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当地も緊急事態宣言真っ只中、の巻 [日録]

公私ともに、ちょっと忙しがっている間に、いろいろなことがありました。


中でも影響が大きいのは、我が県もコロナの蔓延がとどまるところを知らず、緊急事態宣言が出されたこと。


こちらは、県のHPです。


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10万人あたりの感染者数は、あの大阪を抜いて第3位だそうです。容易ならざる事態です。


その影響で、予定がいろいろ変わり、生活スタイルの変容も余儀なきところです。


小5の孫は、今日予定されていた「海の学習」が中止になり、給食はないのでお弁当を持って学校で授業だそうです。部活に熱中している中二生も、高校生活余すところ僅かの期間の部活に未練を残す高三生も、しばらく部活は休止。思うようには参りません。


毎週水曜日に通っている教員相談のボランティアも、相談活動休止ということになり、そのためきょうはスケジュールが空いて、郷里の老父母を訪ねることができます。




予定されていた集まりも、つぎつぎに中止になりました。大きなものとしてはこれも中止。


nenkinsosyogenkokukaigi


その前日、土曜日にはこの「つどい」がありました。


会場参加のリスクも慮られ,web参加にしようかと、直前まで迷いながら、結局は出かけてきました。



講師の鈴木大裕さんはこんな人。こちらに記事多数https://webronza.asahi.com/authors/2018061800002.html


鈴木大裕(すずき・だいゆう) 教育研究者 土佐町議会議員

鈴木大裕

16歳で米国に留学。1997年コールゲート大学教育学部卒、1999年スタンフォード大学大学院修了(教育学修士)。日本に帰国し2002年から千葉市の公立中に英語教諭として6年半勤務。2008年に再渡米し、フルブライト奨学生としてコロンビア大学教育大学院博士課程へ。現在は高知県土佐町で教育を通した町おこしに取り組むかたわら、執筆や講演活動を行う。著書に『崩壊するアメリカの公教育:日本への警告』(岩波書店)


鈴木氏は、「先生」ではなく「ダイユー」と呼んで欲しいとおっしゃいます。で、私も、会場での質問・発言のなかで「ダイユーさん」と呼びかけてしまいましたが、いろいろ言ったあとで、「退職教員や、現役の教師に対していいたいことをひと言で」なんて、チョー安直な、かつ難しい質問をしちゃいました(油断してたのに、いきなり「当てられ」て発言機会を与えられ、考える暇もなかったので)。


ダイユーさんは、「退職教職員は『希望の星』、いろいろな活動に、元気に伸び伸びと参加している。”良い時代”を知っている皆さんが、今の絶望的な状況しか知らずに日々呻吟している現職の人たちに、あるべき教育や職場の可能性に気づかせる役割を果たしてほしい(kazg勝手訳)」旨強調されました。


確かに、私たちは「良い時代=まっとうな時代」を知っていて、それがだんだんと冒されてきた経過を身をもって体験してきた世代です。


そのあたりの愚痴は、以前こんな記事に書きました。


はてさて?大競争狂騒曲とな?の巻


以前(2004年)、こんな文章を、ある教育系雑誌に投稿したことがありました。「10年ひとむかし」と言いますがそれ以上の昔の話です。でも、読み返してみて、今なお、根本的な変化(改善)は、認められないと思えましたので、ここに再掲させていただきます。


