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ちょっとピンボケ、の巻 [折々散歩]

折に触れ、このタイトルが頭をよぎります。


もちろん、これは、「元祖」戦場写真家ロバート・キャパによる世界的なベストセラーの題名。この本は、キャパが第二次世界大戦に従軍して、死線をさまよいながら命がけの撮影を続けた日々の見聞録です。



ちょっとピンぼけ

ちょっとピンぼけ

  • 出版社/メーカー: ダヴィッド社
  • 発売日: 1980/01/01
  • メディア: 単行本



ちょっとピンぼけ (文春文庫)

ちょっとピンぼけ (文春文庫)

  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 2021/02/14
  • メディア: 文庫



松岡正剛さんのブログ「松岡正剛の千夜千冊」には、こう紹介してありました。


https://1000ya.isis.ne.jp/0148.html


本書のクライマックスはノルマンディ上陸のDデイ前後にある。キャパはこの史上最大の作戦を、まったく俯瞰的な目も歴史的な目も加えることなく、地べたの目で観察しつづけた。「ザ・ロンゲスト・デイ」を視覚的に捉えた世界でたった一人の男、それがキャパだった。それもそのはず、キャパは多くの戦士たちとともに真っ先にノルマンディ上陸を敢行し、敵の砲撃を雨あられと受けた先頭部隊員だったのである。「ちょっとピンぼけ」とは、そのときの写真のことをさしている。キャパの手は震えていたのであった。


もちろん、その時代、オートフォーカスカメラなど存在しませんから、ピント合わせは完全手動。「ちょっとピンぼけ」ちっとも恥ずかしいことではないでしょう。


一方、この私、せっかくのAFカメラを持ちながら、ピンボケ量産。恥ずかしいやら情けないやら、、です。


_K525426


ある珍鳥を狙って、山深い滝の辺りを訪ねました。お目当ての鳥は、幽かに前方をよぎったような気もしましたが、はっきりとは確かめることができませんでした。それとは別に、遠くの方に、コバルトブルーの姿を見かけたので慌てて写してみたのですが、、、、岩しか確認できませんね。大幅にトリミングすると---。


ruribitak


期待したとおり、ルリビタキ♂のようですが、残念なピンボケ・手ぶれでした。写しなおす暇もなくすぐに飛び去ってしまいました。


私にとっては最高級機材であるPENTAXk5Ⅱ+AFBORG60EDなのですが、暗さと距離には敵いません。


ピンボケその2。


S0849631


昨日歩いた山道で、向こうの木の枝に飛んできてヒョイと止まった鳥が、なんだか珍鳥のように見えました。慌ててカメラを用意して写しましたが、、、残念至極のこの結果。


トリミングします。


toratugum


トラツグミではないかと思ったのですが、これでは証拠にもなりません(トホホ)


この時持っていたカメラは、FUJI FINEPIX S1。ピッタリ合焦すればなかなかの写りなのですが、合焦させるのが難しい、、、。


アトリ。


S0120045


S0110037


S0110041


ビンズイ。


S0130047


ヤマガラ。


S0080026


シロハラ。


S0030009


S0859635


ジョウビタキ。


S0050015


S0979667


S0969665


ヒドリガモ。


S0160061


オナガガモ。


S0180067


ノートリミングでこれだけ大きく写せるので便利なんですがねえ。


ところで、「ちょっとピンぼけ」のロバート・キャパが、どんなカメラを使っていたか、ちょっと気になり、調べてみました。


ロバート・キャパは、本名フリードマン・エンドレ(フランス語読みでアンドレ・フリードマンとも)というユダヤ系ハンガリア人で、学生時代、左翼運動に加担したとして逮捕され、釈放後ドイツに渡るも、経済的困難から暗室助手兼雑用係として働きます。これが、写真の道を歩み始めるきっかけとなります。彼が最初に使ったカメラは、その頃上司に渡された「ライカ」。彼の本格的なデビュー作となった1932年のトロツキー演説の撮影もこのカメラでした。銃を警戒して大型カメラを嫌う警備陣の隙を突いて撮影に成功したのは、小型の『ライカA型』のおかげだったと言われます。


 


パリに活動舞台を移したアンドレ・フリードマンは、ゲルダ・タローという女性と出会い、愛をはぐくみます。架空のアメリカ人写真家「ロバート・キャパ」はアンドレ・フリードマンとゲルダ・タローの合作として歩み始めたのでした。この頃、アンドレは「ライカ」、ゲルダは「ローライフレックス」を主に愛用していたといいます。


ゲルダが、1937年、スペイン内戦の取材中に、事故で死亡したあと、キャパは、小型カメラとともにゲルダ愛用の「ローライ」をも取材に用いるようになったと言います。(小型カメラも、「ライカ」に換えて、「コンタックス」を使用することが多くなったそうです)。「ローライ」は、腰のあたりに構えて撮影する中型の二眼レフカメラで、ポートレートの撮影に好適と言われます。機動性が求められる戦場においては、身の危険を伴う選択とも言えたでしょうが、前述のノルマンディー上陸作戦の取材で、キャパは2台のコンタックスとローライを携えたと伝えられます。


キャパの最期を、ウィキペディアはこう伝えています。


1954年4月に日本の写真雑誌『カメラ毎日』の創刊記念で来日、市井の人々を取材した。程なく東京で『ライフ』から第一次インドシナ戦争の取材依頼を受け、北ベトナムに渡る。5月25日、午前7時にナムディンのホテルを出発、タイビン省のドアイタンにあるフランス軍陣地に向かう。午後2時30分ころドアイタンに到着。2名の後輩カメラマンと共にフランス軍の示威作戦へ同行取材中の午後2時55分、ドアイタンから約1キロの地点にある小川の堤防に上った際に地雷に抵触、爆発に巻き込まれ死亡した。


このとき、彼が使っていたのは、『コンタックス』と『ニコンS』だったそうです。『ニコンS』のワケは、『毎日新聞』による招待旅行が「提供される日本製カメラでの撮影」という条件つきだったからですって。


福島・宮城を襲った大規模地震、森喜朗元首相の問題発言騒動、実効あるコロナ対策などなど、コメントすべき重大事が数あるなかで、「ちょっとピンボケ」の今日の話題、、、大変失礼致しました。


今日はこれにて。


nice!(38)  コメント(4) 

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コメント 4

johncomeback

拙ブログへのコメントありがとうございます。
僕が住む多賀城市は震度5弱でした。
植木鉢が落下したくらいで被災は免れました。
ロバート・キャパはカメラを趣味にする人は
誰もが知っているビッグネームですね。
「崩れ落ちる兵士」の写真は衝撃でした。
by johncomeback (2021-02-15 20:17) 

八犬伝

「ちょっとピンぼけ」
文春文庫版を、愛読していました。
そうそう
ライカだったのですよね。
by 八犬伝 (2021-02-15 21:31) 

kazg

johncomeback様
震度5弱、想像するだに脅威ですが、ご無事で何よりでした。
「崩れ落ちる兵士」目に焼き付いて離れません、、、
by kazg (2021-02-15 22:07) 

kazg

八犬伝様
そうそう、ライカですよね。

by kazg (2021-02-15 22:11) 

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