自民HP密告フォームと「二十四の瞳」、の巻(1) [時事]
「子どもたちを戦場に送るな」と聞いて真っ先に思い出すのは、高知の元教師竹本源治さんの「戦死せる教え児よ」の詩です。でも、探って見ると当ブログでもこんなに何回も紹介していますから、今日はこれには触れません。
◇だまされも だましもせぬと 誓うた日
また「子供を守るうた」(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)についても、◇だまされも だましもせぬと 誓うた日などの記事で話題にしましたので、今日は省きます。
今日は、壷井栄の「二十四の瞳」を思いだしてみました。
以前、この記事(◇もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol3) で、こんなことを書きました。
壷井栄の「二十四の瞳」は、「瀬戸内海べりの一寒村」の小学校(分教場)を舞台に、新人の女教師と十二人の子どもたちの交流を描きます。
物語のほぼ冒頭、岬の分教場に赴任したての大石先生が、初めて子どもたちの出席を取るシーンがあります。
十二人を、出席順に確認しておきます。
この子たちと大石先生が出会ったのは、尋常小学校一年生の時でした。すくすくと成長した彼らは、五年生になると本校に通うようになり、すでに本校勤めとなっていた大石先生と再会することになります。
そのころ、同僚の片岡先生が警察にひっぱられるという事件が起こります。近くの小学校の稲川先生が受け持ちの生徒に反戦思想をふきこんだとして捕らえられ、師範学校の同級生だった稲川先生が、参考人として取り調べられたというのです。
子どもたちと一緒に考えたり学んだりする姿勢は、危険思想だとして処罰の対象となり、「密告」が奨励される空気が学校現場をも包みます。こんなのどかな田舎村にも、戦争前夜の不穏な気配が忍び寄って来ているのです。
先を急ぎます。上の表の十二人の子どもたちのうち、名前の前に◎印をつけたのは、長いブランクののち、戦後、「助教」として教職に復帰した大石先生の「歓迎会」を開いてくれて、そこで無事再会できたメンバーです。
女の子七人のうち、一人が病死、一人が消息不明。男の子五人のうち三人は戦死。命ながらえた岡田磯吉(ソンキ)も、戦傷により両眼を失いました。十二人二十四の瞳が、七人、十二の瞳になってしまいました。
しかし、磯吉(ソンキ)の目には、小学校一年生の時、八km離れた大石先生の家を、子どもたちだけで歩いて訪ねた冒険の日、一本松の下で写した「記念写真」の情景がありありと焼き付いているのでした。
もう少し触れておきたいことがありますが、機会を改めてということにしましょう。
合歓の花。
下は二、三年前の撮影です。
アゲハがいました。
ベニシジミ。
キリギリスの仲間?
今日はこれにて。
◇だまされも だましもせぬと 誓うた日
また「子供を守るうた」(【作詞】上野博子【作曲】荒木栄)についても、◇だまされも だましもせぬと 誓うた日などの記事で話題にしましたので、今日は省きます。
今日は、壷井栄の「二十四の瞳」を思いだしてみました。
以前、この記事(◇もう一つの2013年問題 私の病気自慢その2 vol3) で、こんなことを書きました。
私たちの小学校は、とっくに廃校になっていますが、私たちの学年は、17人の一学級編成でした。「二十四の瞳」ならぬ「三十四」の瞳です。その、濃密で親密な少年時代が、私たちの人格形成の深い部分を支えていると、誰もが異口同音に述懐します。 この間、小中高を問わず、多くの学校が統廃合され、地域の文化の拠点がどんどん消滅し、子どもたちと故郷とのつながりも、どんどん希薄になってきていま す。予算削減・リストラ目的の統廃合だろうと質しますと、行政当局は、「少人数では活力がなくなるから」などとおっしゃいますが、私たちの少人数の学校は 豊かな活力を湛えていたように思いますがね。 |
物語のほぼ冒頭、岬の分教場に赴任したての大石先生が、初めて子どもたちの出席を取るシーンがあります。