岡山発「大競争」狂騒曲
一、トカトントン、あるいはハラホロヒレ
太宰治に「トカトントン」という小品がある。玉音放送の後、なお「徹底抗戦、自決」を叫ぶ若い中尉の姿に厳粛を感じた「私」は、「死のう、死ぬのが本当だ」と決意する。が、折しも兵舎の屋根からトカトントンと金槌の音が聞こえ、なぜか途端にすべてが白けてしまう。高校教師出身のミステリー作家、北村薫氏が、エッセイ集『謎物語ーあるいは物語の謎』で、これに触れておられるのを、最近、愉快に読んだ。
「たとえば、太宰の『トカトントン』を読んで、何も見えない人に向かい、《トカトントンはハラホロヒレである》と言ってしまうのが評論家ではないか。そのおかげで何かが見え、《ああ、そうか》という人が出て来る。/すると別の評論家が《いや、あれは断じてハラホロヒレではない。ガチョーンである》と演出するのである。そこで、まことに不敬ではあるが《トカトントン》を《ハラホロヒレ》に差し替えれば、こういうことになる。/もう、この頃では、あのハラホロヒレがいよいよ頻繁に聞こえ、新聞を広げて、新憲法を一条一条熟読しようとすると、ハラホロヒレ、局の人事について伯父から相談を掛けられ、名案がふっと胸に浮かんでも、ハラホロヒレ、(中略)もう気が狂ってしまっているのではなかろうかと思って、これもハラホロヒレ、自殺を考え、ハラホロヒレ。」(中公文庫p二一〇)
二、「人皆か 吾のみやしかる」(山上憶良)
私は、五年間の夜間定時制経験を経て、「普通科単位制」を掲げる現任校での三年目を迎えている。当初、高速道路に自転車で迷い込んだような不安と居たたまれなさに、心身の不調が続いた。ある不登校経験者は、「校門が近づくと、ゴオッと大型ダンプに襲われるような威圧感を覚えた」と述懐していたが、今日の学校状況に内在するある種のテンションは、教師をも射すくめるものらしい。定時制では、多くの生徒が「三K=競争・脅迫(強迫)・強制が少ないから好き」と異口同音に語るが、その受容的な空気やゆったりとした時間感覚の対極に、今置かれている、と感じる。
もう十年近く前、高一で不登校のただ中にあった我が長男が、一切の「学校的なもの」に、怯え混じりの嫌悪を示したことがあった。その感性に波長をシンクロさせることで自己の安定を維持してきたせいか、私には「学校の息苦しさ」に過敏に反応する傾きがあるのだろうか。あるいは、五十代に入り教職最後の十年を消費しつつある私の適応能力にとって、環境の変化がいささか過酷に過ぎたかもしれないと解釈してもみる。
三、「一将功成って万骨枯る」(曹松)
だが、それらをさておいても、職場は多忙だ。どの学校でも、年々それは強まっている。
新指導要領実施に伴い、「総合的学習」の導入、シラバス(年間授業計画)作成、観点別評価など、教育内容・実務において激変とも言える変化が生じている。学校五日制で、逆に平日の過密化が進んでいる。「自主的」と称して、土曜日も補習講座に拘束される状況が広がっている。
近年、岡山では、長く続いた小学区・総合選抜制が廃止され、「特色づくり」の名による差別化と、「生き残り」強迫にせかされての熾烈な学校間競争が仕組まれてきた。例えば私の学校では、地域四校の総合選抜廃止に対応して、県下初の「普通科単位制」、「65分授業」、「2学期制」へと大幅な転換をはかることで、かつての兄弟校との序列競争・中学生獲得競争を生き延びようとしてきた。
今、こうした多大なエネルギーを傾注しての「特色づくり」の努力を総括・吟味する間もなく、県下全域に及ぶ大規模な高校再編(リストラ)が、問答無用で強行されている。それは、これまで職場や地域で培ってきた「学校づくり」の蓄積や合意を乱暴に消去・リセットする一大クーデターの様相を呈している。教職員、生徒、父母・住民という当事者が、学校づくりの主体から遠ざけられている。
これらの経緯の中で、「一将功成って万骨枯る」という事態が、少なからず現出している。手柄を買われて「栄達」の道を歩む元同輩を尻目に、茫々たる荒れ野に置き去りされた「兵卒」たちは、言いようのない徒労感と無力感にとらわれている。だが、スクラップ化の運命にある学校でも、「今いる生徒たちにはつらい思いをさせない」ために、涙ぐましい粉骨砕身を続けている。
四、再びトカトントン、あるいはハラホロヒレ
「進学校」を掲げる諸校の例に漏れず、我が校でも、ほぼ夏休み一杯進学補習が続く。新任の校長は、その期間に全教員と順に面談をするとおっしゃる。曰く、「進学重視型普通科単位制高校として、地元国立大学を中心に、進路目標を実現させることが重要。そのために、自分は何がしたいか、また、何ができるかを、聞かせてほしい。」近隣校でも、同様の動きが流行中との情報を、呆れた思いで聞いてはいたが、いざそれに当面すると答えに窮してしまう。
私の場合は、盆明け早々の補習の午後、校長室に呼ばれて開口一番「この学校のために何がしたいか。何ができるか。」へえ、本当にそうきましたか。日頃の仕事へのねぎらいの言葉すらなく?
私「いろいろ考えましたが、私にできることはなさそうなので、来年の三月にはよろしくお骨折りを願いたい。」/校長「それは、転勤希望と言うことかね。」/私「はい。」/校長「わずか三年目で、どういう事?」/私「前任校では、一応自分なりに自己完結したという思いがありましたが、この学校では、役割が見いだせない。仰るような学校には、別の適任の方がありそうです。」/校長「定時制の方がよかったと?では、どうして転勤したの?」/私「通院と健康管理の上から昼間の学校を希望したら、縁あって本校に。転勤に際しては前任校の校長にも本校の前校長にも義理を感じて、自分に鞭打って働いてきましたが、石の上に三年いても根が生えそうにありませんので・・」
語りつつ、私の耳にしきりにトカトントンが聞こえて、平静でいることが難儀だった。あるいはいっそ、ハラホロヒレ、ガチョーンと、口に出してしまいたい衝動に駆られる。衝動に駆られながら、その感情の正体がつかみかねていたが、後で胃の痛みとともにはっきりと気づいた。不当な仕打ちに対する屈辱感と、傷ついた自尊感情への憐憫。そして、全国津々浦々でこのような愚劣な問が発せられる状況のへの寒々とした白け。
「学校のため、君は何がしたいか、何ができるか」この問は言外に、「まつろわぬ者、働きが足りぬ者はおらぬか。”不適格”の烙印がイヤなら進んでもっと働け。さもなくば立ち去れ」という頭ごなしのメッセージを含んでいよう。そのような不信感むき出しの脅迫に怯え、失敗やつまづきへの不安にかられながら、果たして、教育という創造的な営みが成りたつのだろうか?さらに、この問は、従順なだけでなく、「上意」を自ら先読みし、すすんで遂行する「忠誠」競争を強いるものだ。だが、互いの事情や条件をふまえた、職場の合意形成への努力やプロセス抜きに「これがやりたい、あれがやれます」と名乗り出るお調子者が輩出したとしても、そんな学校に何が期待できるのだろうか?
小一時間に及ぶ、その日の校長面談の模様を克明に綴る気力はないが、もう一つだけ問答を付け加えておく。
校長「本校についてどう思う?」/私「みなさん忙し過ぎませんか?」/校長「定時制と比べたらね。だが、他の普通科進学校より特別に多忙だとは認識していない。」
職場の民主的リーダーたるべき校長が、職員の希望や提言に直接耳を傾けながら学校づくりをすすめる事は歓迎だ。その糸口となるなら、という微かな期待は、しかし、問答無用で切って捨てられた。再びトカトントンに襲われて、私は沈黙した。が、その沈黙を、後でひどく後悔した。その論法は、「職場に憲法なし」「働くルールの確立を」という要求に、どこそこの国よりましだろうとうそぶく経営者と同じではないか。そもそも人間として許せない酷い状態を、まだ下があるからと合理化されては困る。
その時言いそびれたことを、かいつまんで事実のみ記す。①私の転勤の前年。単位制移行のただ中に、S先生が38歳の若さで急逝。「次は自分かも」という不安を誰もが拭いきれないまま、慢性的なオーバーワークの実態は衰えをみせない。「健康は自分で守って下さい」「勤務時間が過ぎたら、帰れる時には出来るだけ早く帰ってください」という管理職の言葉が、苦笑混じりに聞き流される。②この4月、年度初めの勤務を終えて帰宅されたF先生が、ひとり暮らしのアパートで倒れ、意識不明のまま二日以上も推移して発見された。緊急入院・手術を経て、幸い生命に別状はなかったものの、復帰の見通しはなお立たないでいる。③今年転勤してこられた一人職種のT先生は、夏休み以来、長期の病気休暇に入られた。これらの欠如をお互いの「奮起」で補い合いながら、学校の歯車はうなりをあげて高速回転を続けている。この回転の先に、子どもと教育の未来の、信じられる者は幸いである。私の耳には、トカトントンが響いてやまない。


