ)が揺れて吾輩は落ちかかる。主人はそれにも頓着(とんじゃく)なく笑う。 |
つい最近、安藤橡麺坊という俳人がいたこと知り、やっと合点がいきました。しかも岡山県の出身でした。
「吉備路文学館」のHPにこんな紹介がありました。
安藤橡面坊 あんどう とちめんぼう(本名:練三郎) 生没日 明治2(1869)~大正3(1914) ジャンル 俳人 出身地 笠岡市 明治30年大阪毎日新聞社に入社。俳句は虚子選「国民新聞」の俳句欄をみて作る。句風は伝統的「日本」俳句を尊重し温厚。漢籍に通じ境地は広く、謙虚でかつ豪放で古武士の面影があった。大阪毎日新聞俳壇担当のほか、「車百合」「宝船」「アラレ」などの選者。句集に亀田小姑の編纂した「深山柴」がある。 |
「材料は日本派の俳人だろう」のわけがやっとわかりました。
俳人橡面坊は、高浜虚子選の『国民新聞』、正岡子規選の『日本』等に投句することから俳句を始め、子規の俳句革新運動に加わり関西俳壇を盛り立てたそうです。一方漱石は、虚子の勧めに応じて『吾輩は猫である』を『ホトトギス』に連載しているわけで、いわば身内同士の「楽屋落ち」だったわけですね。
知らぬ事とはいえ、いやはや、面食らいました。
橡面坊の句を、手元の「近代文学注釈体系 近代俳句」(有精堂)から拾ってみます。子規編の『春夏秋冬』や、河東碧梧桐編の『続春夏秋冬』等に採られられた句です。(古い蔵書なのに見落としていました。)
灯(ひ)ともせば眠たき様の雛(ひいな)かな
ほったりと椿落ちけり水の紋
梶の葉の吹かるゝや歌の二面(ふたおもて)
物を喰う口臈(ろう)たしや嫁が君
炎天や琥珀(こはく)と光る松の脂(やに)
おもしろいことに、、漱石の句も並んで掲載されています。
ふるひよせて白魚(しらお)崩れんばかりなり
遣羽子(やりはご)や君稚児髷(ちごまげ)の黒目勝
注目すべき句かどうかは、私にはわかりません。
橡面坊の句集がネット書店で目にとまりました。
大阪の俳句 明治編〈9〉深山柴―安藤橡面坊句集 (大阪の俳句 明治編 9)
- 作者: 安藤 橡面坊
- 出版社/メーカー: ふらんす堂
- 発売日: 2015/02
- メディア: 単行本
今日はこれにて。
2016-06-20 16:56
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朝三暮四は、この政権になってからよく言われますね
バカにするんじゃないよ!と啖呵切りたくなります
増税延期ですか?、へへぇと頭など下げません
タイサンボクの白い花、かなり上に咲いています
よくきれいに撮られましたね
by majyo (2016-06-20 19:24)
タイサンボク、こちらでも結構咲いてます。^^
ハッカチョウ、結構いろんな所で見られてるよ〜
出会えるといいね。^^
by hatumi30331 (2016-06-20 19:57)
majyo 様
この政権は、基本的に国民をなめているのでしょうね。
タイサンボクは、樹高が高いので、どうしても見上げるかたちになりますね。ちょっと離れて、望遠で撮るのがいいのでしょうか。
by kazg (2016-06-21 07:37)
hatumi30331 様
タイサンボク、今が花季なのですね。遠くからでも、白い大きな花がよく目立ちます。
ハッカチョウ、、、恋い焦がれております〈笑)
by kazg (2016-06-21 07:40)
ウチの庭のタイサンボクも柑橘香を放っています。
道半ばとやらの何とかミクス。「ホシガリマセンカツマデハ」と同じ臭いです。
by Enrique (2016-06-22 19:32)
Enrique 様
タイサンボクの香り、濃密で甘美ですね。
何とかミクス、威勢のよいのは大本営発表にも似てますか。
by kazg (2016-06-22 21:58)