「さ、みんな、じぶんの名まえをよばれたら、大きな声で返事するんですよ。 「岡田磯吉くん!」 せいの順にならんだのでいちばんまえの席にいたちびの岡田磯吉は、まっさきにじぶんがよばれたのも気おくれのしたもとであったが、生まれてはじめてクンといわれたことでもびっくりして、 返事がのどにつかえてしまった。 「岡田磯吉くん、いないんですか」 見まわすと、いちばんうしろの席の、ずぬけて大きな男の子が、びっくりするほど大声で、こたえた。 「いる」 「じゃあ、ハイって返事するのよ。岡田磯吉くん」 返事した子の顔を見ながら、その子の席へちかづいてゆくと、二年生がどっとわらいだした。 ほんものの岡田磯吉はこまってつっ立つている。 「ソンキよ、返事せえ」 きょうだいらしく、よくにた顔をした二年生の女の子が磯吉にむかって、小声でけしかけている。 「みんなソンキっていうの?」 先生にきかれて、みんなはいちようにうなずいた。 「そう、 そんなら磯吉のソンキさん」 また、どっとわらうなかで、先生もいっしょにわらいだしながら鉛筆を動かし、そのよび名を出席簿に小さくっけこんだ。 「っぎは、竹下竹一くん」 「はい」 りこうそうな男の子である。 「そうそう、はっきりと、よくお返事できたわ。ーーーそのつぎは、徳田吉次くん」 徳田吉次がいきをすいこんで、ちょっとまをおいたところを、さっき、岡田磯吉のとき「いる」といった子が、すこしいい気になった顔つきで、すかさず、 「キッチン」 と、さけんだ。みんながまたわらいだしたことで相沢仁太というその子はますますいい気になり、つぎによんだ森岡正のときも、「タンコ」とどなった。そして、じぶんの番になると、いっそう大声で、 「ハーイ」 先生は笑顔のなかで、すこしたしなめるように、 「相沢仁太くんは、すこしおせっかいね。声も大きすぎるわ。こんどは、よばれた人が、ちゃんと返事してね。 「川本松江さん」' 「ハイ」 「あんたのこと、みんなはどういうの?」 「マツちゃん」 「そう、あんたのおとうさん、大工さん?」 松江はこっくりをした。 「西口ミサ子さん」 「はい」 「ミサちゃんていうんでしょ」 かのじょもまた、かぶりをふり、小さな声で、 「ミイさん、いうん」 「あら、ミイさんいうの。かわいらしいのね。つぎは、 香川マスノさん 「ヘイ」 思わずふきだしそうになるのをこらえこらえ、 先生はおさえたような声で、 「ヘイは、すこしおかしいわ。ハイっていいましょうね、マスノさん」 すると、 おせっかいの仁太がまた口をいれた。 「マアちゃんじゃ」 先生はもうそれを無視して、つぎつぎと名まえをよんだ。 「木下富士子さん」 「ハイ」 「山石早苗さん」 「ハイ」 返事のたびにその子の顔に微笑をおくりながら、 「加部小ツルさん」 きゅうにみんながわいわいさわぎだした。なにごとかとおどろいた先生も、口ぐちにいっていることがわかると、香川マスノのヘイよりも、 もっとおかしく、 わかい先生はとうとうわらいだしてしまった。 みんなはいっているのだった。 カべコツツル、カべコツツル、壁に頭をカべコツツル。 勝ち気らしい加部小ツルは泣きもせず、 しかし赤い顔をしてうつむいていた。 そのさわぎもやっとおさまって、 おしまいの片桐コトエの出席をとったときにはもう、 四十五分の授業時間はたってしまっていた。 加部小ツルがチリリンヤ(腰にリンをっけて、用たしをする便利屋) のむすめであり、木下富士子が旧家の子どもであり、 ヘイと返事をした香川マスノが町の料理屋のむすめであり、 ソンキの岡田磯吉の家が豆腐屋で、タンコの盛岡正が網元のむすこと、先生の心のメモにはその日のうちに書きこまれた。 それぞれの家業は豆腐屋とよばれ、米屋とよばれ、網屋とよばれてはいても、そのどの家もめいめいの商売だけではくらしがたたず、百姓もしていれば、片手間には漁師もやっている、 そういう状態は大石先生の村とおなじである。だれもかれも寸暇をおしんで働かねばくらしのたたぬ村、だが、だれもかれも働くことをいとわぬ一人たちであることは、その顔を見ればわかる。 |
名前 (あだ名) | 家庭環境 | 備考 |
◎岡田 磯吉 (そんき) | 豆腐屋 | 卒業後大阪の質屋に奉公 徴兵され、眼を負傷して失明 |
竹下 竹一 | 米屋 | 中学進学・東京の大学へ 出征し戦死 |
◎徳沢 吉次 (キッチン) | 高等科を出て地元で山切り、漁師 | |
森岡 正 (タンコ) | 網元 | 高等科/神戸の造船所勤務 海軍・・・戦死 |
相沢 仁太 | 父親と石鹸製造 海軍・・・戦死 | |
◎川本 松江 (マッちゃん) | 大工 | |
