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節分雑話、の巻 [今日の暦]

今日は節分。2月2日が節分になるのは、1897(明治30)年以来124年ぶりだそうです。節分や立春について書かなければという強迫観念があるのでしょうか、これまで何度も話題にしてきました。



桃尻考、の巻(2019-02-01)


立春も近いと言うに、、、の巻(1)(2018.01-31)


節分にちなんで、の巻(2017.02-03)


福は内 福は内とて 春待たる(2014-02-03)


 


これらの過去記事をネタに、ある「会報」に投稿する予定原稿を書いています。フライングでご紹介します。




駄句駄句御免


(1)今年の年賀状に、こんな駄句と絵を載せました。


ガースーもコロナも祓え木彫り牛


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そのココロは、次の文章のとおり。


カットの赤牛は、公民館講座のつながりで頂戴した手づくりの木彫りに、妻が色つけし、スケッチしたもの。制作者の方は、毎年の干支を作品にしておられるそうです。


会津の郷土玩具「赤べこ」の張り子は、疫病除として知られていますが、この赤い木彫牛も霊験あらたかに違いありません。


まずは、何よりもコロナ禍を、そして国民の不安と不幸を増大させている「ガースー」禍も、いっぺんに祓(はら)ってほしいものです。


(2)節分に当たり、同工異曲の句で遊んでみました。


ガースーもコロナも払え鬼遣(や)らい


今日の節分行事の起こりとされる「鬼遣らい」、または「追儺(ついな)」について、ものの本にはこうあります。


「追儺、一に鬼やらいともいう、我が朝廷年中行事の一にして、毎年十二月晦日、疫鬼を払はんが為めに行われたる一の儀式なり、(中略)戦国の世に至り廃絶し、僅に各地の神社等にその型を残す、江戸時代に於ては、十二月節分の夜、江戸城中も民間も、共に柊の葉にゴマメの頭を付けて入口に挿み、年男礼装して豆を打ち、鬼を追ふまねす、之を近世追儺とは称したり」(『画題辞典』斎藤隆三)


そう言えば、以前、アジア人留学生相手の日本語授業で、節分を題材にしたプリントを作ってみました。少しだけご紹介します(一部改作。また、実際には漢字の多くにふりがなを施していますが、煩雑になりますので省略)。


一年を24等分する暦「二十四節気」の中に、「立春」「立夏」「立秋」「立冬」と呼ばれる日がありますが、それぞれの前日を「節分」と呼びます。「季節を分ける日」という意味です。節分の風習は. 奈良時代頃、中国から伝来し、 平安時代に宮廷の行事として定着したと言われます。節分は、もともと一年に四回ありますが、なかでも「立春」が一年の始まりとして、とくに尊ばれたため、節分といえば次第に春の節分のみをさすようになったようです。

古来、季節の変わり目には鬼が出ると言われていて、節分に豆をまいて鬼を追い払う行事は、室町時代から続いています。

豆まきは、普通、「福は内、鬼は外」と掛け声をかけます。これは邪気=鬼を払って福を呼び込むということですが、場所によっては「鬼は外」という言葉を言わなかったり、「福は内、鬼は内」というかけ声をかけるところもあるのです。


鬼とは詰まるところ邪気、災厄の象徴。さしづめ、当面する最大の災厄は、コロナ禍。そして、それに勝るとも劣らぬガースー禍でしょうか。いま、アニメ「鬼滅の刃」が大ブームで、ひたすら心身を鍛えて鬼に打ち克とうと励む少年の姿が共感を呼んでいるようです。これに倣って、全集中で「鬼遣らい」に挑みたいものです。


(3)私的ブログの、過去記事に「唯々諾々 駄句駄句」(ただただだくだく)」という文章を書いたことがあります(2019年2月5日付)。


【節分】


福は内福は内とて豆を蒔く


「鬼は外」敢えて小声の鬼遣らい


追はれたる鬼の子雨に寒かろう


(中略)童話「おにたのぼうし」もまた、「鬼は外」のかけ声をためらわせます。
おにたは黒鬼の子どもです。


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おにたは、きのいい おにでした。きのうも まことくんに、なくした ビーだまを こっそり ひろってきてやりました。このまえは、にわかあめのとき、ほしものを、ちゃのまに なげこんでおきました。おとうさんの くつを ぴかぴかに ひからせておいたことも あります。でも、だれも おにたが したとは きがつきません。
まめまきの おとを ききながら、おにたは おもいました。(にんげんって おかしいな。おには わるいって、きめているんだから。おににも、いろいろ あるのにな。にんげんも、いろいろいるみたいに。) そして、ふるい むぎわらぼうしを かぶりました。つのかくしの ぼうしです。こうして、かさっとも おとをたてないで、おにたは、ものおきごやを でていきました。


おにたは粉雪の舞う寒い路地をさまよいますが、どの家も玄関に鬼よけのひいらぎが飾られていて入ることができません。とおりかかったトタン屋根の水簿らしい家には柊も飾られて織らず、豆のにおいもしません。その家に住むお母さんは病気で伏せっており、女の子が献身的に看病していました。 おにたはお腹をすかせた女の子のために食べ物を調達し、節分であまったご馳走だと言って、差し入れします。


「あたしにくれるの?」 そっと ふきんを とると、あたたかそうな あかごはんと うぐいすいろの にまめが ゆげを たてています。おんなのこの かおが、ぱっと あかくなりました。そして、にこっとわらいました。

おんなのこがふっと なにか かんがえこんでいます。「どうしたの?」 「もう みんな、まめまき すんだかな、と おもったの。あたしも まめまき、したいなあ。」 「なんだって?」「だって、おにが くれば、きっと おかあさんの びょうきが わるくなるわ。」 おにたは てを だらんと さげて ふるふるっと かなしそうに みぶるいして いいました。「おにだって、いろいろあるのに。おにだって……」 こおりが とけたように、きゅうに おにたが いなくなりました。あとには、あの むぎわらぼうしだけが、ぽつんと のこっています。


さらに駄句。


恵方巻黙して喰うは至難哉


豆撒きも兄弟げんかの種となり


【立春】


春立てば風てきめんにやわらかく


春立つ日窓全開にドライブす


春立つや足腰の痛みやわらぎぬ


疼痛の癒ゆる道理冬果つる


(4)この年の立春は、文字通り春の陽気を連れてきたのでした。厳寒に見舞われた今年も、遅ればせながら、早春の花々が春の訪れを告げています。いずれも2月1日、半田山植物園で写しました。


まずは、セツブンソウ。名前の通り節分の頃咲きます。


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フクジュソウ。


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ソシンロウバイ。漢字では素心蝋梅と書くそうで、黄色一色のロウバイです。


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マンサク。「先ず咲く」から名付けられたとも「豊年満作」からとも言われています。いろいろな品種があるようです。


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マンサク咲いてコロナの冬は果てぬべし


きょうはこれにて


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コメント 2

gonntan

「おにたのぼうし」良いですねぇ
グッときます。

by gonntan (2021-02-03 21:59) 

kazg

gonntan様
無償の愛というか、報われない献身というか、、、、悲しくやるせない余韻が残りますね。

by kazg (2021-02-04 06:16) 

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