この状況に、今なお改善が認められないどころか、むしろ、抜き差しならない深刻な事態が進行しているとさえ思えてなりません。
文章執筆からまもなくして登場した第一次安倍内閣は、「憲法の理想の実現は、根本において教育の力にまつべきもの」と明言して戦後民主主義教育の制度と内容を支えてきた「教育基本法」(1947年制定)を乱暴に改ざんして、「愛国心」と競争を煽る「教育改革」をすすめてきました。
第2次内閣以降も、「強い日本をとりもどす」ための「教育再生」を重点政策にかかげて、
1:「教科書改革実行プラン」などの教科書政策に見られる国家主義的な「思想統制」、
2:「心のノート」改訂版や「道徳の教科化」に見られる新保守主義的な「人格統制」、
3:「小中一貫教育の制度化」などの「学校教育システムの再編」案に見られる新自由主義的な「教育機会の制度的格差化」、
4:全国学力テストの学校別結果公表や大学入試改革に見られる成果主義的な「教育統制」、
5:教育委員会制度改革により促進されかねない学校現場・教職員の管理主義的な「行政的統制」 (藤田英典『安倍「教育改革」はなぜ問題か』-岩波書店-参照)
など、がんじがらめの教育統制をすすめながら、教育を、国家と財界の利益に奉仕する道具に変質させる動きを強めています。
こうしたもとで、私の住む岡山県でも、賃金リンクを伴う教員評価制度の導入や、業績を上げた学校への報奨金制度の創設など、教育の条理を無視した民間企業経営の(安直な)手法によって、学校、教師、子どもたちを、容赦なく際限のない競争に巻き込んでいます。ちなみに、後者の報奨金制度 (頑張る学校応援事業)は、民間企業経営者(地元百貨店の世襲社長)出身の知事の肝いりで、「全国初の試み」として2年前に導入された事業。全国学力テストの成績が低迷していることなどから、現ナマのご褒美で学力アップをはかろうという、何とも下品な着想です。
「市内のどの学校も頑張っている」と、受け取りを拒否した玉野市など、良識ある対応がむしろ新鮮にうつるるほどの状況が、うら寂しさをつのらせます。