◎西口ミサ子 ( ミイさん) | 西口屋の一人っ子 | |
◎香川マスノ (マアちゃん) | 町の料理屋 | |
木下 富士子 | 旧家(庄屋) | 没落して身売りと噂/消息不明 |
◎山石 早苗 (さなえさん) | 小学校教師に。 | |
◎加部小ツル (小ツやん) | チリリン屋(便利屋) | 高等科から大阪の産婆の学校を経て産婆に。 |
片桐 コトエ (コトやん) | 奉公先から肺病になり帰郷。22歳で病死。 |
この子たちと大石先生が出会ったのは、尋常小学校一年生の時でした。すくすくと成長した彼らは、五年生になると本校に通うようになり、すでに本校勤めとなっていた大石先生と再会することになります。
そのころ、同僚の片岡先生が警察にひっぱられるという事件が起こります。近くの小学校の稲川先生が受け持ちの生徒に反戦思想をふきこんだとして捕らえられ、師範学校の同級生だった稲川先生が、参考人として取り調べられたというのです。
翌日の新聞は、稲川先生のことを大きな見出しで、「純真なる魂をむしばむ赤い教師」と報じていた。それはいなかの人びとの頭をげんのうでどやしたほどのおどろきであった。生徒の信望を集めていたという稲川先生は、 一朝にして国賊に転落させられたのである。 「あっ、こわい、こわい。沈香もたかず、屁おこかずにいるんだな」 つぶやいたのは年とった次席訓導だっ'た。 ほかの先生はみな、 意見も感想ものべようとはしなかった。そんななかでひとり大石先生は、おおげさな新間記事のなかの、わずか四、五行のところから目がはなれなかった。そこには、稲川先生の教え子たちが、ひとりひとつずつ卵を持ちよって寒い留置場の先生に差し入れてくれと、警察へ押しかけたことが書かれていたのだ。 きょうはもう出勤した片岡先生はきゅうに英雄にでもなったように、ひっぱりだこだった。どうだった?の質問にこたえて、一日でげっそりほおのおちたかれは、青いひげあとをなでながら、「いや、どうもこうも、いま考えるとあほらしいんじゃけどな。すんでのことにあかにならされるとこじゃった。稲川は、きみが会合にでたのは四、五回じゃというがだの、小林多喜二の本を四だろうとかって。ぼくは小林多喜二なんて名まえもしらん、いうたら、この野郎、こないだ新聞に出たじゃないかって。いわれてみりゃ、ほら、ついこないだ、そんなことが出ましたな。 小説家で、警察で死んだ人のことが」(ほんとうは拷問で殺されたのだが、新聞には心臓まひで死んだと報じられた) 「ああ、いたいた。赤い小説家だ」 わかい独身の先生がいった。 「そのプロレタリアなんとかいう本を、たくさんとられとりました。あの稲川は師範にいるときから本好きでしたからな」 その日国語の時間に、大石先生は冒険をこころみてみた。生徒たちはもう『草の実』とその先生のことをしっていたからだ。 「家で、新聞とってる人?」 四十二人のうち三分の一ほどの手があがった。 「新聞を読んでいる人?」 二、三人だっ.た。 「あかって、なんのことかしってる人?」 だれも手をあげない。顔を見あわせているのは、なんとなくしっているが、はっきり説明できないという顔だ。 「プロレタリアって、しってる人?」 だれもしらない。 「資本家は?」 「はい」 ひとり手があがった。その子をさすと、 「金持ちのこと」 「ふ-ん。ま、それでいいとして、じゃあね、労働者は?」 「はい」 「はい」 「は-い」 ほとんどみんなの手があがった。身をもってしっており、自信をもって手があがるのは、労働者だけなのだ。大石先生にしても、そうであった。もしも生徒のだれかに、こたえをもとめられたとしたら、先生はいったろう。「先生にも、よくわからんのよ」と。 まだ五年生にはそれだけの力がなかったのだ。ところがすぐそのあと、 このことについては、口にすることをとめられた。ただあれだけのことがどこからもれたのか、大石先生は校長によばれて注意されたのである。 「気をつけんと、こまりまっそ。うかつにものがいえんときじゃから」 |
子どもたちと一緒に考えたり学んだりする姿勢は、危険思想だとして処罰の対象となり、「密告」が奨励される空気が学校現場をも包みます。こんなのどかな田舎村にも、戦争前夜の不穏な気配が忍び寄って来ているのです。
先を急ぎます。上の表の十二人の子どもたちのうち、名前の前に◎印をつけたのは、長いブランクののち、戦後、「助教」として教職に復帰した大石先生の「歓迎会」を開いてくれて、そこで無事再会できたメンバーです。
