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故旧また出雲街道を行く、の巻 [折々散歩]

昨日は、久しぶりに故旧あい集う日でした。


前回のこの記事の回(はたらく自動車?クリーンエネルギー???の巻)に引き続き、イチローさんのお宅にお邪魔し、鍋を囲みました。


朝はかなり冷え込み、車の閏間のフロントガラスがこんな具合でした。


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集合場所は、前回と同じ美作土居駅。


駅前の看板は前回もご紹介しました。


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よく見ると、『土居駅跡』という史跡の紹介があります。もちろんJR土居駅のことではなく、人馬問屋=問屋場の跡なのですね。


といや‐ば〔とひや‐〕【問屋場】
江戸時代、街道の宿駅で、人馬・駕籠(かご)などを用意して、旅人の便宜をはかった所。駅亭。

出典 小学館デジタル大辞泉


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イチローさんの先導で、この旧街道跡を車でゆっくり移動し、美作市立土居小学校のほとりへ向かいます。


土居小学校のHPからアクセス地図をお借りします(無断借用)。


doisyo


こんな碑がありました。


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すぐ隣に安東鉄馬という尊皇攘夷運動家の顕彰碑が立っていました


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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説
安東鉄馬 あんどう-てつま
1843-1864 幕末の尊攘(そんじょう)運動家。
天保(てんぽう)14年生まれ。生家は美作(みまさか)(岡山県)英田(あいだ)郡の庄屋。京都で尊攘運動に奔走し,元治(げんじ)元年池田屋でおそわれたが難をまぬかれる(池田屋事件)。禁門の変では真木和泉の隊に属してたたかい,同年7月19日鷹司(たかつかさ)邸で戦死した。22歳。名は貞啓。通称は別に誠之助。


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その碑の裏側に位置する山の方角をぼんやり見ていると、急にこんなものがあらわれ、ビックリしました。


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一両編成のローカル列車です。


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この辺りで、列車が警笛を鳴らしましたので、私たちに表敬の挨拶をしてくれたのかとほほえましく思っていると、イチロ-さんは、この先が見通しも悪く信号も遮断機もない踏切なので警笛を鳴らして通らないと危険なのだそうです。


急峻な山々を縫うように、細々と鉄路が走っています。


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旧出雲街道は、播磨と美作の国境は、険しい峠を越えなければな羅なかったことは、以前こんな記事でも触れたことがありました。


今日もメガソーラーを考えてみる、の巻


杉坂峠は、かつては播磨(兵庫県南西部)と美作を結ぶ交通の要所で、鎌倉時代には関所が置かれていたそうです。元弘の変の失敗で隠岐に流される後醍醐天皇もこの峠を護送されたとされています。

ウィキペディアには、児島高徳についての記述にこうあります。

高徳は、播磨・備前国境の船坂山において、一族郎党二百余騎で佐々木導譽ら率いる五百騎の天皇護送団を強襲、後醍醐天皇の奪還を画策するが、天皇一行の移動経路誤判によって失敗に終わる。

高徳は天皇一行を播磨・美作国境の杉坂まで追うものの、その時既に天皇一行は院庄(現在の岡山県津山市)付近へ達しており、完全な作戦失敗の前に軍勢は雲散霧消してしまった。

その際、高徳ただ一人が天皇の奪還を諦めず、夜になって院庄の天皇行在所・美作守護館の厳重な警備を潜り侵入する。やがて天皇宿舎付近へ迫るも、それまでの警備とは段違いな警護の前に天皇の奪還を断念、傍にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は春秋時代の越王・勾践に対するように、決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、必ずや帝をお助けする事でしょう)という漢詩を彫り書き入れ、その意志と共に天皇を勇気付けたという。

因みに、朝になってこの桜の木に彫られた漢詩を発見した兵士は何と書いてあるのか解せず、外が騒々しい為に何事か仔細を聞いた後醍醐天皇のみこの漢詩の意味が理解できたという。

このように、かつては杉坂峠を越えていた出雲街道は、関ヶ原の戦い後、津山に入った森蘭丸の弟森忠政によって整備され、少し南の万能峠=万の乢(たわ)越えに変えられたそうです。


その万の乢の直下にトンネルを掘削して、姫新線が走ったことは、画期的なできごとだったのでしょう。SLの時代には、列車が坂道を青息吐息でノロノロと走るので、出勤・通学の際に乗り遅れた列車に追いついて、飛び乗って遅刻を免れることができたという話をよく聞いたと、イチローさんは面白く聞かせてくださいました。そして、ディーゼルカーが走るようになって、そのスピードに驚嘆したとも。


いま、他の多くの地方赤字ローカル線の例に漏れず、運行便数は年々削減され、運行ダイヤも不便さが度を増し、それが利用者減に拍車をかけるという悪循環が続いています。住民の足、命の綱としての公共交通機関のあり方が、あらためて考えさせられます。


私たちは、イチローさんの案内で、眼下に鉄道を見下ろしながら、旧出雲街道の山道を万の乢へとのぼって行きます。


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人気のない山道の畔に、古い墓石群が静かに佇んでいます。


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はるか山の頂の方角に、こんなものが見えてきました。


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広大な墓石群?古代の廃墟?


いえ、建設が進むメガソーラーの現段階です。


今日はここまで。次回に続きます。



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majyo

国鉄が分割化して、本数が少なく車両も短くなる
悪循環が拍車をかけますね
かたや豪華列車はすごい競争率とか
消えない事を祈ります

by majyo (2018-12-18 08:18) 

kazg

majyo 様
受益者負担をふりかざして、もうけにならない分野はどんどん切り捨てる、、、「国鉄改革」はそのはしりでしたね。結果、田舎はますます不便になり、地域格差が歯止めなく広がってきています。同じ経済優先の動機のもと、学校統廃合の大波が、またまた押し寄せつつあります。ローカル線がなくなり、学校がなくなり、地域産業が疲弊し、老人だけが残された過疎村は、どうすれば良いのでしょう?
by kazg (2018-12-19 16:55) 

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