(後略)


そして、今の現役教師の皆さんは、教師としての出発時点から、息苦しい窒息状況を「普通の状態」と受け入れつつ教師生活を歩んでいるのかも知れません。ダイユーさんが紹介された、教育学部で教えるご友人のジレンマ---「この学生達を、今の教育現場に送り出すことが、果たして是なのか?」という自問が、決して驚愕なしに受け入れられてしまう今日の職場状況が、確かにあります。仮に鬱陶しがられ、迷惑がられても「これが決して本当ではないよ、教育にはもっと別の可能性があるはずだよ」と、外からメッセージを送り続ける役割が、退職教職員には今なお求められているのかも知れません。


それにしても、ダイユーさんのお話しを聴けば聴くほど、彼が研究対象とし、警鐘を鳴らし続けておられるアメリカの新自由主義的教育「改革」の大波が、遅れてじわじわと私たちを飲み込み、その毒が日増しに私たちを息苦しく窒息させて来ていたのだと、改めて思い知りました。


本題から離れますが、大江健三郎『芽むしり仔撃ち』、大田 堯『教育とは何か』など、個人的に愛着のある作品が引用され、あれあれ、と引き込まれました。シカゴの教員組合の話題も、以前この記事に書いたサラ先生のことを思い出しながら聴くことが出来ました。


はしごもさすがに2軒が限度?の巻


午後は「シカゴ&岡山教育交流のつどい」と題して、アメリカ・シカゴから訪日されているサラ先生に、アメリカの教育事情をうかがう企画。

学力テストの成績を学校統廃合に結びつける動きに、広範な教職員、市民、生徒達が立ち上がりました。運動の先頭に立った若い女性教師サラ・チェンバース先生らは、当局ににらまれて馘首されますが、、、、。




深刻化する全国状況を受けて、全国的会議をzoomで行う機会も各分野で増えたようですが、私の関係する退職同業者の集まりでも差し迫られることになりました。要領がわからないのでできるだけ避けていたのでしたが、いずれ劣らぬ高齢者同士の中、とうとう借り出されることになり、17日(月)には全国各地のお仲間との接続テスト。若者の手助けも得て、どうにか成功しました。その際の最初の呼びかけの言葉「岡山、大変ですね」まったく全国レベルのうれしくない注目度です。


この同業者の会、実は先週の火曜日、会議が予定されていたのをすっかり失念して(予定表に記録していませんでした)すっぽかし、のんきに田舎へ帰って畑仕事をしてました。帰宅後に、責任者のFさんからお電話をいただき、うかつな失策に気づかされましたが、きついおとがめもなくまずは安堵した次第。代わりというわけでもないでしょうが、ちょっと骨の折れる原稿書きを仰せつかりました。それ以来、始終パソコンに向かうも少しもはかどらす、気が重く心が晴れません。


と言うわけで、「気分転換」のに、久しぶりにブログ執筆に取りかかりましたが、またまた冗長な文章になりました。


緊急事態宣言の影響で、各種の公的施設の閉館、休業が相次いでいます。たちまち私に直接関係あるところでは、図書館閉館のため、 いつも運転中に聴くための朗読CDが借りられません。「卓球を楽しむ会」の会場も閉館です。後楽園も休園になってしまいました。


先日の後楽園散歩は、梅雨入り前の雨の日でしたが、露を宿した梅が、もうすっかり熟していることでしょうか?


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後楽園散歩の記事、まだ続きを予定していますが、さすがにきょうはここまで。


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コメント 4

ハマコウ

わたしも現職教員を少しでも支えることができればと思っております。
by ハマコウ (2021-05-21 18:44) 

kazg

ハマコウ様
貴兄の深い教養と知見に裏打ちされたサポートは、とても心丈夫で、現職の人たちへのあたたかい励ましになること間違いありません。
by kazg (2021-05-22 10:16) 

momotaro

管理職がただ上意を達成しようとするだけで現場の問題意識を共有していないと、ハラホロヒレハレ・・・になっちゃいますね。
お疲れ様でした。
by momotaro (2021-05-23 03:44) 

kazg

momotaro様
そうなんですよね。しかも、「上意」をまったく疑ってもみない(らしい)ところが、厄介です。
by kazg (2021-05-23 09:07) 

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