女の子七人のうち、一人が病死、一人が消息不明。男の子五人のうち三人は戦死。命ながらえた岡田磯吉(ソンキ)も、戦傷により両眼を失いました。十二人二十四の瞳が、七人、十二の瞳になってしまいました。
しかし、磯吉(ソンキ)の目には、小学校一年生の時、八km離れた大石先生の家を、子どもたちだけで歩いて訪ねた冒険の日、一本松の下で写した「記念写真」の情景がありありと焼き付いているのでした。
ビールは磯吉のひざにこぼれた。それを手早く磯吉はのみほし、 マスノにかえしながら、 「マァちゃんよ、そないめくらめくらいうないや。うらァ、ちゃんとしっとるで。みな気がねせんと写真の話でもめくらのことでも、 おおっびらにしておくれ」 思わず一座は目を見あわせて、 そしてわらった。 ソンキにそういわれると、いまさら写真にふれぬわけにもゆかなくなったように、 写真ははじめて手から手へわたっていった。 ひとりひとりがめいめいに批評しながら小ツルの手にわたったあと、 小ツルはまようことなくそれを磯吉にまわした。 「はい、一本松の写真!」 よいも手つだってか、 ぃかにも見えそうなかっこうで写真に顔をむけている磯吉のすがたに、となりの吉次は新しい発見でもしたような驚きでいった。 「ちっとは見えるんかいや、ソンキ」 磯吉はわらいだし、 「目玉がないんじゃで、キッチン。それでもな、この写真は見えるんじゃ。な、ほら、まんなかのこれが先生じゃろ。そのまえにうらと竹一と仁太がならんどる。 先生の右のこれがマァちゃんで、こっらちが富士子じゃ。 マツちゃんが左の小指を一本にぎりのこして、手をくんどる。それから--」 磯吉は確信を持つて、 そのならんでいる級友のひとりひとりを、 人さし指でおさえてみせるのだったが、すこしずつそれは、ずれたところをさしていた。相づちをうてない吉次にかわって大石先生は 「そう、そう、そうだわ、そうだ」 あかるい声でいきをあわせている先生のほおを、涙のすじが走つた。 |
もう少し触れておきたいことがありますが、機会を改めてということにしましょう。
合歓の花。
下は二、三年前の撮影です。
アゲハがいました。
ベニシジミ。
キリギリスの仲間?
今日はこれにて。
2016-07-13 18:03
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コメント(8)
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合歓の木にアゲハ・・・素敵!^^
草むらに行くとキリギリスが鳴いてます。
子どもの頃、夏になると父がキリギリスをつかまて来てくれたことを思い出します。^^
by hatumi30331 (2016-07-13 20:08)
私もこれを取りあげましたが
昔教師としては、忸怩たる思いでしょう お察しいたします
差し替えたとはいえ、そういう考えの持ち主です
完全に戦前の教育となりました。
by majyo (2016-07-13 20:54)
アゲハの舞い、素敵ですね^^
by 美美 (2016-07-13 22:54)
hatumi30331 様
合歓の花、なかなかバッチリとは写せません。過去のストックを探って、ご紹介しました。アゲハもそうです。今年もいるのですが、ウマク写せるチャンスがなくて、過去画像です。
by kazg (2016-07-14 15:29)
majyo 様
おっしゃるとおりです。完全に憲法的な世界観がふっ飛んでしまって、おつむの中は戦前戦中です。それにすら気づいていない愚昧さ、不勉強さが、処置なしです。
by kazg (2016-07-14 15:38)
美美様
ありがとうございます。なかなかウマク撮影できず、何枚も失敗を重ねますので、ちょっと古い過去画像で失礼しました。
by kazg (2016-07-14 15:42)
戦前戦中の暗い世相を再現させたがっているバカ者がいるとは、信じられないことです。
許せません!
by momotaro (2016-07-15 17:00)
momotaro様
本当にその通りです。ひょっとすると「暗い世相」と感じない立場の人というのもあるのでしょうか?
by kazg (2016-07-16 00:51)